13 『ブラック・ジャック』みたい

文字数 5,607文字

 「お祖父ちゃんに聞いたの?」
 食器洗いをしているお母さんが後を振り向き、みーちゃんに尋ねます。みーちゃんはお母さんとお父さんに宿題のことを説明し、夕方、お祖父ちゃんに話してもらったことを伝えます。
 「お父さん、お祖父ちゃんの足の傷、沖縄でなんでしょ?帰ってくる前に知ってた?」
 みーちゃんがそう尋ねると、お父さんはお汁茶碗を拭きながら、こう答えます。
 「足なくなったって噂を聞いてらったな」。
 「え?足ないって聞いてたの?でも、あったわけでしょ?」
 戸惑うみーちゃんに、お父さんは笑いながら言います。
 「だがら、帰ってきて足があったのを見て、びっくりしたな」。
 「よかったじゃない」。
 お父さんは、口を少しとがらせたみーちゃんに、落ち着いた口調で語り出します。
 「いや、でもね、帰って来てからも、痛がるんだよな。迫撃砲の破片が貫通したのもあれば、足に残ったのもあったし、骨も削れてたからな。それで、ひいばあが祖父さん連れて、祖母さんそんなことしねがら、医者に診せたんだな。どこだったかな、外科に診てもらったら、『これは切るしかない』って言われだのさ。そしたら、今ならこんな言葉使えないけどさ、ひいばあちゃんが『うぢの大事な跡取りを方輪にでぎっか!』って大変な剣幕になってな、『おらがいい医者探すてみせる!』って啖呵切ってな」。
 「跡取りって、お祖父ちゃん、婿養子でしょ?」
 みーちゃんがお父さんにそう突っこみます。
 「そうだよ」。
 「どうして結婚したの?」
 「昔は親たちが決めるから。休暇で満州から戻ってきたら、縁談が決まってたって」。
 「でも、もう兵隊だったんでしょ?だったら、断ろうと思えば、断れたんでしょ?」
 「なんか、祖父さんは、結婚しても苗字変わんねがらいいがなと思ったって言ってたな」。
 「同じなの?」
 「そう」。
 「いくつの時?」
 「えーと、祖父さんは26かな。で、祖母さんは10離れでるから~、16か。んで、新婚旅行は盛岡のホテル小田島、昔は小田島旅館って言ってたらしいけど。その翌年に、お父さんが生まれたんだな」。
 「お父さんの名前をつけたのはお祖母ちゃん?」
 「いや、お祖父ちゃん。大山郁夫からとったって聞いたな」。
 それを聞いたお母さんが会話にこう割りこみます。
 「え?でも、お祖父ちゃん、確か……でしょ?なんで社会主義者から息子に名前をとったの?」
 お父さんがお母さんに向かって、小皿を拭きながら、解説します。
 「まあ、尊敬してらったって言ってだな。農本主義的社会主義者で、無産政党の代議士だったんでねがったかな。ただ、ほれ、あそこね、統制派だから、計画とか革新とかで社会主義と親近感があって、ちょっと事情が複雑らしいんだ」。
 「そうなの?」
 「まあ、昔の軍隊は、出身地で配属決まったらしいんだ。ほれ、テレビもないし、映画やラジオもそれほどでもねえがら、方言だけで育ってる人が多いんだ。だから、日本語を話す人同士でも、なかなか難しいわけさ。軍隊で、それは困るもな。だから、出身地別に配属。関東軍は、ほれ、板垣征四郎大佐が同郷の岩手、石原莞爾中佐が山形と東北が多いから」。
 「ふーん、だからか」。
 お母さんの納得した表情を見て、お父さんはみーちゃんの方を向きます。
 「まあ、話戻すと、それで、方々探したけど、どこでも『切るしかね』ってんだよ。そんで、ただ、松田産婦人科、あの人元軍医だから、診てもらったらさ、『俺なら、足切らないで治してみせる』って言ってくれたわけよ。そして『おねげえします』よ」。
 「治ったの?」
 「だから、足がついてんのよ」。
 「いつ頃のこと?」
 「ほら、祖父さんがよく鼻歌で歌っている霧島昇の『胸の振子』とか流行った頃じゃなかったかな」
 「その後は?」
 「そっからはお母さんの方が詳しい。な?」
 お父さんが向かって微笑むと、お母さんはニヤリとします。
 「うん」。
 みーちゃんも興味津々です。
 「話して」。
 お母さんは食器洗いを辞め、手についた洗剤をお湯で流します。それから、手をキューピーマヨネーズのエプロンで拭いて、おもむろに話し始めます。
