人物紹介(二)

文字数 5,419文字

■第十一服■
村田宗珠【むらた そうじゅ】
 □生歿年不詳
 文明十二年(西暦1480年)★〜永禄八年(1565)★六月廿五日 歿享年八十五歳★
 配役■阿部サダヲ
 村田珠光の婿養子、村田宗印の叔父で養父、宗治の祖父。珠光が創始した侘茶を完成させ、市中の山居を具現化した。
 永正七年(1510)、一休和尚三十三回忌に五〇〇文出銭する。宗珠とあり、これ以前に入道したと考えられる。
 大永三年(1523)、『君台観左右帳記』の写本を献上(水戸徳川本)。誰に?
 大永六年(1526)八月、独蘆庵・午松庵にて茶会。四畳半と六畳の数寄屋造りの茶室にて行われたもので、京の噂となる。弟子らも茶会を行い、互いに招きあった。
 天文十三年正月、青蓮院尊鎭法親王に『珠光秘書』の写本を献上。盆石に『松風』の銘を賜る。南禅寺の梅屋宗香撰。
 永禄七年(1564)八月廿五日、鹿苑院の仁如集堯が招かれる。

尊鎮法親王【そんちん ほうしんのう】
 生歿年■永正元年1504年〜天文十九年西暦1550年四七歳歿
 配役■新納慎也
 後柏原天皇の第五皇子。青蓮院門跡。母は豊楽門院勧修寺藤子。名は清彦。法諱を尊猷、のち尊鎮。天台座主に補された。能書で知られる。

■第十二服■
畠山稙長【はたけやま たねなが】
 生歿年■永正八年(西暦1511年)★~ 天文十四年(西暦1545年)五月(6月)十五日(23日)
 役者■山本耕史
 畠山尚順の子で、長経、政国、晴熙、晴国、基信、細川晴宣、細川氏綱室らの兄。幼名は鶴寿丸。通称は次郎。尾張守。大和寺殿。一般には『守光公記』永正七年四月廿九日条に「室町殿猿楽に当年二歳の畠山亀寿が饗応した」との記述がある為、逆算すると永正六年(西暦1509年)に誕生したとされるが、本作では、夭折した長子がいたとする★。高国が父尚順と関係が悪化しても、高国陣営から離反すること無く、河内を死守する。大永四年に足利義晴の新邸造営のため上洛を要請されるも、戦のため翌五年に義総とともに総奉行に任ぜられた。

畠山義総【はたけやま よしふさ】
 生歿年■延徳三年(西暦1491年)天文十四年(西暦1545年)七月十二日
 役者■吹越満
 能登畠山氏の第五代当主・慶致の子。義総は積極的な国作りを行ない、居城を七尾の城山に移して五大山城と称される名城・七尾城を建設した。この七尾城は後に上杉謙信の攻撃を一年以上耐え切ったことを見てもわかるように、天下でも屈指の堅城として讃えられた。また、義総は七尾湾と富山湾の流通を支配し、宝達金山の開発にも取り組んだ。義総は文化人でもあり、戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を積極的に保護し、さらには商人や手工業者にも手厚い保護を与えて、義総治世の七尾城下町は、小京都とまで呼ばれるほどに発展したという。
 天文十四年(西暦1545年)五月、畠山氏本家の畠山稙長が病死。稙長は生前、義総の息子を次の家督として迎えることを意図していたが、稙長の弟・政国の抵抗もあって、これは実現されること無く終わってしまった。七月、義総は享年五十五で病死すると、後を次男の畠山義続が継いだ。義総の時代は、能登畠山氏の全盛期であったが、歿後は重臣たちの主導権争いが始まり、畠山氏は衰退した。

上野一雲【うえの いちうん】
 生歿年■生年不詳
 長禄元年(西暦1457年)★〜享禄四年(西暦1531年)六月(7月)四日(17日)
 役者■鹿賀丈史
 細川元治。初名・元氏。永正の錯乱においては澄元を支持したが、澄元と高国が対立すると高国を推した。玄蕃頭家は領地がなく野州家に庇護されての奉公衆であり、高国の傅役でもあった。氏綱の氏は一雲の偏諱。当時は家中での公式な立場は尹賢と元治が対等であり、元治は一族の長老と言う立場と高国の最大の支持者であったため、この一雲と孫の国慶の支持が氏綱を京兆家の家督に押し上げる。

