社宅/あるいはクリスマス、サッカーの憂鬱

文字数 1,624文字

−耶蘇教の家の羨ましく
風琴の唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。

(萩原朔太郎)




僕が着々と歳をとり死に近付きつつある師走、世間は朝からワールドカップに盛り上がっていた。
自室の薄型テレビは何度も同じ映像を写し、僕は初めこそふーんと関心のある素振りを見せたが、正直あまり興味がなく、お椀に入れたフリーズドライの即席味噌汁を、ケトルで沸かした湯で溶き薄めた。冷凍しておいたご飯をレンジで解凍して、その間に梅干しを瓶から取り出した。
これが僕の朝飯のルーティン。
しかしリモコンでどの局にあわせても、全部サッカー一色で、僕は興醒めした。
いや、わかってる、わかってはいるんだ、こういう感情は大人じゃないんだ、僕はサッカーやワールドカップにただ興味がない、ただそれだけ。

でも会社に行ったらさも興味あるふりをしなければならない。

憂鬱になった。
肩身が狭い。
なに言ってんだいいオッサンが、と嗤われても、僕は憂鬱なんだ。

サッカーは昔から苦手だった。
なんでかな、わからない。
いやサッカーで勝つのは良いんだけど、なんか、あの一瞬で変わる人々の様子が怖いんだと感じる。全体主義の。
なんでかな、なんで僕は怖いんだろう。

単身赴任を始めて四年になる。
コロナも相まって家族とはあまり会えず、妻とは電話をたまにするが、高二の娘はあまりメールの返信をしてくれない。
そもそもメールはオワコンなのだろう。
いや、オワコンという言葉がもう終わってるのか?

形態安定のシャツに袖を通して、スーツに着替える。コロコロで埃を取る。ひとりだとだらしない、とか思われたくないからね。

厚手のコートでも寒い冬が到来した。
社宅を出て電車に乗るまでの間、ホームで待っていると薄着の20代くらいのカップルがイチャイチャしながらサッカーの話題でベタベタしていた。
イチャイチャしているカップルを見ると、微笑ましくも、苛々に苛まれる自分がいた。
わからない。
僕はもう一応結婚して、娘もいて、標準的な日本人の生活をしているというのにね。
なんで僕はカップルに未だに苛々するんだろう。
なんでかな、なんで僕は苛々するんだろう。
クリスマスは近い。

電車の中でも人々はサッカーの話ばかりしていた。
僕は憂鬱になった。
サッカーに興味がない自分。
カップルに苛々する自分。
いい年したオッサンがさ。
会社に着くのがますます嫌になった。

在宅勤務にまた、ならないかなと思った。あれはいい、雑談に加わらなくてもさほど気にされないから。

会社のある駅で降りる。なんだかわからないが、駅前で自撮りする若者がいた。
カメラ音がした。
僕はあれが苦手だった。
スマホのインカメラやシャッター音、あれがすると外食中も耳障りで興醒めして、せっかくのご飯の味もわからなくなる。
共有したくない。
僕は自分の生活を共有したくないのかもしれないね。

本当はもっと明るいことを書きたいのに、僕は憂鬱だった。
サッカーやカップルや自撮りや、クリスマスや、ありふれたものたちは僕を憂鬱にさせる。

大人になった、僕は十分に成熟し、サッカーに興味あるフリもカップルを微笑ましく見つめるフリも自撮りに気がつかないフリもクリスマスを楽しむフリもうまいよ。
でもね、大人になっても苦手なものは苦手なんだ。

僕は教室の片隅で文庫を読んでいた、窓の外からは活発なきらきらしたサッカー部の男子たちと、女子たちの嬌声が聴こえていた、鈍臭く人見知りな僕はそれらを遮断した、そして奇しくも冬、クリスマス、僕はちょうど朔太郎を読んでいた。


クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
風琴の唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。

(クリスマス 萩原朔太郎)

朔太郎は本当に羨ましかったのか?
ああ会社に着いた。
僕は一生をかけて、教室の片隅から出られるのだろうか?
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