エピローグ

文字数 3,133文字

 モノトーンだった世界が、ぱっと(ひら)けた。
 次は赤だった。
 血のように赤く紅く染まった空。まるで世界の終わりを予感させるような、すべてを覆いつくしてしまうような、どこか懐かしい――あっとうてきな夕焼け空。

「……っ!」

 目に痛いほどの斜光が射している。
 僕は、この世に産まれ堕ちた直後みたいに、こわごわと(まぶた)を開いた。
 見上げると――紫色のレースだった。

「設楽くん……? 死んじゃった?」

 クラスメイトの女子、法ノ月烈歌が僕を見下していた。
 あいかわらず爬虫類みたいな冷たい瞳だ。
 ちょこん、と。粗大ごみを扱うように、僕の身体を何度か蹴る。というか、本当に死体だと思っているらしい。だって無防備すぎる。
 スカートの中は丸見え、ブラウスの裾から白いお腹とこんもりした二つの丘が望めた。すごい見え方だった。
 僕はかっと目を見開く。

「!? やだ、目を開け」
「法ノ月さん、下着、見え……うぐっ!」

 足蹴にされた。
 踏むだけでなくグリグリと押し付けられる。容赦ない。ようやく気が済んだのか、飛びのいた気配がしたので、僕はそろりと起き上がった。

 学ランの腕を上げて指をグーパーしてみる。蹴られた箇所は痛むが、動く。うん、生きている。
 用心深く見回すが、バーチャルリアルティの装置類はなかった。
 それどころか、なんだか馴染みのある光景が広がっている。
 雑巾のような匂い。古ぼけた黒板、教室の後ろに乱雑に寄せられた机と椅子。ここは……まぎれもなく、放課後に法ノ月と待ち合わせた空き教室ではないか。
 ということは――

「生還おめでとう。なーんだ、戻ってきちゃったか」

 なーんだ、って何だよ!
 生還……。僕は戻ってきたのか、現実に?
 いつのタイミングで打ったのか、後頭部にコブが出来ている。コブを擦りながら尋ねる。

「今、何日?」
「はあ? そうか、あっちでは日を跨いでいたものね。こちらの世界は今日のままだよ。午後五時五十分。まもなく下校時間よ」
「う、うそだろ……」

 あれから三時間も経っていないなんて。

「なんかさぁ」

 法ノ月は眠たげなゆったりとした声で、

「最後とんでもない展開になってたね。同人誌に投稿できるかなこれ。あ~あ」

 ばさばさと原稿用紙の束を触る。
『ワールドエンド要塞の殺戮』――記憶が目まぐるしい勢いでよみがえってきて、

「……ッく」

 知らず知らずのうちに僕は涙を流していた。制御しきれない感情の放出か、涙がとめどなく溢れる。仮想世界ではあるが、色々な出会いがあった。別れがあった。絶望と、そして希望があった。
 とてつもない喪失感。脱力感。
 体力と気力には自信がある方だが、これまでに憶えがない程、身体も精神も疲労していた。

 よりによって、法ノ月の前で。かっこ悪。
 現実に還ってきたら、色々と言ってやりたいことがあった。聞きたいこともある。まずは、ぶん殴ってやろう、と決めていたのに。こんな状態じゃとても……

 泣きじゃくった顔のまま寝転ぶと、スカートの裾をガードした法ノ月が、ぴょこんとジャンプしながら近づいてきた。

「どうだった? 私の創作した世界」
「……とんでもなかった」

 あはっ、と女の子らしく笑う。
 そこは笑うところではないのに。

「探偵キャラは? 鬼畜毒舌ババア探偵。けっこう斬新でイケると思うんだけど」
「……絶対に止めたほうがいい」
「そういえば――あのとき(、、、、)、老師をどうやって(たら)して謎解きをさせたわけ? よく聞こえなかったんだけど」

