第9話 (番外編・バイデン氏の初の会談相手が菅氏?)もうのび太では居られない件
文字数 2,731文字
2021・5・31
安倍前首相がトランプ前大統領との接待ゴルフの際、バンカーでスッテンコロリン転んだ事は記憶に新しい処。
その際その事で安倍氏をのび太に、トランプ氏をジャイアンに喩えたマスコミ各社の論評やコメント等で、大いに笑わせて貰ったものだ。
これは要するに優柔不断で頼りにならない「のび太」を日本の首相に、いじめっ子の「ジャイアン」をアメリカの大統領に喩えたものなのであるが、しかし菅総理とバイデン氏になってからはめっきりこの表現が使われ無い。
何故なのか?
それは偏にバイデン氏のキャラクターがジャイアンではないと言う点と、また彼が日本の首相に対して望むキャラクターが、のび太では無いと言う点にあると思う。
喩えるなら同じ藤子不二雄作品で言うと、「ドラえもん」のジャイアンとのび太でなく、「キテレツ大百科」のブタゴリラとキテレツ君のような関係が、今後の米国の望む日米の関係では無いのだろうか。
ではここでキテレツ大百科の中身を、ドラえもんと比較しながら簡単に紹介してみる。
その「キテレツ君」が「ドラえもん」の「のび太」と決定的に違う点は、困難に対しては自分の力で挑戦しようとする信念を持っている点である。
それに作中に登場するコロ助と言うロボットも飽く迄キテレツ君の作った助手で、のび太が泣き付くドラえもんのような存在ではない。
またブタゴリラもガキ大将ではあるが、ジャイアンのようないじめっ子とは違うのだ。
それに何よりキテレツ君は不正を許さず、作中の様々なキャラクターから信頼を集めリーダーシップを発揮して仲間達を導くのだから、優柔不断で頼りにならないのび太とは全く違う。
しかしだからと言ってキテレツ君は、決してブタゴリラのようにナンバーワンの腕力や、トンガリのようにナンバーワンの財力が有る訳では無いし、況してや未来からやって来たドラえもんのように、不思議な力も持ち合わせていないのである。
彼は唯々信念を持って知恵と勇気で、皆と共に困難に立ち向かうのだ。
そして決して自身をナンバーワンだ、と、威張りはしない。
言うなれば彼は至高のナンバー2なのだ。
もっと違う言い方をすると、中国から見た時米国が劉備玄徳であるならば、日本は諸葛孔明であるべきで、米国から見た時バイデン大統領がルーズベルト大統領であるとすれば、日本はトゥルーマン副大統領であるべきなのだ。
この場合広島の原爆投下を指揮した大統領としてのトゥルーマンではなく、副大統領としてのトゥルーマンを指す。
しかし敢えてトゥルーマンに喩えたのは、その原爆投下も含め総ての事を腹に納めて尚、米国のナンバー2に徹すると言う意味もある。
それに何より唯一の被爆国として、広島や長崎に齎された核の悲劇を二度と起こさせない為にも、日本は米中の武力衝突を何としても阻止しなければならないのだ。
故にその事を肝に命じる為のトゥルーマンでもある。
考えても見て欲しい。
何故バイデン大統領が、いち早く日系人強制収容の謝罪を再確認したのか。
何故日米の2+2会談も韓国に先駆け、いち早く行われたのか。
或いは何故バイデン大統領が就任後、初の会談相手を日本の菅総理にしたのか。
それは日本への期待に他ならない。
無論それ等はバイデン政権に、「今後は日本だけ中国とも上手くやれると思うなよ。中国とは袂を分かつのだから、覚悟を決めよ」、と、米国の同盟国として踏み絵を踏まされたのだとも取れる。
或いは米国が日本を恫喝したのだとも。
しかし米国がどう有ろうが、日本の今後の立場としてこれだけは言える。
もうのび太では居られない、と、言う事だ。
即ち今迄のように金儲けの事だけを考えて中国に阿り、「台湾問題」や「人権問題」或いは「海洋進出問題」等に眼を瞑って遣り過ごす事が、今後は決して出来ないと言う事である。
そしてそれは米国だけでなく、世界中の西側諸国の日本に対する総意でも有る。
のび太ではなくキテレツ君に、或いは諸葛孔明に、そして総てを呑み込みトゥルーマンに。
日本がそう成れる事を、世界が固唾を飲んで見守っていると言っても過言では無い。
言い替えれば中国に奪われた、「世界第二位の経済大国」の地位に帰り咲こう等、と、利益だけを求めて姑息な考えをせず、己の利益と世界第三位の経済大国としてのプライドをかなぐり捨ててでも、米国を補佐して「世界一のナンバー2」を目指すべき時なのだ。
そしてそれは米国だけでなく、世界中の西側諸国の望む処なのである。
それに廻りを見渡して、日本以外にその役割を果たせる者がいるか?
