11 水の門のロジック

文字数 5,533文字

 いくらなんでも突飛では……と思いかけ、そうでもないことに気づく。

 二人が嘘をついている、と仮定するより、『うち一人はクレル』と考える方が無理がない気がする。
 システムによると、二名が扉を開いたのは20:49。
 遺体が発見されたのは二十一時頃だったから、わずか十分前――その間に犯行がされたことになるのか。

 しん、と。妖精が飛んでいるような沈黙が続くなか、コスモックル多羅が唸った。

「一人は犯人……なるほどね。それは思いつかなかったけど。だとしても()に落ちないことがあるな」
「とは?」

 自分より背の高いイタリア系色男を、ナナオが挑戦的に見すえる。

水滝(、、)だよ。二人が通路側に出た直後、水滝の制御システムは故障した。
 扉は作動しているからホール側に戻ることはできるが、水滝を(、、、)潜った彼らは(、、、、、、)びしょ濡れ(、、、、、)になっただろうね。でも、思い出してごらん。クレルさんを発見したとき、皆があの場に集合していたが、誰ひとり(、、、、)変わった様子(、、、、、、)はなかった(、、、、、)

 それに、と水滝を仰いで、

「見てのとおり、結構な水の勢いがあるだろう。ここを潜ったら『ちょっと濡れた』くらいじゃ済まないよ」

 あ、とナナオが口元に手をやり険しい顔つきになる。
 腕組みした僕は首をかしげざるを得ない。それほど重要な気づきだろうか、と思ったからだ。

「服や髪が濡れている人はいなかったと思いますが。急いで着替えて髪をドライヤーで乾かせば済む話では?」

 犯行の時間を考えると、着替えなどに費やせる時間は五分もなかっただろうが、短髪の男だったら不可能とまでは言えない。ミセスローズのような豊かな長髪の婦人は別として。
 ふと気付くと、一同は不可解そうに僕をまじまじと眺めていた。うっ、この微妙な空気は……

「シタラ君。ドライヤってなんだい?」

 やっぱり。
 ガックリきた。もうこのやり取り、嫌だ……。

「洗って濡れた髪を乾かす機械ですよ」
「あ、もしかして『お風呂』ですか!」

 力なく説明すると、シスターが少しズレたことを言う。

「遺跡の発掘に立ち合ったとき、設備を拝見しました。昔の人類は身体機能が未熟で、身体から排出される分泌物を洗い流す習慣があったそうです」
「ははは」

 僕は乾いた笑いを漏らす。
 要塞(ここ)には、長期滞在に不可欠な浴室がない。その時点で気付いておくべきだった。法ノ月、お風呂嫌いなのかな。女子が皆、しずかちゃんみたいに風呂好きってわけじゃないんだな。

「髪が濡れたらどうするんですか?」

 いちおう興味本位でたずねると、

「自然に乾くだろ」
「そんな原始的な……たとえば能力を使って、あっという間に乾かせるとか」
「魔法使いじゃあるまいし。無理だよ」

 一笑された。シスターもくすくすと笑っている。ナナオまで……。
 能力者、意外に無能なり。けっして万能ではないというのは本当だな。

「たとえ髪を乾かせたとしても、着替えのため自室に戻ったなら、服から滴り落ちた水滴(、、)が床に残ったはずだよ」

 ホールを見回しながらナナオが言う。

「スプリンクラーの辺りや水滝の周りならまだしも。ホール、展示室、階段、二階の廊下に水滴は落ちていなかった。痕跡を消す余裕まではさすがに無かったろうし」

 マジかよ……。
 犯行現場まで一緒に行動していたのに、そんなところを観察しているなんて現実離れしているというか。いや創作の世界だからいいのか。ナナオが探偵らしくなったのだから喜ぶべきだ。僕が道化を演じるのもよかろう。
 僕はすぐ傍の木製戸を指して、

「〈管理室〉はどう? あそこまでなら水滴が落ちていても不自然じゃないよ」
「ファム少年をお疑いですか」

 そっぽを向いている少年を一瞥して、シスターが代わりに答える。

「としたら見当違いですね。管理室にも奥部屋にも、床が濡れた跡はありませんでしたし、そもそも彼は着替えの服を持参していませんから」

 ……ですか。
 修道女の後ろでファム少年が頬を膨らませていた。完全にむくれている。
 ヤバい完全に嫌われた? 星座の話でもして仲良くなろうと目論(もくろ)んでいたのにな。
 
