5 お祖父ちゃんのスプーン

文字数 1,143文字

 みーちゃんは転ばないように階段をたいていゆっくり降ります。階段の壁にはモネの『花瓶の花』の複製がかけられています。これはお母さんの趣味です。1階に着いたみーちゃんは給食の後からずっと水分を取っていなかったことに気づきます。
 ──のどが渇いちゃったなあ。
 台所に入り、緑の大きなツー・ドア式の冷蔵庫を開け、ドアポケットにあるピンクのガラス製の麦茶ポットを取り出します。夏になると、みーちゃんのうちの冷蔵庫には、いつもピンクとブルーの麦茶ポットが二つ冷やされています。
 みーちゃんはポットを持って流しに行きます。そこに置いてあるコップ立ての鬼剣舞の絵がついた地域限定ワンカップのコップを取り、その5分の4くらいの高さまで麦茶を注ぎます。それを3回にわけて飲み干します。
 ──おいしー!よく冷えてるなー!
 みーちゃんは飲み終わったコップを水道の水で軽くすすいで、青い水切りにおこうとします。
 ──あれ?お祖父ちゃんのスプーンが出しっぱなしだ。
 そのスプーンの柄には「U.S.N」と刻まれています。金属製で、古びて、少々曇った銀色をしています。刻印の他に、形状にも特徴があります。皿状の部分は幅広であるけれども、底が浅いのです。それに、柄は厚みが薄く、扇状に広がっています。角も装飾もありません。個性的なデザインです。
 これはお祖父ちゃんのスプーンです。他の人は使用しないようにしています。でも、みーちゃんは特別感に憧れて、このスプーンをこっそり使うことがあります。それで味わったらすぐに洗って、食器棚のスプーンを入れている引き出しに戻しておきます。
 そのスプーンがシンクに放置してあるのです。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは昼ご飯を食べても、食器を洗わず、シンクに置きっぱなしにしています。仕事から帰って来たお母さんが洗うのです。
 シンクには、ご飯とお汁のお茶碗、お箸、中皿、小皿がそれぞれ二つずつあります。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはお昼にスプーンを使う物は食べていません。考えられるのは、お祖母ちゃんが食後にとる健康食品を計るのに、無頓着に、それを選んでしまったということです。確かに、計量カップと金属製のボウルもシンクにあります。
 お祖母ちゃんは健康マニアです。よく健康についての雑誌を買ったり、番組を見たりしています。クロレラや養命酒を飲んでいたこともあります。これはこういう効果があってか健康にいいと家族にも教えたがります。けれども、たいてい聞き流しています。お祖母ちゃんは飽きっぽいからです。1週間もすれば、別の健康話を始めます。
 ──そういやあ、最近、スイマグとか何と言ってたな。それかな~?


煙草のけむりも もつれるおもい
胸の振子がつぶやく
やさしきその名
(渡辺真知子『胸の振子』)

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