16 世界の終末、そして始まり

文字数 6,215文字

 エントランスホールに戻ると、槙村ナナオが瀕死(ひんし)の状態だった。
 土気色の肌、くぼんだ目元。転生の呪いとやらが切れかかっているのだろう。一回り、いや二回りも年をとったよう。
 虫の息の彼を、皆がわたわたと取り巻いている。

「老師、ナナオさんが」

 シスターが心配そうに口を開いたとき、

「たわけッ!!」

 急に烈歌老師が吠えた。

「おぬしがハンパな謎解きをしたせいで、ワシが後始末をする羽目になったのじゃ! この出来損ないめが!」

 ……ドン引きだった。
 それが危篤(きとく)の人間にかけるセリフかよ。ちょっと前に、ナナオの推理を面白がって聞いてたくせに。

 これが〈探偵役〉だなんて――。
 老婆探偵。推理小説に詳しくない僕でも、ちょっとどうかと思うキャラクター設定である。法ノ月のセンスを心底疑う。
 憎々し気に老婆探偵が口角泡を飛ばす。

「死にかけ小僧は、想像ともいえぬ妄想話から始めていたが。ワシは、槙村クレルの死体をひとめ見て()ぐ犯人がわかった」

 ひとめ見て?
 耳を疑うような前ぶりから、真の探偵が推理をはじめる。
 法ノ月烈歌の謎解きがはじまる――

「そもそも死体というのは、簡単に燃やせるものでない。
 加えて、煙が上がれば火災報知器とスプリンクラーが作動する。まず疑うべきは、なぜ圧倒的不利な状況で死体を燃やそうとしたかじゃろ」

 老師はナナオを振り向いて、

「おぬしは『老化した皮膚を隠すため』などと推理しておったが、考えてもみよ。全身の皮膚(、、、、、)()燃やすには(、、、、、)かなりの手間(、、、、、、)がかかる(、、、、)。犯人にそれほどの余裕があったかのぅ?」
「あ……たしかに」

 目の覚めるような表情をシスターがした。

「火災報知器が作動するまでおよそ数分足らず。着火剤もないのに無理です」
 でも、と悩ましげに頬に触れて、「だったら何の目的で死体を焼いたのでしょう? 私、ますます分からなくなりました」

 フンッと老師が鼻を鳴らした。

「もちろん証拠隠滅じゃ。ただし、確実に焼き消すべき面積が(、、、)小さかった(、、、、、)というだけ」
「面積が、小さかった……?」
「犯人は身体のある一か所(、、、、、、)さえ焼き消せば良かった。
 これに気づけば、どのように水滝を潜ったか、犯人が誰かもおのずと明らかになるのじゃ」

 そんな神業みたいなことが可能なのか?
 老師はペタペタ足音を鳴らし、流れ落ちる水滝に近づく。

「視点を変えてみよ。水滝(ここ)を潜るのに何を利用できたか。
 条件は――ひとつ、ある程度の防水性がなければならぬ。ふたつ、身体を覆えるほど広くなければならぬ。死体を担いで傘代わりにするなど笑止千万。もっと無駄のない方法があろう。この要塞には〈能力者〉が(そろ)っているのだから」

 試験監督のように、老師は登場人物らを見回す。誰も答えようとしないのに舌打ちをして、

「ちっ! 頭のかたい連中じゃのう。最終ヒント。〈前室〉の隠し引き出しに〈護身用の剣〉が備えてある。犯人はこれも利用した」

 剣を?
 なおも続く静寂のなか、急にナナオが拳を床に叩きつけた。

「そうか……! そっち(、、、)だったのか!」

 絞り出すような声で、

人間の(、、、)()だ――クレルの皮膚の一部を剣で切り取った後、能力で(、、、)広く(、、)伸ばして(、、、、)水除(みずよ)けに使ったんだ……!」

 人の皮を、水除けに?
 ゾッとするような驚きの波が広がっていく。
 広く伸ばすって、ビニールシートみたいな感じだろうか。即席の雨ガッパ。
 そんなことが可能な能力の持ち主は……

