05 カルチャーショック!

文字数 3,100文字

「『能力者』しか生まれなくなった……?」

 ええ、と柔らかい素材のブロックを弄びながら貴婦人は続ける。

「それ以前から、男性の人口減は深刻で人工授精が一般化しつつあったのだけど。(まれ)に生まれてくる男子はほぼ『能力者』だった」
「あの」

 僕は生真面目な顔で問う。

「そもそも『能力者』って何ですか?」

 ひどく初歩的な質問に、ミセスローズは、はっとしたような顔になった。
 そこから説明しなきゃいけないの? という失望がにじみ出ている。えらいスミマセン。しかし、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だからな。
 ミセスローズは小さく咳ばらいしてから、つたない口調ながら説明してくれる。

「『能力者』って呼称が使われるようになったのは、わりと最近のことよ。当時、あたしは大学病院に入っていた――何かの奇病と疑われて、調べてもらっていたの。妊娠してから肉体年齢が止まっていたし。槙村クレルちゃんともそこで会ったのよ。彼女も老化が異常に遅いから、同じ系統の奇病かもしれないって」

 病気じゃなくて、奇病か。
 原因も分からないまま検査され続ける日々は、どんな心境だったろう?
 ああ……。僕は邪念をはらう。創作世界の登場人物に同情してどうする。

「〈世界国守クラブ〉が台頭(たいとう)して、『能力者』の存在を認めたのは、その頃ね。クラブの責任者であるシスタ―が病院を訪れて、あたしとクレルちゃんを解放してくれた。あのときのシスター、なんと神々しく美しかったことか。もし、お腹の子が生まれたら、女の子には『ジェイド(翡翠)』と名付けようと思っているの。シスターのミドルネームよ」
「ええと、すみません。世界国守クラブって?」
「世界を統括する政党のひとつ。クラブのおかげで、それまで異端扱いされていた『能力者』は自由になれた。逆に、自由を失った、なんて色々とウルサイことを言う連中はいるけど。あたしは感謝している」

 うぅむ……。やはり現実の世界とは違う、特殊な舞台設定になっている。下手な先入観は持たないほうがよさそうだ。
 少しずつだが、僕に気を許してくれたらしい、ミセスローズはさらに教えてくれる。

「〈トロル〉もね、元は人間なのよ」
「……聞きました。人間が突然変異で巨大化したって」
「嘆かわしいことよね。人間同士で争うなんて」

 麗しい溜息を吐く貴婦人。

「最初はそんなに深刻な事態じゃなかったの。まだそれほど狂暴化していなかった数頭のトロルを、クラブは『能力者』として認定していた。でも、施設を脱走した彼らは、繁殖して増えた仲間を引き連れて首都街で人間を襲ったのよ! あれが悲劇のはじまりだった」
「人間を?」

 彼女は世にも悲し気な嘆息をして、

「私は直接目撃していないけど。人を食べた後の血と骨と内臓が散らばって……地獄絵図だったらしいわ。結局、クラブが能力者と協力して、数か月がかりでトロルを町から追いやって専用の住区を作ったってわけ」
「それが、〈危険区〉……?」
「そうよ。今回の討伐も、『討伐』って攻撃的な用語を使ってはいるけど、シスターの真の狙いは彼らの救済だった。いえ、きっとそうに違いないわ。ジェントルマン男爵と多羅氏の〈人体操作能力〉で」

 人体操作能力。怪しい用語が出てきた。ここはしっかり確認すべきだろう。

「具体的にどういう計画だったんですか。その、彼らの能力でトロルをどう討伐しようと?」
「男爵は肉体の大きさを変えることができる。多羅氏は肉体の時の流れをコントロールできる。トロルの巨体を縮ませることが出来たら、もしくは、無力な赤ん坊か老人にすることが出来たら、彼らは脅威じゃなくなるでしょ」
「なるほど」

 だんだんと話がみえてきた。
 討伐にしろ救済にしろ、シスター率いる世界国守クラブは、能力者を使って、凶暴なトロルを無力化しようとした。でも、失敗した。トロルに彼らの力は及ばなかったのだ。法ノ月の小説もたしか、トロルの討伐失敗辺りから始まっていた。

「ミセスローズは、クレルさんとシスター以外の方と面識があったんですか」
「皆、有名だから名前だけは存じていたけど。お会いするのは初めてよ。この機会がなければ一生お会いできなかったかもしれない。でも――」

 そこで妊婦の貴婦人は白い頬をぽっと染めた。初恋に浮かれた乙女のように。

「コスモックル多羅氏には、あたし、前々から興味を抱いていたのよ」





 午睡(ひるね)するというミセスローズと別れ、階段を上がって、白いタイル床のの廊下をさ迷っていると、コスモックル多羅に捕まった。

「空いてる部屋見つけたかい?」

 力なく頭を振ると、彼は呆れたように片眉を上げて、「仕方ない。一緒に探してあげよう」と申し出てた。手がかかるガキだぜ、とてもいう風に。
 ちょっとムッ。僕だって始終ぼおっとしていた訳じゃない。むしろ積極的に動いていた。別のものを捜していたのだ。

「あのぉ……トイレってどこですか」
「といれ?」

 多羅氏がおぼつかない発音で復唱する。そして、次のセリフは衝撃的だった。

「といれ、って何だい?」

 絶句する以外なかった。
 トイレって何だい? トイレって何だい? ――って!! そんな質問、こんなイタリア系色男からされるとか思わない。あまりのことに尿意が引っ込んでしまったじゃないか。

 待てよ。もしかすると、別の名称があるのかもしれない。トイレの代わりに。お嬢様学校風にいえば、お花を摘みに、とか? 駄目だ。わからん。

「えと、便所ですよ。小便とか、大便をする場所で」
「ベンジョーン? ショーベーンとダイベーン……? 僕はちょっと存じないけど、強そうな名前の御仁(ごじん)だね」

 そうか? いやいやいや。

「でも、食事をしたら、したくなりますよね」
「ショクジって何だい?」

 嘘だろ……? 僕は、二階の床がぐにゃりと曲がるような感覚がした。今まで普通に会話出来ていたはずなのに、どうして急に通じなくなったんだ。

「――それはもしや『摂取』と『排泄』のことか?」

 混乱が極まったところで、意外な御仁の助け舟が入った。
 整然と並んだ部屋の一室から、会話を聞いていたらしいジェントルマン男爵が顔を覗かせたのだ。

「大昔の人類は身体機能が未熟で、『摂取』『排泄』などという下劣な行為をしていたと文献で読んだことがある。本当に記憶が混乱しているらしいな」

 男爵は哀れそうに僕を眺めた。
 大昔の人類は、って。じゃあ、この世界の人間は「食べる」ことをしないのか?
 なんてこった。米を食えないなんて寂しすぎる!(僕んちの米は、ゆめぴ〇かで超ウマいのに!)
 そういえば、さっきから腹も空かないし、微かに感じていた尿意も忘れてしまった。
 こちらの世界に来ることで、僕の体も順応させられたということか。

 もしかしたら――
 ひとつ思い当ることがあった。

 僕はクラス替えのたび、クラスメイトのフルネームは勿論のこと、誕生日や趣味などのプロフィールを頭に叩き込んでいるのだが――調略にデータ収集は欠かせない――、法ノ月は去年まで「拒食症」で悩んでいたらしい。
 食べることに障壁を感じていた彼女だからこそ、こういう設定が仕込まれたのかもしれない。と考察してみる。

 あらためて気づかされる。ここは法ノ月が創った世界なのだと。
 僕は虚空を見上げた。見えない相手を見据えるように。
 法ノ月、観ているのか?
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