第6話

文字数 2,133文字

翌日、約束の時間より少し早く僕は散歩に出掛けた。たまたまあの陽光桜の樹の近くを通る。
誰もいないことを確認して、そして自宅で「らしくない行動」した自分を笑おう。会いたいわけでもないし、会えるわけもないし、今歩いているのは軽く運動する為だ。
そう考えながら誰もいないアスファルトの道を進む。

だんだんと陽光桜の所に近づいていく。
花びらがすっかり減って、かわりに増えた葉がサラサラと揺れているのが見えた。当たり前だけれど雪は影も形もない。

その樹の下にTシャツにジーンズ姿の女性がいた。腰ほどまであるつややかな黒髪が風に吹かれて揺れている。僕はその人と反対の道の端に寄って立ち去ろうと歩を早めた。
「雪也さんでしょ?」
鈴を転がすような心地いい声が拓也を呼び止める。
その名前を呼ぶのは1人しかいないけれどまさか。
無視して立ち去ろうか、反応しようか迷っていると、
「春子です、少し歩きませんか?この道をまっすぐ1キロほど」
そう言って春子が拓也の進行方向の1歩前に出た。拓也がついてくるかどうかを気にするように振り向いた春子のその目と視線がぶつかる。
「拓也ですけど……」
暗に人違いだと伝えるためにそう答えた。
「あぁ、雪也さんってのはハンドルネームでしたか失礼しました」
しかし春子は動じることなくそう返して、歩を進める。
ここで、人違いですと言うこともできたが、嘘をつくのは憚られた。なんとか言い方で相手が勝手に勘違いして欲しい。
考えながらほとんど無意識のうちに春子の後をついていく。
500メートルほど進んだところで、はたと気づく。
仲間のところへ連れていって、僕をどうこうしようっていう魂胆なんじゃないだろうか?
それは避けたい。リスクを回避するにはこのまま回れ右して帰るのが1番な事は明らかだった。帰ろうとして好奇心から、声をかけた。
「なんで、僕があの樹を撮ったのだと分かったんですか?」
それが気がかりだった。なぜそんなことが可能だったのか。
「あぁ、そっか。完全隔離世代だもんねぇ。気づくチャンスはそう多くないか」
春子は振り向きもせずに歩を進めながら続ける。
「端的に言うとあそこ以外の陽光桜を撮られる可能性が低いからです。……ゼロじゃないと思いたいけれど、恐らくはゼロでしょうね」

「ゼロ?だってこの国には沢山の陽光桜が点在してますよ?僕が住んでいる近くにないだけで」
おかしな事を言うもんだとそう返した。
「人が住んでる地域にある陽光桜はあれ1つなんですよ」
春子さんが事も無げに言った言葉の意味がわからなくて返事に困る。
「ねぇ。知らないまま、たまに何かモヤモヤしても無視して生きるのと」
黙ったままの拓也にかわって春子が続ける。
「そのモヤモヤの正体をつきつめてしまうのとどちらがいいでしょうか?」
「後者ですね」
間髪入れず答えた拓也の言葉に春子は驚いたように振り返り言った。
「リスクを避ける事が多い世代なのに随分積極的なのね?」
「モヤモヤをほっておくって何か落ち着かなくないですか?知識なんて調べたら大体わかることですし」
そう話した拓也に春子はがっかりしたように続けた。
「あぁ、知る前に戻りたい経験がないのね」
拓也はその言葉にムッとする。
「見たところ、僕とそんなに年齢が違うとは思えませんが、何を知っているんですか?」
女性に年齢関係の言葉はご法度だと知っているのにわざとそう付ける。
「あら?そんな若く見えますか?ありがとうございます。今年で45歳です。15年分の、隔絶されてない世界を知ってます。」
春子は怒るどころか微笑んでそう返す。意外な反応と、15歳年上とは思えないほど若々しい姿に驚いて、反応を返せなかった。

「さて、もう一度聞くけれど。知りたいのですね?」
真剣なトーンで春子に問われて、拓也は頷いた。
「ならこれは、あなたの責任で手に入れた情報です。なにも知らない人に現実を突きつける私の責任を半分下ろせて助かるわ」
後半は拓也に聞かせるというより春子の気持ちがそのままでたような口ぶりだった。

大体1キロぐらい歩いたかなというところで、春子が少し離れたところにある乗り物を指して拓也に聞く。
「あと、30キロほど歩くのと、知り合ったばかりの女のバイクの背に乗るのとどちらがいいですか?」
「えっ!?バイク?」
図鑑で知ってはいたものの、初めて見る実物に胸が高鳴った。どこかへ出掛ける習慣のない拓也。当然長距離を移動することもない。バイクや車はその見た目を観察する対象ではあっても、実際に乗る日が来るとは思ってもみなかった。1も2もなく了承する。
「ぜひ!乗りたいです」
「へぇ?もっと渋るかと思ってました。バイクの背に乗るってことは、命を私に預けるってことですよ?」
バイクの座席から取り出したヘルメットを拓也に渡して春子が確認する。
「命……」
急に友達ロボットの[遺伝性の病気が発症した]という言葉が甦ってくる。
拓也の反応をバイクに乗るのを躊躇していると捉えた春子が、
「時間はかかるけど、歩く?」
と提案してきた。
「いいえ、乗ります」
拓也ははっきりと春子の目を見つめてそう言った。
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