「ジェントルマン男爵――あなたが犯人だったんですね!?」

 ナナオの視線と、青年とは思えないほどしわがれた声が、英国風紳士を辛辣に射る。
 当人はうつむいたまま否定も肯定もしない。

 男爵が犯人……? そうなのか? 
 肉体の大きさを自由にできるといっても、死体から切り取った皮膚まで操作できるのだろうか――いや、できる(、、、)
 プラネタリウム上のガラス壁に、クレルの頭部を発見したとき。男爵は遠隔操作でそれを小さくしたではないか。
 彼の能力は身体から(、、、、)離れた(、、、)箇所(、、)にも及ぶのだ。

「外科手術の現場で働いている男爵ならば、人体の扱いにも多少慣れておろう。皮膚の一部のみが切り取られているのはさすがに目立つだろうと、目くらましに他の箇所も焼いたのじゃ」

 カモフラージュのため。
 だから、あんなやる気のない焼き方だったのか……。

何故(なにゆえ)そんな苦肉の策をとらねばならなかったか。
 まもなく会議が始まるから、というのは死にかけ小僧の推理通りであろうが。会議の主催者は他ならぬ男爵。始まりの時間に姿を見せなければ不自然に思われよう。敵対しているシスターに弱味を握られたくなかった、というのも大きいか」

 いやらしく語尾を上げた老師に、シスターが唇をゆがめる。男爵は重たく口をつぐんだままだ。

「ちょっといいですか」

 待ったをかけたのは僕だ。この際、疑問や不安要素は残らず吐き出してしまいたい。

「クレルさんを発見したとき、死体はホール側(、、、、)にありました。――ってことは、男爵は死体を(、、、)抱えて(、、、)水滝を潜ったんですよね? おかしくないですか」
「何がじゃ」 
「その〈即席の雨カッパ〉を被って、男爵だけ(、、、、)移動すればよかったのでは? わざわざ死体を通路側からホール側に移す必要はないと思いますが」
「〈火種〉が無かったんじゃろ」

 マッチやライターは携帯していなかったと。男爵は禁煙派か? ということじゃなく、

「持ってきて、また水滝を潜れば良い話じゃないですか」

 僕は効率性とか手順にはうるさいのである。
 ただでさえ煙たそうな顔をしていた老師は、「阿呆(あほ)め!」と一喝した。迫力に僕はのけ反る。

「わからぬか!? 身体から切り離され水分を失った皮膚は急速に縮む(、、)
能力で伸ばすといっても耐久性に限度があろう。おぬしの言うとおり動けば、頼りない雨具で三度(、、)も水滝を潜ることになるのだぞ!」
「あ……!」

 火種を取りに行く→火を点ける→ホール側に戻る、計三度。

 下手に濡れるリスクを高めるより、クレルを小脇に抱えて一度の移動で済ませたほうが上策(ベター)ということか。
 僕だって、浅はかな質問をしたつもりはなかった。――のに、(ただ)ちに論破(ろんぱ)するとは、やはり、この老婆タダ者ではない。とんでもなくキレる。