 お前に聞こえないようわざと小声で話したからな。
 老婆に耳打ちしたことを思い出し、僕はゲンナリする。

「というか。“予言”したんだよ、僕が」
「設楽くんが?」

 法ノ月が細い目をぱちくりさせる。

「探偵として謎解きをしてくれたら、僕がこの世界から消えて、代わりに老師の千里眼が戻る――って。もし、そうならなければ腹いせに殺す、って脅されたけどな」

 僕は二つ返事でOKした。
 現実に戻れなければ、死んだも同然だからだ。

 烈歌老師にとって、千里眼が消えたことは想像以上にショックだったらしい。
 老婆は怯えていた。

 “分からない”ということに。

 今まで全てが視えていたから。過去も未来も。彼女にとって、世界はどこまでも平面のように見晴らせていたのだ。
 僕の出現を予知したとき、老師は、かつてない(おぞま)ましい悪寒がしたという。だから、僕があの世界にとって“異端”ということは疑わなかった。僕はそこを突いた。疑り深い老師は、完全には信用してくれなかったが、まぁ聞く耳を持ってやるか程度に、心を開いてくれたらしい。

「ふうん……」

 法ノ月は胸の下で腕を組む。制服のリボンが嫌々をするように揺れる。

「ヤバい賭けをしたんだね。殺してもいい、だなんて。創作世界でも、生きていたら案外楽しく過ごせたかもしれないのに」

 顔をしかめた僕に、法ノ月は鼻の下に指をやって、

「教えたでしょ、まだ戻っていない(、、、、、、)人がいるって。関ケ原(せきがはら)くんって、中学のときの同級生なんだけど。楽しくやってるみたいよ、創作世界で」
「楽しく、だって?」

 そんなことがありうるのか。よほど順応性の高い奴なのか、セキガハラってやつは。いったいどこのどいつだ。
 悶々としていると、法ノ月がにまっと笑って、顔をのぞき込んでくる。

「そうだ。設楽くん、助けにいってみる? イく? イッちゃう?」

 蛇のバレッタを握ってみせる法ノ月。

「……遠慮するよ」

 セキガハラ君とやらについては、あまり考えないようにしよう。
 同時に、僕と同じく生還したという、法ノ月の兄貴とも話してみたい、と少し思った。

 それから、と僕は弱ったように、

「頼みがあるんだ。烈歌老師と約束したんだよ、もうひとつ。作者と話すことが出来るなら伝えてほしいって」
「老師が? なに?」
「法ノ月さんに、物語を書き続けて欲しい、ってさ」

 不老不死の願いはひとつ。彼女が生きる世界が永遠に続くこと。そのためには、物語が紡がれ続けなければならない。

「え……勝手に約束しないでよ」

 どうしようっかな、と作者は焦らすようにそっぽを向いた。

 
 ――これは僕の失敗のエピソードである。
 人たらしは、(たら)す相手を間違えてはいけない、よく選ぶべきという教訓の物語である――

 
 目の前の少女、法ノ月烈歌は、僕にとって恐ろしく不利益な存在でしかない。
 しかし、僕を唯一、戒めてくれる存在でもあるのかもしれない。

「あのさ」

 なんだか捨て鉢な、やけに清々(すがすが)しい気分だった。矛盾してるが。
 僕はぼんやりした口調で言う。

「烈歌ちゃんって、呼んでもいい?」
「死んでも嫌。私、その名前、嫌いだし」
「……紫は欲求不満の色」
「なにか言った?」
「小説の続き、描いてよ。あれからどうなったか、僕も知りたいし」

 ちらっとスケベ根性を覗かせたのが悪かったのか。
 見え透いた嘘に、法ノ月は薄い頬を膨らませた。

「気が向いたら描くけど。もう、設楽くんには読ませないよ」
 
 そして、にこにこと告げた。

「設楽くん。忘れてない? 私は君が嫌いだって。油断してたらまた――飛ばすよ?」

 僕は起き上がりかけた身体をふたたび突っ伏す。
 何の飾りもなく、偽りもなく、算段もなく、ただただ答えた。

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