 「私がお嫁入りしてからの話なんだけど、ひいばあちゃんに、松田産婦人科に、年末に、野菜届けてくれって言われたのよ。あそこに誰も行ってないから、ちょっと不思議だった。『いいですけど、何でですか?』って聞いても、『まんず、よろすぐ頼むっちゃ』としか言わないのよ。こっちは嫁だからさ、『はあはあ』とさ。毎年、新嘗祭、つまり勤労感謝の日辺りに、白菜だなんだってクルマに積んで届けたわけ。本当はお祖母ちゃんがやらなきゃいけないことじゃないかって思ってたけど」。
 お父さんが腕を組んで、うなずきます。
 「んだ。祖母さんがやんなきゃいけねえんだよ。でも、やんねんだよなあ~」。
 これにはみーちゃんも驚きです。
 「何もしないの?」
 お母さんは冷ややかに断言します。
 「しない」。
 みーちゃんには信じられません。
 「見てるだけ?」
 お父さんが付け加えます。
 「見てるだけでなく、手出したりするな」。
 「手?」
 怪訝そうな表情をするみーちゃんに、お母さんがこう解説します。
 「お祖父ちゃん、お祖父ちゃんのこと叩くからね。お祖父ちゃん、ヘラめくところがあるから、よく舌禍事件なんか起こすの。そうするとさ、お祖母ちゃんが『またヘラヘラって!!』とやるわけ。お祖母ちゃんは外面いいもの。『そうだすな~』とか合わせたり、黙ってる。絶対ヘラめかない。世間体がすべてみたいな人だから、もう。だからね、余計ね」。
 みーちゃんにはまったくの初耳です。想像すらできない話です。
 「えー!お祖父ちゃんは反撃しないの?」
 お父さんは首をひねりながら、こう言います。
 「祖父さん?あの人、手あげねもん。お父さんもな、手あげられたことねえな」。
 お母さんは、場を落ち着かせるように、またゆっくりと話し始めます。
 「まあ、ともかくさ、話を戻すと、ん~、ああいう大きい家だから、お手伝いさんとかいるわけさ。野菜持ってくと、お手伝いさんが出て来て、『その辺に置いておいてください』なんて感じでさ、こっちは『はあはあ』とか言って置いてくるわけ」。
 「へー」。
 「で、ある年、あれ何年前だっけ?」
 お母さんがお父さんにそう助けを求めます。
 「何年前だったかなあ~。俺も、思い出せねーな~」。
 頼りにならないので、お母さんはそのまま話を続けます。
 「いつものように届けに行ったら、お手伝いさんじゃなくて、奥さんが出てきたのよ。上品そうな人でね。『あの~、功さんのところのお嫁さんですか?』って言うから、『そうです』って答えたのね。そしたら、『いつもありがとうございます。でも、松田は亡くなりましたので、もう結構ですよ』って言うから、『どういうことなんですか?』と聞いたのよ。そしたら、奥さん、『あ、聞いてらっしゃらないんですね?』と。『はい。何も聞いていません。これはどういう事情なんです?』と言ったら、『わかりました。じゃあ、ちょっとお話ししましょう。どうぞお入りください』と家の中に招待されたのよ」。
 「そこで、さっきの話を聞いたんだよな?」
 お父さんが待ってましたとばかりに合いの手を入れると、お母さんはわかってますという顔をします。
 「そう。それで、当時は終戦直後の混乱期だから、医療の診療費とか手術代もあやふやだったわけ。おまけに、すごいインフレでね、それで、治療費を払った後もね、ひいばあにすれば『ありがどごぜました。このご恩は一生忘れません。何とすてもお返すせねど』って毎年野菜届けたわけよ。私が嫁入りする前までは自分でやってたの。お祖母ちゃんは『なんすてそったなごどせねばねってや』ってやらないから」。
 「今も届けてんだよ、『やめて結構です』と言われて、『はい、そうですか』とすぐにやたら、『待ってました』と言ってるみでだがらさ、ま、俺としてはさ、ひいばあが生きてる間は続けるつもりだな。ただ、もらっても、どうだったんだろうな、向こうとしては?」
 「最初は助かったと思う。やっぱりすぐに価値変わる金より現物の方が。だけど、貨幣経済が復活するとさ、そんなには助かってはいなかったと思う。ただ、気持ちだよね。気持ちの問題。ずーっとさー、忘れないで恩返しを続けんだから。その辺は嬉しかったんじゃなかったかな」。
 この話を聞いて、みーちゃんは、あのマンガを思い出します。
 ──まるで『ブラック・ジャック』みたい!
