06 設楽くんは見た…

文字数 4,254文字

「午後九時からシスターと話し合いの場を設けることにした。貴様にも参加を要請する」

 ふいに男爵が無表情のまま、多羅氏に告げた。あくまでも威圧的な口調で。多羅氏はげんなりしたように、

「話し合い、ですか。その他のメンバーは?」
「烈歌老師に約束を取り付けた」
「……わかりました。出ます……出ますけど、揉め事は嫌ですよ」
「約束はできんな」

 どうしようもない台詞を吐いて、ジェントルマン男爵は自室に引っ込んだ。
 まったく、子供みたいなオッサンだ。
 彼を「ジェントルマン」とか、法ノ月のネーミングセンスはどうなっているのだろう。しかし、ああいうキャラクターは裏表がなくて、かえって(ぎょ)しやすいかもしれない。などと考えてみたりする僕。

 男爵が入った扉の上には、〈電子工作室〉と看板がある。
 窓付きの引戸といい、学校の教室とよく似ている。というか、科学館だった頃そのままだ。

「あの、聞いてもいいですか」

 内緒話のボリュームで僕。つられたように、多羅氏も「なんだい」と声を低める。

「なぜ男爵とシスターは対立しているんでしょう」 
「……対立しているわけじゃないよ。両者とも基本的な利害は一致している。だが」
「だが?」
「自らの意志でなく、この要塞に閉じ込められる、ってことが気に食わないんだろうなぁ。あの御仁(ごじん)は」

 コスモックル多羅は小さな溜息をつく。

「世界国守クラブは、能力者を『保護』しているってスタンスだけど、男爵は納得していない。能力者(じぶん)こそ、神に選ばれた――人類より上位の存在と考えている」
「上位の存在……」

 能力者でない男性はほぼ死滅した世界。ジェントルマン男爵は、それを、人類の進化とでも捉えているのだろうか。

「コスモックルさんはどうなんですか」

 たずねると、多羅氏はぽかんと口を開ける。

「僕? 僕は、自分をそんな大層な存在だなんて思っていないよ。肉体年齢を操作できるっていう能力自体も大したものじゃないし」
「十分にすごいと思いますけど」
「なんて表現したらいいのか。今のこの世の中に生かしようがないのさ。現状、世間に貢献できているのは、延命治療くらいだ。乱用すると倫理的問題があるって、利用は最低限に留められているからね」
「え……」

 拍子抜けだった。
 せっかくの能力が制限されているなんて。僕の落胆を読み取ったのか、多羅氏は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「たとえば、の話だよ。僕は、君の肉体の時の流れを遅くして『不死』にすることができる」
「おおっ」
「でも、あくまで一時的なものに過ぎない。だって、君が不死でい続けるには、術師の僕が不死でないと成立しないだろ? 能力者は自身に(、、、)能力を(、、、)使うことが(、、、、、)できない(、、、、)からね」

 そうなのか。唖然としている僕に、多羅氏はにやりとして、「能力者は決して万能じゃないってことさ」と自嘲めいた笑みをもらした。

「そうはいっても、男爵の能力は素晴らしいと思うよ。何より実用的だ」
「男爵の? たしか、肉体の大小をコントロールできるっていう」
「ああ。特に外科手術。体内から摘出した患部を、彼が拡大縮小することで、手術の精度は格段に上がる。男爵が命を救った患者は数知れないだろうよ。ひとつ間違えば人を殺しかねない恐ろしい能力でもあるけど」
「ほぉ」

 一見、闇の暗殺者めいた男爵が、たくさんの人命を救っているとは意外だった。人は見かけのよらないとはこのことだ。
 二階は、カタカナの「ロ」の形になっており、中央の吹き抜けから一階の展示室が見下ろせる。キッズスペースでミセスローズが横向きに臥せっている。そういや、お腹が重たくて仰向けで寝れないの、と嘆いていたっけ。本当に昼寝をしているらしい。自由だな。

「ここが僕が使っている部屋で」

 多羅氏が説明しながら先導し、〈パソコン実習室〉を過ぎる。突き当りを曲がると〈木工作業室〉がある。

「こちらがミセスローズの部屋で、隣は槙村兄妹が使っている」

 〈理科実験室〉。
 それ(、、)を目撃したのは、誓って偶然だった。覗き窓があると、覗いてしまうのは人間の性なのか。

 教卓にもたれかかるようにして、ナナオとクレルが口づけを交わしていた。
 クレルの背中を抱くナナオの指に長い黒髪が絡んでいる。一度顔を離した彼らは、また、薄く開いた唇を近づけていく。
 余裕で生々しかった。
 このとき僕は、ここが架空世界で、彼らが架空の登場人物であることを完全に忘れていたと思う。

「シタラ君? どうかした」
「……いえ、何でも」

 先を進むコスモックル多羅に、小走りで追いつく。
 なんて現場を目撃してしまったんだ……。
 にが甘い興奮と罪悪感とが入り混じって襲ってくる。心臓の動悸はまだ収まっていない。

 二人は兄妹だよな……?
 いいや、兄は転生しているらしいから、今の身体に血縁関係はないのか。とはいえ、どうなんだ近親相姦は。もしや、この世界では普通のことなんだろうか。
 多羅氏に聞いてみる? でも、「どうしてそんなことを聞くんだい」と逆に聞き返されたら、どう答えよう……

