第5話

文字数 1,186文字

 携帯食料をひとつ口に放り込む。栄養のみを考えた素っ気ないものだが、少しだけ甘くしてある。それをがりがりと音をたてて噛んだ。真っ暗な中、その噛む音だけが大きく響いているようだった。少し身震いする。この寒さは短い夏ももうすぐ終わることを告げている。

 ずっと歩き続け、夜になって休憩をとった。火はつけない。もちろん携行電灯もつけない。これからどれだけこういう日が続くかわからない。少しでも節約しようということもあるが、目立って“やつら”に見つかりたくなかった。“やつら”が暗視するのかどうか知らないが、できないことも次の日には学習して、なんでもできそうな怖さがあった。

 それは、寒さのため、天候がいいときだけヘリで前線へ行き、短時間で別の隊と交替しながらの戦いだった冬、凍り付き動けなくなった“やつら”が、2年目には雪まみれや氷まみれでも能率的な動きがまったく変らなくなっていたからだ。それが意思なのか、本能なのかはわからないが、人間のようになろうとしているというより、効率良くこの環境に適合していこうとしているようだった。“やつら”は確実に進化していく。それも地球上の生命の進化の時の長さを笑うがごとく、ものすごいスピードで、まるで神のように。

 両肩を抱え込み、さすりながらじっと夜が明けるのを待った。
 キエラはまたやって来るだろうか。目を閉じる。眠れないが、目を閉じた。いつしかキエラを待っている自分がいる。 
 キエラはなぜ、今ごろ連絡をくれたんだろうか。いっしょにいたときはあれほど会話がなくなってたのに。
 
 妹がヒキコモリになったのは突然だった。忍び足で階段を下りてトイレに行くか、夜中に風呂に入る以外、部屋から出て来なかったから、おれはその間、ほとんどまともにキエラの姿を見てなかった。
 2階の閉められた扉のメモを取りにいくのが日課で、つながりはそれだけだった。机に「死ね」と書かれたとか、LINEはずされたとか、クラス中にハブられたとか、そんなことだったのだろうか。最初は理由が気になったが、聞くこともないまま、そのうち妹が扉の向うでどうしているとか考えることもなくなっていた。
 
 おれはコンビニで営業車止めて弁当を食べながら、金の心配をせず、ノルマの心配もせず、妹のお使いや家の用事も放って、母さんの言い訳やあれこれ頼みを聞かず、好きなことだけをしてずっと1人でいれたらどんなに楽しいだろうと、時々想像した。けど、ヒキコモリも妹優先だ。だからずっとネクタイをまっすぐ締めてるつもりだったんだ。

 いま思えば、扉の向こうのキエラと話すべきだった。あのころの妹には大変な問題だったはずなのに。話さないと家族でもわからない。母さんがなぜいつもおれとキエラのご飯や洗濯や給食費や参観日、運動会よりパチンコが大事だったのかもわからないように、人の心の中はわからない。
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