「クレルは死体を焼かれていたから濡れていたかも判別がつかないけど。犯人は、何らかの手段で濡れずにホールへ戻ってきた……」

 ナナオがまとめた。
 同時に水滝が止まった。制御システムが復帰したらしい。

「ああ、治ったようですね。よかった」

 シスターが胸を撫でおろす。断続的に続いていた水音が消え、死のような静けさが訪れた。
 濡れた排水溝を跨いで、通路側に移動した。
 三畳ほどの前室を経て続く、細く長い通路は、僕がここに来たときと同じように床も天井も真っ白で、静謐(せいひつ)で、何も無い。
 
「そうなんだよ……何も無いんだよな、通路(こっち)には」

 僕の心を読んだように、コスモックル多羅が歯噛みする。

「傘とか雨ガッパとか。水除(みずよ)けになるものがあれば、即解決だったのに」
「外に出たという記録もありませんしね。出たところで、石と岩しかないですけど」

 本当に何も無い。ポスターや張り紙も。狂気じみたほどに――何も、無いのだ。

「水除けの能力を持つ、能力者のしわざとか?」
「そんな能力は聞いたことがないですし、要塞内に侵入して能力を使ったならば私の〈検知器〉が反応した筈です」

 シスターにマジメな顔で返された。半分冗談だったのに。

「ちなみに、〈隠し棚〉とかありませんよね?」

 今度は笑ってくれるかな。ヘラヘラしながら聞くと、シスターはぎくりとした表情になる。

「ありますよ、ひとつだけ」
「あるのかよッ!?」
  
 ここに、とシスターが前室の壁の一部を押すと、長方形の引き出しが飛びだす。

「〈護身用の剣〉です。ホールにも同じ仕掛けがあります」
「わあ」

 中世の騎士が扱うような長剣が登場した。僕は感嘆を上げる。人間をぶつ切りにできそうな、ごつい代物である。

「でも、剣じゃ水滝は防げないよね」

 黄金色の鞘に触れながら、多羅氏がぼやく。

「ヘリコプターのプロペラみたいに高速で振り回して水を弾いたとか?」
「シタラ君、ほんとう面白いね、君」

 今度は失笑された。くそ……なんだこの屈辱感は。

「何か見落としがあるのか……?」

 誰に言うでもなく、ナナオが口走る。
 結局、謎は解けずじまいで、捜査ともいえぬ探検隊はおひらきになった。





 朝が来た。
 眠りのない世界で時間感覚をなくしていたが、デジタル時計は7:12を指している。窓から望めるのは、代わり映えのないどんよりした灰色の空ではあるけど。

 僕とナナオは、プラネタリウムで休息をとっていた。
 シートの芳香剤の匂いは苦手だが、リクライニング機能付で座り心地は抜群だ。
 ドーム天井がときおり発光している。トロル避けの仕掛けが作動しているということは、まだ奴らは近くに潜んでいるのだ。予断を許さない状況が続いている。

「あのさ。〈火災報知器〉って普及しているの?」
 眠るように目を瞑っていたナナオに話しかけると、は? と返される。
「普及しているっていうか、法律で定まってるよ。一般家庭では、寝室と階段に設置する決まり」
「へえ」

 そこは現実と変わらないんだな。
 法ノ月の世界設定はあいまいだ。
 絶対にあるだろう、と思ったものはないし、別になくても良いだろう、と思うものがあったりする。
 すべてに根拠を求めるのは無謀な気がするが、火災報知器の場合はどうだろう。

「犯人はなぜクレルさんの死体を燃やしたんだろ? そんなことをしたら火災報知器が作動して、皆が集まってくると分かっていた筈なのに」

 普通そういうときは時間稼ぎをするものじゃないのか――?
 探偵に閃きを与えるのが助手の役目だ。僕のナイスワトソンな問題提起に、ナナオは天井を見上げたまま答える。

「そりゃ、どうしても焼かなければいけない理由があったんだろう」
「理由……」

 僕はシートの肘掛けを叩きながら、

「身元を隠したかったとか?」
「隠せてないよね」

 速攻で否定された。

「けれど――『隠したかった』というのは良い観点かもしれない」

 意味ありげな笑みで褒められたが、よく分からない。
 分からないといえば、首を切断した理由もそうだ。
 外からも内からも出入り不可能な閉ざされた状況で、〈身元を隠すため〉という理由は、無意味に感じられる。消去法ですぐ誰かが判明してしまうからだ。そのくらい推理小説マニアでなくとも分かる。