「おっ、開いている部屋があったよ」

 悶々としていると、イタリア系の色男が嬉しそうに手招きした。

「ここを使ったらいいんじゃないかな、君。日当たりも良いし」
「……そこ、『部屋』じゃないですよね」

 扉無しのオープンすぎる部屋だった。
 部屋っていうか、〈休憩スペース〉だ。向かって正面と右壁に大窓がはめ込まれ、廊下よりも採光が取れている。
 ガッカリだった。
 物語の闖入者(ちんにゅうしゃ)である僕は、まともな部屋さえ与えられないのか。
 二階をひと回りし終えたところで、最初の階段ホールに戻ってきた。

「――三階があるんですか?」

 興味を惹かれたのは、階段がさらに上階へと続いていたからだ。

「出てみるかい? ちょうど風も収まっているし」
「風?」

 ありていにいえば、三階は〈屋上〉だった。
 風の勢いはそれほどでなく、砂塵も気になるほどじゃない。
 芝生が一面に敷かれており、灰色の世界のオアシスといったような風情がある。異質だったのは、緑地に生えた二本の円柱――

「〈大天文台〉と〈小天文台〉だよ」
「天文台……」

 よくよく観察すると、円柱の屋根はドーム型で、側面に出入り口らしきものが付いている。メンテ用だろうか、外壁に作り付けの梯子がある。
 大天文台のドアノブに手を掛けると同時に、中から人が飛び出てきた。

「おわっ」

 天使と見まがうばかりの美少年、ファム少年だ。
 大きな瞳で僕らをギロリと見上げるも、挨拶なしに走り去っていく。それは彼がシャイゆえか、それとも僕が嫌われているせいか、判別が難しいところである。
 少年の痩せた背中を見送りながら、多羅氏が言う。

「彼、星が好きなんだよ。昨夜もここで天体観測をしていた」
「へえ」

 美少年のご趣味は天体観測か。そっち方面はあまり得意じゃないが、星座のいわれの『ギリシア神話』なら、興味を持って研究したことがある。機会があれば話しかけてみよう。
 らせん階段を上がる。天文台はおそらく当時そのままの姿で残っていた。

「カセグレン式反射望遠鏡。カセグレンというのは考案者のフランスの司祭、ローランカセグレンから取られている。微光天体や昼間の惑星観測に向いている」

 とうとつにコスモックル多羅の博識が炸裂した。

「詳しいですね!」
「いや、パンフレットに書いてあった。ほら、そこにあるやつ」

 と思ったら、カンニングをしてやがった。
 パンフレットの見開きページに、科学館の全景が写っている。
 ともあれ、「三つのドーム」の正体が明らかになった。
 正面左から大天文台、小天文台、プラネタリウムの順で並んでいる。外から観たときは、ただ奇妙な館と感じたが、科学館ならば納得のラインナップだ。

「実際に観測できるんですか」
「もちろん」

 壁際の装置をがちゃがちゃとやる多羅氏。
 低いモーター音とともに、ドーム屋根のスリットが垂直方向に開いた。さらにドーム屋根が回転する。充分に機能しているようだ。

「ずっと疑問に思ってたんですけど――。この科学館って何年前に建てられたものなんですか。ほとんど老朽化が見られませんが」
「ロウキュウカって何だい?」
「え、古くなって使えなくなったりとか……しないんですか?」

 多羅氏はますます困惑したように眉をひそめた。

「やっぱり君は、どこか違う異世界から来た人なのかなぁ。君の常識では、年月が経つと建物が使えなくなったりするの?」
「じゃあ電気は? どこから引っ張ってきているんです」
「電気? ああ、もしかして動力エネルギーのことかい。だったら、永久供給式エネルギーの発明で二世紀前に解決したよ」
「……は、はあ」

 もう、いちいち驚くのは止めよう。
 老朽化しない技術や、新エネルギーが開発されている世界なのだ。どれだけ未来の設定なんだよ。
 せっかくだから小天文台にもお邪魔させてもらった。
 室内は屈折望遠鏡がスペースの大半を占めているが、記録用の事務机と本棚が備えてある。
 本棚には、コナン・ドイルやアガサ・クリスティなどの著作がずらり並んでいた。江戸川乱歩や横溝正史などなど……日本人作家の作品もある。
 多羅氏がひゅうと口笛を吹いた。

「古今東西の推理小説の名作が揃っている。素晴らしいコレクションだ。科学館のオーナーだった人の趣味かもしれないね」
「……推理小説」

 おおよそ科学館には相応しくないジャンルである。オーナーというか、作者の趣味だろう。法ノ月の。そこで、僕は今さらのように思い出す。

『ワールドエンド要塞の殺戮』が“本格推理小説”であることを――。
 推理小説、しかも『殺戮』とあるからには、これからここで凄惨な殺人事件が起こるのだろう。
 無意識に、ぶるっと背筋がふるえた。

 しっかりしろ。なにビビってんだよ。
 これは創作の世界なんだ。現実じゃない。

 情けない話だが、そう認識することで、理性を保つのに精一杯だった。
 この後、さらに僕を悩ませる恐ろしい疑問が浮上することになる。
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