細川国慶【ほそかわ くによし】
 生歿年■永正八年(西暦1511年)天文十六年(西暦1547年)十月(11月)六日(18日)
 役者■菅田将暉
 細川刑部少輔元全の子。源五郎。玄蕃頭。大永三年(西暦1523年)に父・元全が死去して家督を継ぎ、その頃に元服をして細川京兆家当主である細川高国から偏諱を受ける。それ以降は祖父である細川元治が玄蕃頭家を切り盛りした。国慶は幼いこともあり、高国の小姓として仕え、色小姓ではないかと疑われた★。虎益丸とは仲が良い★。弟は左馬助綱慶★。

■第十三服■
藤田宗理【ふじた そうり】
 生歿年■不詳
 文明十八年(西暦1486年)★~天文十七年(西暦1548年)
 役者■柳葉敏郎
 村田珠光・宗珠の弟子。屋号は種屋★。籐兵衛は通り名★で、藤田兵右衛門行定★。松本珠報亡き後の珠光派のまとめ役★で、近江の藤田佐渡守綱行の一族★。藤田佐渡守綱行★は、高島七頭の平井氏の庶流、平井河内守頼氏(彦富城城主)の与力。大永五年(1525)に武野紹鷗と知り合い★、村田宗珠の茶会へと誘う★。それ以来、紹鷗の師となった。京洛中四条烏丸に住す★。

武野紹泡【たけの じょうほう】
 生歿年■文亀二年(西暦1502年)弘治元年(西暦1555年)閏十月(12月)廿九日(12日)
 役者■市川白猿
 皮屋新五郎(なか)()。因幡守。南朝の若狭武田氏の出で、父は武田信久であったが、流浪して三好之長に拾われ、二百町歩の土地を任され、糧秣商となり、武野仲久と改めた。大永五年(西暦1525年)、京に進出した皮屋の支店の名目上の当主として京四条室町通りにあった夷三郎神社の裏手に居を構える。夷三郎にちなんで大黒庵と号した。大永二年(西暦1522年)、堺(海会寺か?)で得度し紹泡と号すも、享禄五年(西暦1532)、京・大徳寺の古嶽宗亘のもとで出家し、紹鷗の法号を受けている。「枯れかじけ寒かれ」という連歌の概念を以て茶の湯に向き合う心としたが、紹鷗の目指したものは書院と侘数寄の融合であり、現在の侘茶とは違っていた。

■第十五服■
矢野宗好【やの そうこう】
 生歿年不詳
 役者■矢柴俊博
 香西元盛の右筆。弾正疎俊正★。細川尹賢の仲介★で香西元盛に仕えた。丹後の国人矢野氏は羽州の大名・小野寺氏の被官で、小野寺氏は加佐郡倉梯郷三十一町の守護不入権を持っており、矢野氏はここの代官であった。延永氏の没落に伴って勢力を拡大している。矢野氏が一色氏に仕えるようになった際に宗好は下野した★。

天竺国勝【てんじく くにかつ】
 生歿年不詳
 配役■眞島秀和
 細川尹賢の右腕。細川氏一門の奉公衆駿州家の分家。駿州家が天竺氏の本家で、天竺と細川の両方を名乗る。三河国幡豆郡天竺が本貫の地とされる。中務少輔国範の子で孫四郎、中務少輔、越後守。典厩家の家宰。兄・孫三郎国数(くにかず)★がいたが、外様衆天竺細川氏(兵部家)に養子へ入った★ため、国勝が家督した。越後守は、香西元盛誅殺後、尹賢が晴元陣営に転向して以降用いた。本作では尹賢と同年で、従弟にあたるとしている。子の国家は尹賢の転向後、兄国数の養子となり、兵部家を家督して兵部少輔を名乗る。