「ひとついえるのは――」

 ナナオが上半身を起こして、

「犯人は、クレルの死体を全焼(、、)させるつもりはなかったってことかな」

 と目を細める。

「……あ、そうか。スプリンクラーが作動することは、犯人も当然予測できていただろうしなぁ」

 僕らが駆けつけたとき、火はすでに消えていた。そう、あれはまるで――“表面”さえ焦げればいい、という程度の焼け具合だった。

「死因は焼死じゃない……としたら、〈本当の死因〉は何だったんだろ?」

 まさか、生きたまま首切りしたのじゃあるまいな。
 そんな残酷なこと。想像して背筋が寒くなる。ナナオは首の後ろに手をやって、無気力げに吐息した。

「俺がざっと見た限り、刺されたような傷はなかったけどね。そもそも首から上に死因があったら確認できないし。科学捜査が入らないと無理だよ。今、死因なんて考えるのは無駄だ」
「……ですか」
「それより――不思議じゃないか?」

 ナナオが節くれだった指を上に向ける。

「犯人が、どうやって(、、、、、)クレルの(、、、、)頭部を(、、、)外に(、、)晒したか(、、、、)

 つられて僕も天を仰ぐ。
 プラネタリウムを覆うガラス壁上に放られていた、生首の問題である。

「通路から外に出るというルートは考えなくて良いと思う。指紋認証で記録が残ってしまうから」

 うんうん。
 誰かが要塞を出た記録はない、とシスターも言ってたし。僕は頷き、はっとした。
 では、犯人はどうやって生首を外に移したのだろう――?

「窓はハメ殺しになっていて開かないし。う~ん、この要塞に〈開く窓〉ってないのかな」
「あるぞ」

 ナナオと僕は、びくっと体を震わせた。
 最後尾の座席から細身の紳士が立ち上がる。闇に紛れるような黒づくめの容貌は、ジェントルマン男爵である。

「うわ、いつから居たんですか!」
「貴様たちより前にここに来ていた。勝手に雑談を始めたのはそっちだろう」

 陰気に皮肉を振りまきながら足早に歩む。
 非常口マークがある扉の前で止まり、ステッキで指す。開けろ、ということらしい。召使みたいで嫌だったが、言われたとおりにすると、扉の向こうにはガラス壁が広がっていた。プラネタリウムを覆う幕壁(ウォールカーテン)だ。

「改築のとき、非常用扉はつぶしてしまったが、メンテ用に一か所だけ開くようになっている」
「詳しいんですね」
「設計の際、計画に加わったからな」

 ステッキを器用に操って取っ手を倒すと、およそ二十センチ四方のガラス窓が跳ね上がった。
 僕は思わず、おぅ、と声を漏らしたが、ナナオは難しい顔のまま、

「この大きさじゃ大人は通れませんね」

 さっそく生首を外に出すためのルートを検討しているらしい。

頭部を(、、、)ここから(、、、、)放り上げた(、、、、、)というのも無理あるな。屋根までの高さは相当なものだし」

 ナナオが窓から離れたので、僕も窓辺に近づき壁沿いに見上げる。
 メチャクチャ高い。
 正確な高さは分からないが、『無理がある』どころでなく『絶対無理だ』と感じた。頭部だってそれなりの重さがあるだろうし、ここから放り上げるのはオリンピック選手でも無理だろう。
 頭を抱える僕らを尻目に、ジェントルマン男爵は「失礼する」とプラネタリウムを後にした。
 さすがの男爵も疲弊(ひへい)しているのか、昨日までの覇気がないように感じる。気のせいだろうか。
 後ろ姿を見送りながら、ナナオがぽつりという。

「重要なのは、how(どうやって)じゃなくて、why(どうして)なのかもしれない。なぜ(、、)頭部は晒されたのか?」

 日に焼けた頬をぽりぽりと掻きながら、虚空を見上げている。

「首を切断するのもドーム上に移動させるのも、労力が必要だ。そこまでしたからには目的があったからに違いない。その労力に見合う目的が」
「目的……?」
「振り返ってみよう。頭部が外に晒されたことで何が起こったか(、、、、、、、)?」

 僕は昨夜のことを思い出す。

「えっと……血の匂いでトロルが要塞に押し寄せてきた」
「で?」
「僕らは要塞から一歩も出られず、救援も来れなくなった……?」

 なんだろう。
 今のやり取りに違和感をおぼえていると、口端を上げたナナオは不吉な予言したのである。

「それが犯人の狙い(、、、、、)だったとしたら? 俺たちを要塞(ここ)に閉じ込めて、犯人はまだ殺戮を続けるつもりなんだ」

 数分後、科学館だった要塞に凄まじい悲鳴が響きわたった。
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