『ジエチル*エテンザミド@トリプトファン+』 中編
文字数 1,893文字
牛久に戻った勝也は、真っ先に喫煙所に駆け込んだ。電車内での寂しそうな表情は、これだったのかもしれない。
心配するだけ、損をした。
徒歩で、桃子が待つアパートに向かっている途中。
市民会館の掲示板に『小ホール、2時間〇万円』と、掲載してあり。メチャクチャ勝也は、ガン見している。
しばらくすると、突然走り出したのだ。
何か嫌な予感がする、嫌な予感しかしない。
そして馴染の楽器屋に入った。
かと、思うと数十分後。
揚々と、アコースティックギターを抱えて出てきたのである。しかも気持ちが悪い位の笑顔なのだ。
『やるぞー。この男は、又やらかすぞー』
しかし、アパートに着いた勝也は手ぶらで、アコースティックギターが見当たらない。
読めた……。
恐らく、知り合いのカラオケボックスに預けてきたのだ。
そして、桃子の誕生日に、単独ライブをプレゼントするつもりである。今回は、桃子に不評ながらも特訓中の『エアギター』では無く、アコギでの演奏を考えているのであろう。
『あさはか』の様な気がするが、金では無く『気持ちって、重要だよねー』って、勝也なら言いそうである。
桃子は、涼しい顔で帰ってきた勝也に。
「どこ行ってたの『ぶらーっ』と、出て行ったっきり、帰ってこないで」
スマホを見ながら、勝也と目を合わせる事なく聞くと。
「いや……。チョットな……」
意外と勝也は、役者であった。一切桃子に、今日の行動を悟られてはいない。
「あっ、そっ」
で、会話は終わった。
冷めたカップルの利点を、最大限に利用した、勝也に敬意を表したい。
その後、勝也はオリジナルの曲を制作しようと、奮闘した様であるが。二週間経っても、曲の題名しか出来ない。
発表ひと月前に、制作に取りかかかる男。これがあるから、勝也から目が離せない。しかもソロ演奏なのに、一週間もかけてバンド名まで考えたのだ。
バラシて良いものか迷うが、一様。
バンド名『リトマス*エチルフラスコ@アルギニン+』
『ジエチル』様は、ミネラルをプラスしたが、勝也の『リトマス』は、疲労回復要素をプラスした。
以前、勝也は『長ったらしい』『アホか』と言っていたが、勝也もアホであった。
更に、曲名『ラブユー桃子』
言葉が出ない……、言葉にならない……。
当日、曲を聞かされた桃子の顔を想像すると。なんだろう……、寒気がしてくる。
この曲名で一週間、バンド名で一週間。完璧に、無駄な二週間であった様に思える。しかし、その間に『会場の予約を完了させた』準備だけは、唯一のGoodjobである。
桃子の誕生日、一週間前。
「かっちゃん最近帰り遅いね。仕事、忙しいの?」
勝也に対して、無関心になりつつある桃子が、珍しく尋ねた。
「おぉ。まぁな」
勝也も、素っ気ない。
しかし今は、それで良い。余計な事を言うよりは、その返事で、残り一週間乗り切ってくれ。
桃子の誕生日、二日前。
「桃子……、明後日の朝8時、市民会館の小ホールに来てくれ。
俺は、先に行って待ってるから」
若干、表情に『キムタク』が、入り気味ではあったが、何とかバレずに、持ちこたえた様である。
しかし『朝8時』って……、早くね。
おばあちゃんの誕生日サプライズとしては、最高の時間帯であろうが。
通常で考えれば『オリジナル曲披露、そして感動のまま豪華ディナーで締める』の、流れが一般的であろう。
所が、朝8時だと『オリジナル曲披露、そして感動のまま吉牛』に、なりかねない。
恐らく、その時間帯しか空いていなかったのであろうが、誠に惜しい。
桃子の誕生日、当日。
勝也は、普段と変わらない感じで家を出た。
途中カラオケボックスに立ち寄り、アコースティックギターを、手に取ると。
「よし……、今日は、かましたるぞー」
気合が、みなぎっている。
それもそれで、不安になるが、今日の相手は桃子だけで、他に観客はいない。桃子の前だけでは、めっぽう上手くギターを弾ける、勝也の独壇場であろう。
勝也も余裕で、口笛など吹きながら、会場へ向かっている。
でも。
あれ……、ヤバイ……。口笛の曲『TOKIOのラブユーオンリー』だ。
『ラブユー桃子』≒『ラブユーオンリー』合致した。
こいつ、安易な道に走ってる。替え歌で、乗り切るつもりだ。
ともあれ、一週間でのオリジナル曲は至難の業であろう、勝也を責めるのはやめよう。
勝也は会場に着くと、ステージに椅子を一つだけ置いた。今日は、桃子だけに聞こえれば良い、アンプなしの生音である、準備は簡単であった。
そして控室で、最後の練習をしたのだ。