第6話

文字数 1,041文字

 目を開けると、うっすらと遠くに空と山の境目が見えていた。
 この時間はいつも嫌だ。しんとしたこの世界にいるのが、まるで自分ひとりのような気分になってしまう。ここに来るまではそんなことは思ったこともなかった。昔と言うことがずいぶん違う自分がいる。ほんと勝手なもんだ。

「洗濯機、まだあのままだよ」
 キエラだ。ほっとする。今日はゲームの話じゃなかった。
「ああ、そうだろな」
 洗濯機は水が漏れ、脱水の音がすごく大きかった。「早く買い替えないと」と、いつも母さんが文句だけは言っていた。誰が買うんだよ。

 おれの仕事の営業達成率は最低を更新し、唯一の営業同僚である後輩の新人にあっさり抜かれた。しかも得意先を取られて。
 おれの勤める小さな会社は、不況のなか経費節約が大命題だった。会社の事情は厳しく、ボーナスも0.5カ月に減った。

 ドライヤーが壊れて電器店に買いに行ったとき、カードを作ったらポイントがつくし割引もしますよと言われ、カードを申し込んだが、年収欄が7分類の前から2つ目だった。おれはわざと申し込み欄の3つ目に丸をした。さえないな、きっとこれからもこんなもんだろうと思った。

「上から押さえつけてたらいいよ」
 がたがた音をたてて揺れる洗濯機を思い出す。小学5、6年の頃から毎朝、洗濯機をまわすのはおれの役目だった。朝起きると、まず洗濯機のスイッチを入れる。それから食事の支度、母さんを起こし、歯磨きしながら2階にあがって服を着替え、妹の部屋の扉に貼られたメモを取る。音が鳴ると、急いで階段を下り、洗濯機を押さえつける。毎日毎日オートマティック工場のように作業をこなした。

「そうだね」と言って、キエラがふふっと笑った。「戦場で、洗濯機の心配してくれてるなんて」
「なんだよ、おまえが言うから」
「ううん、お兄ちゃんらしいなあって」
「なんだよそれ」
「夏休みにプール、毎日行ったよね」
小学校の頃だ。妹はまだ21なのに昔の話をする。
「私が飛び込んで、他の子に当たって怪我させたとき、必死に探したのに、お兄ちゃん、知らん顔して泳いでた」
「おれだって怖かったんだろ。2つしか違わないんだ」
「でも帰り道、私をぐんぐん引っ張って歩いたとき、その手がなんか、ごめんて言ってるみたいだったよ」
 
どきっとした。
 おれの妹はずっとこんなにやさしかったんだろうか。
「プールの金網の向こうに見えたダリヤ、すっごいきれいだったな。真っ青な空にダリヤが黒いほど真っ赤だった」
 ずっとこんなに心を持っていたんだろうか。

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