「――次に進むぞ。死にかけ小僧の、もうひとつの大きな過ち。《生首の移動方法》についてじゃ」
「生首の移動って、〈天文台〉を利用したんじゃ……?」

 ナナオの説では、天文台のドーム回転とスリット開閉を生かした方法だったが。あれも全くの見当違いだったのか。
 老師は遠くを眺めるように目を細めて、

「血痕の付着からして、天文台を利用したのは間違いなかろう。だた、あまりにも成功率が低すぎる」

 もしや、とコスモックル多羅氏が遠慮げに、

男爵の(、、、)能力を利用(、、、、、)したのですか……?」
「無論じゃ。ファム少年は、男爵を脅すばかりでなく協力させた。ロクでもないガキじゃのぅ、男爵?」

 挑発的に呼びかけられ、彼は眉間にわずかに皺を寄せた。

「ふん。あくまで黙秘を通すつもりか。無駄なことを。死にかけ小僧の説では、いくら天文台の操作に慣れた者でも生首を移動させるのは難しかろう。
〈大天文台→小天文台〉と〈小天文台→ガラス壁上〉。ピタリと隣接しているわけではなく、それぞれ数メートルほどの隙間があるからのぅ。ならば――隙間を(、、、)埋めて(、、、)しまえば良い」

 老師は顎でくいっと多羅氏を指した。
 代わりに説明せよ、という意味だろう。多羅氏はためらいがちに説明する。

「たぶん、こういう手順だったのではないかな――。
 大天文台のスリット開口部に、クレルさんの髪等をかませて頭部を固定します。そして、頭部を素早く拡大(、、)し、小天文台へ橋のように渡す。
 あとは同じ手順。小天文台のスリット開口部に髪をかませて固定した後、頭部のサイズを戻して完全に移動させる。最後に、小天文台のスリット開口部をガラス壁の方へ回転させ、先よりも頭部を巨大化し壁に渡し――頭部の大部分が乗れば安定するでしょう――固定を外す。サイズを元通りにして、完了です」

 軽くどよめきが起こった。
 決してひとりでは出来ない連携プレイ。感心するというより、ファム少年と男爵がそんなことをやったのか、と半ば呆れたような感情が先立つ。
 しかし烈歌老師は不服(ふふく)そうに、

「ワシに言わせれば、わざわざ目立つ場所に生首を置くこと自体ナンセンスじゃ。すぐ発見されるということは、すぐ対策される(、、、、、)ということ。実際、男爵が生首を目立たぬよう小さくしてしまった。その分、トロルが引けるのが早まり、救援隊が来るのも早まるかもしれんのに」
「いいえ……」

 これにナナオが反対する。息も絶え絶えに。

「トロルが押し寄せてきた原因が分からなければ、危険を(かえり)みず調査に出ることも検討されたかもしれない……それでは犯人が要塞を出る隙を与えてしまう」
「フンッ!」

 老師はふてくされたように吐き捨てる。ナナオに一矢報われたのが気に入らなかったのだろう。

「子どもの思考は分からん!」
「俺は……子どもじゃない」
「何百年も生きたワシからしたら、ファム少年もおぬしも変わらぬ」

 不老不死らしく返し、老師がベンチに座り込む。そして、終わりの合図のように僕を見た。

 謎解きが終わった……? これで?
 犯人のジェントルマン男爵が黙秘したまま――?

「ちょっ、待って……待ってください!」
「うるさいのぅ。おぬしとの約束は果たしたぞ」
「まだいくつか、不明な……理解しにくい点があります」

 僕は老師に、というより、男爵に向かって言う。

「クレルさん殺害についてです。男爵が彼女を殺したのは、トロルに喰われようとした彼女を楽に死なせてやるためだったんですよね? それは()なんでしょうか?」

 人殺しをしたのだから罪に決まっている。
 我ながらバカなことを、と思いつつ、主張せずにいられなかった。クレルの自殺を止めようがない状況だったら、仕方なかったのではないか。
 しかし老師は残酷に否定する。

「ふふん。男爵が槙村クレルを殺したのは、“慈悲”なんかじゃ無かった。殺したかった(、、、、、、)から(、、)殺した(、、、)――それだけじゃ。
 男爵は偉大な能力を医療に尽力し、幾人もの命を救っている。沢山の命を救ってるんだから、たまには(、、、、)奪っても(、、、、)よかろう(、、、、)? ワシはそう思うがの」