■第十六服■
岩崎源蔵【いわさき げんぞう】
 生歿年■永正八年(西暦1511年)大永七年(西暦1527年)二月十三日
 配役■板垣李光人
 柳本賢治が岩崎太郎左衛門の養子となったときの義弟。柳本賢治の妻は岩崎太郎左衛門吉永の遠縁で、源蔵はその弟。姉が養女になる際、猶子として岩崎家に入っていた。賢治が柳本氏を嗣ぐと、小姓として出仕する。香西元成が成人するまでの当主代行として柳本賢治によって上香西氏を嗣いで(もと)(たか)★と名乗ったが、大永七年の桂川原の戦いで討死している。

岩崎吉永【いわさき よしなが】★
 生歿年不詳
 配役■岸谷五朗
 岩崎太郎左衛門。柳本賢治の養父であったが、賢治が柳本雲州家を嗣ぐと家臣となり、享禄二年五月廿六日に九条邸に賢治の名代として赴き、九条稙通に謁見している。吉永の諱はオリジナル。

香西宝蔵【こうざい ほうぞう】★
 生歿年■大永三年(西暦1523年)永禄三年(西暦1560年)
 配役■
 のちの香西越後守元成。天文年間に活躍する香西元定の子・元成とは別人。混同されているが、香西元盛と香西長治の女の間に生まれた。香西源蔵元敬を中継ぎとしていたが、大永七年に元敬が亡くなったため当主となる。幼名の宝蔵はオリジナル。

■第十七服■
日演【にちえん】
 生歿年■不詳~天文五年(西暦1536年)
 配役■寺田農
 堺にある法華宗の末寺頭・顕本寺の住職。永正八年(西暦1511年)に日倫上人が亡くなると、住職となった。

松永久秀【まつなが ひさひで】
 生歿年■永正五年(西暦1508年)天正五年(西暦1577年)十月(11月)十日(19日)
 配役■吉田鋼太郎
 摂津国島上郡五百住の豪族・松永孫左衛門尉久幸の庶子。彦六郎。諸国漫遊の旅にでていたが、大永六年に帰郷し、父に顕本寺の日演へ使いを頼まれたことから、千熊丸・志郎丸と縁を持つ。のち、千熊丸が堺を退去すると、三好之秀に招聘されて右筆となる。

■第十八服■
波多野秀忠【はたの ひでただ】
 生歿年■永正六年(西暦1509年)★〜天文十七年(西暦1548年)
 配役■飯田基祐
 波多野元清の子。大永五年から病勝ちになった元清に代わって家中を率いている。叔父の賢治とは十歳しか離れていない。丹波統一が悲願。

■第十九服■
三好長尚【みよし ながなお】
 生年不詳〜天文九年(西暦1540年)六月(7月)十九日(22日)
 配役■西田敏行
 新五郎、越後守、越後入道宗安。三好長行の次子で、之長の異母弟、之秀の異母兄。新五郎長久、彦六郎長家、新五郎政長の父。細川高国に仕え、兄・之長と通じる。榎並城城主。

三好長家【みよし ながいえ】
 永正四年(西暦1504年)★〜享徳二年(西暦1528年)
 配役■平山浩行
 彦六郎★、左衛門尉、左衛門佐。新五郎長久の弟で、政長の兄。越後入道宗安(三好長尚)の次子。桂川原の戦いで樊噲・張良に並ぶほどと称され、以後、軍略の中心になるかと思われたが、戦傷が悪化し享徳二年(西暦1528年)頃に歿した。

三好政長【みよし まさなが】
 永正八年(西暦1508年)天文十八年(西暦1549年)六月(7月)廿四日(18日)
 配役■永山瑛太
 新五郎、越後守、善長寺、半隠軒宗三。越後入道宗安の三子。新五郎長久、彦六郎★長家の弟。剛勇に優れ戦に強く、桂川原の戦いでも武功第一とされた。兄・長家が歿すと家督した。