 みーちゃんのうちには手塚治虫の『ブラック・ジャック』の少年チャンピオン・コミックス単行本がそろっています。大兄ちゃんが買ったものです。その中に第89話「おばあちゃん」という物語があります。
 ブラック・ジャックがクルマで通りかかると、エンコした男性が助けを求めます。クルマに乗せ走り出してすぐに男性は彼がB Jと気づきます。男性は、うちの年寄りが日本には名医が二人いて、一人はBJで、もう一人が甚大先生といつも言っていると話します。自宅に送ってもらった男性はBJに家に上がってもらい、年寄り、すなわち「おばあちゃん」を紹介します。
 おばあちゃんはBJに嫌味を言って、奥に引っ込み、男性の妻に留守番代をせびります。BJが退散した頃、おばあちゃんは仏壇に手を合わせています。すると、突然、足が突っ張ってしまいます。これは、実は、病気の兆候です。
 おばあちゃんはカネにがめついのですが、その使い道に息子夫婦は疑問を抱いています。貯金はほとんどしていません。時々ふらっと外出することがあるのですが、その時はいつもガックリとして帰ってくるのです。
 帰宅したBJは電話をかけ、甚大医師について調べます。名医ですが、一匹オオカミ、べらぼうな治療費を請求する変人で、20年前に亡くなったと知ります。BJは甚大医師の自宅を訪問すると、夫人が健在で、生前のことについて語り出します。その変人ぶりに患者も一人を除いて敬遠していきます。その奇特な人がおばあちゃんです。
 おばあちゃんは嫁とケンカになり、外に出て行ききます。息子が後をつけると、おばあちゃんは甚大先生の家を訪ねます。BJと話していた夫人は席を外し、玄関で応対します。これで最後と夫人にお金を渡します。肩の荷が降りたと告げたおばあちゃんは玄関を出ると、よろけてしまいます。
 夫人がBJにこの事情について明かします。それを息子が窓の外から覗き見しています。今から30年前の話です。おばあちゃんの息子はニーマン・ピック病です。ニーマン・ピック(Niemann-Pick)病は常染色体劣性遺伝形式を示す遺伝病で、A・B・Cの三つの型があります。物語では詳細が不明なので、何型かはわかりません。
 この疾病を昭和20年代に治したとすれば、その医師は間違いなく名医です。先生は治療費1200万円を請求します。財産を売り払うなどさて工面したものの、500万円不足りません。おばあちゃんは一心不乱に働き、コツコツと治療費を払い続けます。夫人が甚大医師の亡くなった際に、夫人がもう十分と申し出ましたけれど、おばあちゃんは最後まで支払うと告げます。今回がその最期の支払いです。
 それを聞いていた息子が泣き出し、二人が気づきます。息子が追いかけると、道端で倒れているところを発見します。脳溢血です。甚大医院に運び、診察したBJは息子にこう告げます。「治る見込みは少ない。90%命の保証はない。だが、もし助かったら、3,000万円いただくが…あなたに払えますかね?」
 すると、息子はこう力強く答えます。「一生かかっても、どんなことをしても払います」。ブラック・ジャックは、それに対して、こうつぶやくのです。「それを聞きたかった」。
 この「おばあちゃん」は『週刊少年チャンピオン』1975年9月7日号に掲載されています。その時から30年前と言うと、1945年になります。おそらく敗戦直後の時期でしょう。おばあちゃんは戦争未亡人かもしれません。
 同じ1万円でも、1945年と1975年では、価値が違います。日本銀行金融研究所が1981年に発表した『貨幣年表』の卸売物価指数を参考にすると、1932~34年を1にした場合、1945年が3.50、1975年は627です。これですと、1945年の1,200万円を1975年の価値に直せば、12億円をはるかに超えてしまいます。
 ただ、1950年であれば、この値が247になります。30年前ではなく、25年前という設定なら、請求金額1,200万円に無理がありません。もちろん、それはこの物語の芸術的価値を下げるものではありません。
 『ブラック・ジャック』は、生命を救うことに悩む天才的外科医ブラック・ジャックを主人公にした医療マンガです。『週刊少年チャンピオン』に1973年から78年まで連載され、79年から83年まで不定期に掲載されています。大兄ちゃんが少年チャンピオン・コミックスを全巻そろえています。大兄ちゃんは手塚治虫の大ファンで、講談社の手塚全集の第1回配本を予約した人がもらえる「手塚漫画300作品禅カタログ」も持っています。もちろん、みーちゃんも手塚マンガが大好きです。
 みーちゃんは、初めて読んだ時、内臓や手術の描写がリアルで気持ち悪いと思いましたが、話がおもしろくてすっかり魅了されています。毎回読み切りで、社会的な事件や出来事が盛りこまれ、手塚マンガのキャラクターが登場します。必ず心に残るセリフがあって、みーちゃんはそれがかっこいいなと思っています。生命について考えるのに、大人と子どもの区別はないのです。


何も言わずに 二人きりで
空を眺めりゃ なにか燃えて
(由紀さおり&安田祥子『胸の振子』)

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