第1話

文字数 1,772文字

 ようやく太陽が昇ってくる。おれは目を細め、大きく深呼吸した。
 まだ部屋の中は薄青い。床に横たわる、あるいは壁にもたれた兵士たちは誰一人起きない。死んだように眠り込む彼ら。今は昨日のことも思い出すこともない。たとえ悪夢でうなされていようとも、目覚めれば記憶の輪郭は、昨日よりぼやけていることだろう。
 おれは疲れているのに、最近は一睡もせずに、こうして朝を迎える。昨日の記憶をそのまま止めたままに。あれが夢ならどんなにいいだろう。
 昨日もおれたちの敵である“やつら”と交戦した。

 もう2年も戦っていた。突然、北極圏の上空に雲のようなものが出現した。そのうちツンドラ地帯に苔のようなものができて、そこは緑に変っていった。やがて恐ろしい事件が起きた。木が人を襲ったのだ。いや、正しくは、開発会社が森林伐採をしていたとき、木のような形だった謎の生命体が得体のしれない触手を伸ばし、人を殺したのだ。知能も感情の有無もまったく未知なるその生命体は、今度は人間のような形に変化した。軍が武器を使い殺そうとすると、同じように武器を持ち兵士を襲い始めた。
 それが“やつら”だ。人間のような形というのは、パーツは人間のものと似ているが、顔は4面につき、すべての関節はどうでも動く奇怪さだからだ。恐ろしく醜い形相で、目が空洞のようで感情がなく、ただのコントロールされた道具のような化け物だが、実に効率のいい素早い動きをする。

 だが、おれのくっきりとした記憶には、別の姿がある。昨日のことだ。あれが夢ならどんなにいいだろう。そいつは普通に人間の形だった。おれたちの側にいた人間だった。
 本隊からはぐれたおれは、途中で合流したわずかな仲間と後退していた。同じ隊の幼なじみのミクニも戦闘ではぐれたまま連絡がとれない。衛星回線の故障なのか、それともやつらのせいなのか、通信機器が役にたたなくなっていた。
 昨日、同じ隊のシバノという男が合流した。彼も本部のある基地へと戻ろうとしていたのだ。おれたちは互いの無事を喜びあった。
 シバノはまだ新兵だった。入隊して1年たたずにこの地へやって来た。「自分で志願したんだよ」と、彼は言った。給料がいいことが理由なのは皆同じだ。おれも「金がいいから」と、ミクニに入隊を勧められたことがきっかけだ。
 だが、シバノの理由はそれだけじゃなかった。日常が「生きてる気がしなかった」のだそうだ。ならばまさにこの場所がスリリングでぴったりだろう。生きてるからこその死の恐怖を存分に味わえる。
 おれはそんな変態じゃない。死ぬのは怖いし、この場所から逃げ出してしまいたい。仕事をやめ無職だったおれが、ミクニに入隊を勧められて何の決意も、何の覚悟もなくなんとなく兵士になって2年、もう2年だ。
 シバノはおれにまっすぐなまなざしを向けた。
「国のためじゃない、敵がなんだろうとかまわない。ただ自分のために戦っている。いつかは辞めるんだろうが、今はこの一瞬を生きたい、それだけさ。シンプルに生きる、なあ、これってカコよくない?」と、にやりといたずらっぽい顔をした。おれはなんとなく彼から目を反らした。
 その直後に“やつら”と交戦になった。おれたちは条件反射のように、慣れた手つきで銃を構えた。あの姿が近づいてくる。まだだ、まだだ。あわてるな、もっと引きつけろ。心の中であせる自分に命じる。
 突然、おれの隣にいたシバノが大声をあげて、銃を乱射し始めた。
「おい!」
せっかくおびき寄せて確実にしとめようとしていたのにと、落胆半分、怒り半分でつい怒鳴って、隣を向いた。
 シバノはうめき、わめき、泣き叫び、いきなり大笑いする。ついさっきにやりとしたあの彼はどこにもいなかった。銃弾が飛び交い、爆音が響くなか、すっかり狂ってしまったシバノのその様を、おれだけが戦闘も忘れ唖然と見ていた。目を反らすことができなかった。
 しだいにシバノの頭部の皮膚が歪み、裂けていく。すべての感情が出たような叫び声とともに顔じゃない場所にも顔が出現し、関節があらぬ方向へ折れ曲がっていった。それは、見慣れた“やつら”の姿そのものだった。
 おれは何も考えられないまま、シバノを撃った。さっきまで親しみを込めて話していた彼に、何度も何度も弾を撃ち込んだ。何も考えられなかった。逃れたい一心だった。」
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