畠山順光【はたけやま のぶみつ】
 文明十一年(西暦1479年)★〜大永七年一月廿日
 配役■妻夫木聡
 足利義尚・義稙に仕えた同朋衆・木阿弥の子。幸子丸。明応二年(西暦1493年)の明応の政変の際、上原元秀の邸宅で軟禁された義材の世話をした。六月廿九日に義材が越中へと逃れると、父・木阿弥ともに越中へと下向している。そして、幸子丸は入名字として畠山氏を与えられ、与次郎順光を名乗ることとなった。「順」の字は畠山尚順からの偏諱である。明応七年(西暦1498年)九月に、義尹と名を改めた公方とともに順光らは越前一乗谷へと移動、翌八年(西暦1499年)には、河内国で挙兵した畠山尚順に従った。永正五年(西暦1508年)六月には、義尹が京都へ帰還すると、順光も上洛する。その後、永正十八年(西暦1521年)に義稙が出奔するとこれに従い淡路に下向した。義稙が歿すると養子となっていた義賢に仕え側近となる。大永七年一月廿日、畠山義堯に殺された。

可竹軒周聡【かちくけん しゅうそう】
 生年不詳~天文二年二月九日
 配役■六平直政
 細川讃州家の一門であるとされる細川紀州家の出身というが、本作では細川紀州家が光勝院の住職家とする★。雲臥周適に師事し、細川晴元の軍師となる。堺幕府の主導者であり、晴元単独の管領家、義維単独の将軍の構想を崩さなかったが、天文二年二月九日に一向一揆が堺を襲撃した際に死亡した。

三好長基【みよし ながもと】
 文亀元年(西暦1501年)享禄五年(西暦1532年)六月(7月)廿日(22日)
 配役■米本学仁(たかと)
 仮名は彦四郎、官途名は主膳正、筑前守。三好元長。本作では初名、長基★。晴元より偏諱を受けて元長と改名した★。歿後は南宗寺殿。史実では長秀の子とも之長の子とも言われますが、作中では之長の末子としています。巨漢で熊とも呼ばれた元長は、鎌倉度の13人で工藤茂光役の米本学仁しか()れないと思いますね。また、長基は後に名乗り替えをしたと言われて居ますが、元長は晴元と仲違いして阿波に帰国しても陣営が変わった訳ではなく、名乗りを変える必要があったとは思えないので、初名ということにしました。

■第二十服■
日野内光【ひの うちみつ】
 生歿年■延徳元年(西暦1489年)大永七年(西暦1527年)二月(3月)十三日(15日)
 配役■橋爪淳
 戦国時代の公卿。徳大寺実淳の次男。官位は正三位・権大納言。日野家二十六代当主。初名、高光、澄光、内光。明応四年(西暦1495年)、日野家二十四代・日野勝光の子・政資が嗣子なくして没し、その生前の遺言によって養子に入り日野家を継いだ。義高からの偏諱で高光、改名して義澄となると澄光と偏諱を二度受けほどの側近だが、内光は義澄を好かなかったのか、義稙が将軍となると内光に名乗りを改めている。細川高国の父・政春の母が大徳寺公有の(むすめ)で、実淳の妹に当たり、高国が将軍を傀儡にしつつ朝廷と上手く付き合うことが出来たのは内光の存在が大きい。桂川原の戦いで敗走中に討死した。子に晴光がいる。

荒木定氏【あらき さだうじ】
 生歿年■生年不詳〜大永七年二月十二日
 配役■光石研
 綾部城城主。荒木基氏の嫡子。彦八郎、大蔵大輔、安芸守。荒木村重の祖父。子に弓兵衛氏綱・兵部兵部大輔氏義、美作守氏元(村正・重元)、信濃守義村。丹波衆のまとめ役で高国の馬廻衆を務める。神尾山城の戦いで戦功を挙げ、安芸守に任じられた。桂川原の戦いで高国を逃がすために殿軍となり、手勢十四人とともに討死した。

荒木氏綱【あらき うじつな】
 生歿年■生年不詳〜大永七年二月十二日
 配役■平埜()(なり)
 綾部城城主。九郎兵衛尉。弓兵衛とも。定氏の嫡子。子に久左衛門氏兼、山城守氏香がいる。

一宮成孝【いちのみや なりたか】
 生歿年不詳
 阿波一宮宮司家当主で、小笠原一族。宮内大輔。妻は三好之長の(むすめ)。子に長門守成助、水主兵庫助光孝、信濃守成時、和泉守成次。細川讃州家の重臣の一人であるが、三好氏と二代に亘って婚姻を結ぶなど、三好氏寄騎として活躍していく。
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