地下鉄/あるいは変梃な希望と絶望

文字数 1,563文字

次はどの街へ降りようか?
絶望を見ないフリして。
今ならどこまでも行ける気がする。
行けない気もする。




カラフルに張り巡らされた路線図を見あげてみる。
指ひとつで瞬時にわかるスマホの路線情報から、目をあげて。

僕にはもう毎日、行く場所も会う人もいない。

それは暑い夏に飲む、冷えたレモンサワーみたいな爽快な気持ちだし、べとべとした歯にまとわりつく、数時間後の不快感で叫び出したい気持ちもする。

今、この一瞬も地下鉄は動き続けている。
入り組んだ路線図を見ながら、地下鉄は、人生の経路と繋がっていると思った。

ーふらっと途中下車してみるのも、新たな発見があるかもね。

いや、今自分に明らかに酔っていた。
危ない危ない。
破滅への経路の可能性だってある。
可能性は、可能性。




ライフステージで、僕の路線は変化していく。あ、また自分に酔ってるかな。

上京したての頃、大学のある駅の地下鉄のホームは、まだ舗装されていたっけ。なんだか近未来的だった。
大学が終わるとそのまま、ライブや映画を愉しむために地下鉄によく乗った。 




僕は地下鉄ではYMOやKRAFTWERKを聴いていた。そのまま、未来へワープ出来そうな気がした。




都内で働き出した頃は、緊張した面持ちで、だけど期待と不安を抱いた、窓に映るスーツ姿の自分を見て、背筋が伸びて大人の仲間入りした気がした。

ーが、大人の仲間入りなんかしたくなかったよな。

ああ、一生中二でいたい。
いや、いたくない。
中二は中二でつらかった。
しんどかった。

生き地獄。
蟻地獄。





暗がりの地下鉄は、大人になった僕を未だ見ぬ景色へ誘ってくれる。
地方で育った僕は、地下鉄に乗ると未だにそわそわするんだ。
いや、不安で不安でぞわぞわするのか。


つい昨日、僕は8年勤めた会社を解雇された。
コロナ解雇だ。

あっけないよね。まさか、30の節目に仕事を失うとはね。
自分は総務省の統計の、失職した人みたいなのに載るんだろうか。
国内統計:完全失業者数に?
ただの数字として。
これが使い捨てソルジャーの成れの果て。
働き蟻の有体な蟻地獄。

まーテレワークもできない、しがない教育出版の、営業職よ。
成績も上がるかもわかんないような詐欺教材よ。
ノルマも営業成績も、今は昔よ。

いずれコロナでコロリだったかもしれないし。

今更、ワークにハローしたくないよな。
ハローグッバイ。
グッバイワーク。

でも、絶望感のなかに異様な希望を感じる。

なんだろうね、何も失うものがない、万能な感じ。
いや、これはこれでまずいんじゃないか?
失うものがない無敵の人、って最高にまずいよな。

30歳、無職、独身、一人暮らし、資産なし、恋人なし。
頭髪も薄くなり腹も出てる。

中二の時、30歳ってもっと真っ当だと思ってた。
でも、真っ当ってなんだろね?
誰かが決めてるのかな。
判を押してくれるのかな。

そんな僕は、次はどんな駅に降りようか?
先の見えない灰色の日々も、カラフルな路線図を見ると楽しくなる、なんて事態はそんな単純なことじゃない。

絶望感で打ちひしがれてる。

でも希望も感じる。
でも絶望も感じる。

ぼんやりとした不安、芥川はよく言い表している、と中学校の埃っぽい、図書室の片隅で思ってから16年くらい経った。
僕は万年中二病だ。

『或阿呆の一生』の文庫を、中二ぶりに地下鉄の車内で開いてみる。自分が一番愛している頁を読む。

ー架空線は不相変鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。





芥川があれほど欲しがった架空線の火花。
僕は未だ、架空線の火花を見たことはない。

火花は今、列車の車輪と線路の間を激しく散っているはずだ。

あの一瞬の火花は欲しい、気もするし欲しくない気もする。

ーまだ死にたくはないよな。


ああ、僕の路線は変梃。
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