川/あるいは彼岸と此岸

文字数 1,324文字

川は、彼岸と此岸を結ぶ場所だ。



橋の上から春の、柔らかな川のせせらぎを見下ろしている。のどかだ。
桜も辺りを賑やかに彩る。
川沿いではランニングや、犬の散歩をする人たちがいる。都会の喧騒から束の間、心を休める場所なのだ。






冷たい橋の欄干に寄りかかり、川のほとりの菜の花、ホトケノザなんかが平和に咲いているのを見ているが、私は川が怖い。
ここは一見、水位が浅く見えて案外深い川であるし、流れも早いのだ。
昔、入水自殺を遂げた人たちもいた、なんて噂もある。厭世家の文豪の真似をしたのだろうか?

川は、怖い。幼い頃から。
何故か?何故だったか。
私は自分のなかの、心の澱を見つめる。

幼い頃の夏休み、親戚の住む東北へよく遊びに行っていた。
海に近接する小さな町。そこには、たくさんの猫が住み着き、私は猫が大好きになった。





しかし、去勢手術が浸透していない田舎。
ある日、猫を追いかけていた私に、知らない大人が言った。

「産まれすぎた子猫は、川へ流していたんだよ。」

その地方では古くから、産まれたての子猫の間引きが行われていたようだ。
流された子猫たちは、カモメや外敵に食されてしまう。
それを聴いたときは凄く怖くて、でも平然と言ってのける大人たちの手前、何も言えなかった。
私は大人になるにつれ、その時のことを疑問に思うようになっていた。





−今思えば、間引かれたのは、子猫だけではなかったのかもしれない。

あの夏、親戚の家の帰り路、観光で遠野へ行った。




柳田國男と『遠野物語』に関する資料館に立ち寄り、そこでは高齢の語り部さん達が、茅葺き屋根の家で昔話や伝説を語ってくれた。

一人台に上がり正座で座っている語り部さんの目線は、椅子に座り語り部さんと対座した私たちと同じく、一対複数人でその話を聴いた。
その時は、河童の話だった。

私はそれまで、ハートフルでファンタジックな、現代の、人間とは違う妖怪としての河童の映画などを見ていて、わくわくした。
しかし、語り部さんの話す河童は、どうやら、妖怪というよりかは人間に近接していた。

河童とは、川に流されて間引かれた、異形の子供の姿−水死体を、大人が婉曲に表現した姿との説もある。
顔は赤く、指は三本、目は見開いている。




川とは、神が棲む聖域であり、古来より子供には、川には近づかない様にという言い伝えがあった。
間引かれた子供達は、神様にお返しされたのだ。
だから、今も「水子」供養と言う。

あの日、幼い私が聴いた子猫を川に流す風習は、子供を川に流す風習から来ているのかもしれない。

間引きはかつて、子沢山で貧困な農村部ではよくあった。役立たず、穀潰しは家族の手によって消された。

姨捨山伝説では、老人を山へ棄てに行くが、小さく非力な、生まれたての赤ん坊や子供は、川や海に流されてしまったのだろう。

目の前の、春ののどかに思えていた、川の流れは激しくなる。荒々しく流れる。
川の両端の桜の花々が風に吹かれ、ざわざわと翳り、やがて鈍色の空からは小雨が降ってきた。

ぼた、ぼた。

平和は即座に脅かされる。肌が冷たく、体が震える。私は上着と傘を持っていないことを後悔する。

ー川は、彼岸と此岸を結ぶ場所だ。

上着のフードを被って、私は足早に帰路へついた。桜が散りはしないかと心配しながら。
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