第8話 (番外編・映画ラストエンペラー)ベルナルド・ベルトリッチは悪くないけど

文字数 2,313文字

              2021・3・04

 先日「ミドル丈の厚底ブーツ」を履いている女子達を見ていて、清朝の後宮達が履いていた、「花盆底靴(かぼんぞこぐつ)」の事を思い出したせいで清朝物の映画を観たくなった私は、昔懐かしい名作をレンタルDVD屋さんで借りて来た。
 1988年公開の愛新覚羅溥儀(アイシンギョロプーイー・あいしんかくらふぎ)を主人公にしたラストエンペラーである。
 ベルナルド・ベルトリッチ監督の手に拠るこの映画を知らない人は、仮に平成生まれの人を含めても居ないのでは無いかと思う。
 アカデミー賞を始め映画に関する賞と言う賞を総嘗めにした作品である。  
 久し振りに観たがやはり名作だ。
 目茶苦茶に面白い。
 しかし何度か観る内に特筆すべき点を発見。
 それが再鑑賞の初回では笑えるシーンが2点程有ったので、当初番外編では無く通常の笑えるエピソードとして披露しようと思っていた。
 ところが再鑑賞二度目でとんでもない誤りに気付いてしまい、笑えなくなったので番外編として披露する事にしたのである。

 先ず笑えるシーンは、愛新覚羅溥儀の弟溥傑(プゲェ・ふけつ)の妻で嵯峨侯爵家から輿入れした浩の髪型が、常に大垂髪(おすべらかし)を模した変な髪型なのである。
 恐らく公家出身の浩が婚儀の際に、大垂髪を結っていた写真を参考にしたものと思われる。
 TPOを全く無視し、常に婚礼時の大垂髪なのだがら笑える。  
 そしてもう一点愛新覚羅溥儀が大満洲帝國皇帝として臨んだパーティーで、浩が妊娠しているシーンが有り、何と妊婦である浩が振り袖を着ていて、その際も尚髪型は大垂髪なのだ。
 笑ったの何の。
 と、しかしその後二度目に観返した際、とんでもない誤りに気付いたのだ。

 冒頭西太后に拠って推戴された愛新覚羅溥儀の大清國皇帝即位式での事、詔書に御璽を押すシーンが有るのだが、そこには、「宣統元年十一月初九日」、と、日付が記されていた。
 これは極めて正鵠を射ている。
 溥儀が帝位に就いた宣統元年は1908年。
 即位した日は新暦の12月2日。
 この日は旧暦で11月9日になる。
 つまり、「宣統元年十一月初九日」、は至極真っ当な日付なのだ。

 しかし新京(現在の中国吉林省長春)郊外の杏花村で行われた溥儀の大満洲帝國皇帝即位式典で、大清國皇帝即位式と同じ、「宣統元年十一月初九日」付の詔書に、その時と全く同じ大清國皇帝の御璽を押すシーンが出て来るのだ。
 二度目でその事に気付いた私は、眼を瞬かせながらリモコンの一時停止ボタンを押した。
 昔観た時は見逃していたのである。  
 ほんの一瞬の出来事でチラとしか見えないので、「無理も無い」、と、言えない事は無い。
 が、しかし、見逃してはならなかった。
 私とした事が何とする。
 と、直後瞠目を禁じ得なかった。
 何度観ても日付は、「宣統元年十一月初九日」になっている。
 
 この大満洲帝國皇帝即位式典が執り行われたのは、1934年の3月1日。
 元号は「康徳」で日付は旧暦の1月16日。
 旧暦では、「康徳元年一月十六日」となる。
 但し日本は明治6年以降新暦を取り入れており、大満洲帝國でもそれに倣い新暦を取り入れているから、正確には「康徳元年三月一日」である。
 或いはこれを、「宣統二十七年一月十六日」
、と、したのならまだしも。  
 何となれば大満洲帝國は国際連盟に承認されていないからである。
 その見地に立てば「康徳」と言う元号は、承服出来ないと言う事になる。
 清朝の復辟を望んでいた溥儀と、それを阻み続けた関東軍である。
 深読みすれば日本に対する意図的な皮肉とも取れなくは無い。
 しかし溥儀が大清の宣統帝だった時代は1912年迄で、仮に廃位以降紫禁城に住んでいた時代迄を「宣統」だとしても、それでさえ1924年迄の事だ。
 やはり「宣統」の元号には無理がある。
 それに何より2シーンとも、「宣統元年十一月初九日」の日付なのだから、そこに深い意味がない事は明らか。
 また2シーンを見比べると御璽を押した場所が微妙に違っている事や、詔書に光線の当たる箇所が違う事からも、2シーンとも別々に同じ書面の詔書に、同じ御璽を押した処を撮影したと見て間違い無い。
 やはり単なるポカミスと取るのが妥当な処。
 否、ミスではないのかも。
 製作サイドにしてみたら、「えっ、同じ詔書と同じ御璽でいいでしょ、そんなの」、と、言う事だったのではないだろうか。
 つまり制作サイドにしてみれば、清朝宣統帝の即位と大満洲帝國皇帝の即位は、全く同義であると認識しているのだ。
 悲しいかなそう言う事になる。

 結局私は何が言いたいかと言うと、これは日中の歴史専門家でないベルナルド・ベルトリッチの責任ではないと言う事。
 加えて責任は彼の周囲に居たであろう日本人スタッフに有る、と、言いたいのである。
 私は今は亡きベルナルド・ベルトリッチを敬愛して止まない。
 だからと言う訳では無いのだが、芸術家の彼に日中の歴史認識を求めるのは酷だと思う。
 それよりも私は、「そんなの学校で習ってないから」、とか、「今を生きるのにそんな知識必要ないでしょ」、とか、或いは、「今はもう無くなった満洲なんて知る必要無いでしょ」、とか、そんな事を平気な顔で言う日本人を一人でも多く減らすべきだと思うのだが、如何か。
 もし編集の際ベルナルド・ベルトリッチの廻りに、ほんの少しでも良い満洲についての知識が有る日本人が居たら、こんな事にはなっていなかった筈。
 今後日本人がこのラストエンペラーの大満洲帝國皇帝即位式典のシーンを観る度に、それ等の事を心に刻み込む事を望む。



 

 

 
 
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