 耳に障る甲高い嬌声に、僕は背筋を震わせる。
 救えるということは、奪えるということでもあるのだ。ふと気づくと、ナナオが臥せったまま肩を震わせていた。

「よ、よくもッ!」

 憎しみにこもった双眸を男爵にぶつける。この状況でも、なお、男爵は沈黙を守り続けている。

 たぶん、彼は、すべての罪を受け入れるつもりなのだ。一切の弁明もなく。
 それじゃダメだ。物語は収束しない。
 僕は、男爵に、言い訳(、、、)をして欲しかった。目に見える形で、感情を揺すぶらせたかった。

「最後にひとつだけ教えてください、男爵!」

 背を向けようとした犯人にすがる。 

「どうして……どうして、ファム少年殺害に力を貸した(、、、、、)のですか!?」
 
 皆が混乱している。第二の殺戮について、突然僕が語り出したのだから当然だろう。
 半分は当てずっぽうだった。
 ファム少年を凍死させたのは烈歌老師である。その際、抵抗されないよう『力を借りた』と老師は漏らしていた。
 “力”とは、たぶん、人を弱める類の能力だ。身体を老化もしくは無力な幼児にするか、サイズを小さくしてしまうか。討伐隊がトロルに試した作戦そのものである。
 コスモックル多羅か男爵か。どちらの可能性もあったが、男爵だろう、と予測した。

「僕は、あなたが無慈悲に人の命を奪うとは思えない。少し子供っぽいところもあるけど、自分を偽るのが嫌いで、織田信長みたいに強くて気高くて……! きっと相応の理由があった筈です!!」

 そこで――
 男爵は瞑ったままだった目を開いた。鷹のように鋭い眼光があらわになる。ふーふーと荒い息を吐く。重い口が開かれる。

「あの少年……ファムは死体を(もてあそ)んだ……」

 低く震えた声で、

「生首を移動させるのを手伝え、と脅迫されたとき、私は〈別の提案〉をした。ファム少年(、、、、、)()巨大化(、、、)させてやる、と」

 あっ、とナナオが声を漏らす。
 なぜ気づかなかったんだろう、と思うほど、単純明快な法だった。
 人体操作能力でファム少年を巨大化する――。彼の細腕では放り上げるのは困難だった高さも、彼自体がサイズアップすれば障壁は消える。
 能力者は自身に能力を使うことができない。が、あの場には二人いたのだ。

「だが、奴はそれを突っぱねて、悪夢のような所業をおこなった。死体を玩具のように弄んだ……助けてやる必要はないと思った」

 老師がファム少年を殺す手伝いを拒まなかった。

「おそらく――違うと思います」

 天使のようだった弟子の残虐性を暴かれた。
 シスターが小刻みに震えている。ミセスローズが手を握ろうとするのを押しのけて、

「ファムは……貴重な非能力者の男児です。その自負からか、能力を軽蔑しているところがありました。だから、己にかけられることを拒んだのだと」

 フハハ、と声高に男爵が笑い出した。

「やはりな!」

 浅黒い肌に玉の汗を浮かべて、

「それが世界国守クラブの本音だ。能力者を保護したのではない、排除したいのだろう! だから執拗に管理して行動を制限する」
「違いますっ!」
「男爵、俺もひとつ聞きたいことがある」

 あわや口論になりかけたところを、ナナオが間に入る。
 妹を殺された兄が冷たい声で、

「クレルの死体に隠蔽工作をした後に、ファム少年の脅迫を易々と聞いたのはなぜ? あなた程の力があれば、彼を殺さずとも要求を突っぱねることが出来たのではないですか」
「ま、ワシのせい(、、、、、)じゃろうな」

 呑気な調子で答えたのは烈歌老師だった。
 ポリポリとほっかむりの頭を掻きながら、

「死体を見てすぐ男爵が犯人と知ったワシは、通りすがりに教えてやったのだ――『無駄なことを。人類は(、、、)間もなく(、、、、)滅亡する(、、、、)というのに』とな」
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