どう考えても日本以外には無いではないか。
アフターコロナを見据えた時、開催するのかどうかは別にして、今となっては負担にしかならないオリンピックを経て、どちらにしても日本はマイナスからのスタートを切る時になる。
だからこそ中国と上手くやるのではなく、損をしてでも言うべき事は言う。
阿らず、姑息な事はせず、正義を貫く。
今こそ日本武士道を貫く時ではないのか。
そしてキテレツ君のように、日本は知恵と勇気で以て新しい日本を、自分の力で切り開いて行くべき時なのである。
菅政権は日米共同声明の際米国が台湾海峡と言う文言を盛り込もうとしたのに、躊躇して遅れを取った。
結局米国に押し切られる形で首を縦に振ったのだが、どうせなら端から首を縦に振るべきだったように思う。
腹を括るべきだったのだ。
その際日本が米国を失望させた事は、言う迄も無い負の実績である。
今後「やるも地獄、やらぬも地獄」のオリンピックが開催されたとすると、少なくとも菅政権は持たないだろう。
自民党でさえ政権与党を維持出来るか微妙な事になろうが、しかし政権が誰の手に移ろうとも日本が目指すべき処は変わらない。
そしてそれはその際の政権閣僚だけでなく、日本国民全員が目指すべき処のように思う。
その為には下げたくない頭も、自ら進んで下げなくてはならない。
例えば日本人が一番頭を下げたくない国に対しても、頭を下げて協力を頼まなければならない時も出て来よう。
日本が「世界一のナンバー2」になる為には、たとえ韓国に頭を下げてでも協力を求めなければ、一国で為し遂げれるものではない。
来年反日政策を押し通して来た文在寅大統領か下りるのを期に、日本は態度を変えなければならない。
アフターコロナを迎えた日本が、新しい日本であり始める為に。
そして日本が、「世界一のナンバー2」になる為に。
またそれ等の覚悟は菅政権の後を引き継ぐ次期総理や閣僚達だけでなく、何より日本人の1人1人が持たなければならないように思う。
安倍前首相がトランプ前大統領との接待ゴルフの際、バンカーでスッテンコロリン転んだ事は記憶に新しい処。
その際その事で安倍氏をのび太に、トランプ氏をジャイアンに喩えたマスコミ各社の論評やコメント等で、大いに笑わせて貰ったものだ。
これは要するに優柔不断で頼りにならない「のび太」を日本の首相に、いじめっ子の「ジャイアン」をアメリカの大統領に喩えたものなのであるが、しかし菅総理とバイデン氏になってからはめっきりこの表現が使われ無い。
何故なのか?
それは偏にバイデン氏のキャラクターがジャイアンではないと言う点と、また彼が日本の首相に対して望むキャラクターが、のび太では無いと言う点にあると思う。
喩えるなら同じ藤子不二雄作品で言うと、「ドラえもん」のジャイアンとのび太でなく、「キテレツ大百科」のブタゴリラとキテレツ君のような関係が、今後の米国の望む日米の関係では無いのだろうか。
ではここでキテレツ大百科の中身を、ドラえもんと比較しながら簡単に紹介してみる。
その「キテレツ君」が「ドラえもん」の「のび太」と決定的に違う点は、困難に対しては自分の力で挑戦しようとする信念を持っている点である。
それに作中に登場するコロ助と言うロボットも飽く迄キテレツ君の作った助手で、のび太が泣き付くドラえもんのような存在ではない。
またブタゴリラもガキ大将ではあるが、ジャイアンのようないじめっ子とは違うのだ。
それに何よりキテレツ君は不正を許さず、作中の様々なキャラクターから信頼を集めリーダーシップを発揮して仲間達を導くのだから、優柔不断で頼りにならないのび太とは全く違う。
しかしだからと言ってキテレツ君は、決してブタゴリラのようにナンバーワンの腕力や、トンガリのようにナンバーワンの財力が有る訳では無いし、況してや未来からやって来たドラえもんのように、不思議な力も持ち合わせていないのである。
彼は唯々信念を持って知恵と勇気で、皆と共に困難に立ち向かうのだ。
そして決して自身をナンバーワンだ、と、威張りはしない。
言うなれば彼は至高のナンバー2なのだ。
もっと違う言い方をすると、中国から見た時米国が劉備玄徳であるならば、日本は諸葛孔明であるべきで、米国から見た時バイデン大統領がルーズベルト大統領であるとすれば、日本はトゥルーマン副大統領であるべきなのだ。
この場合広島の原爆投下を指揮した大統領としてのトゥルーマンではなく、副大統領としてのトゥルーマンを指す。
しかし敢えてトゥルーマンに喩えたのは、その原爆投下も含め総ての事を腹に納めて尚、米国のナンバー2に徹すると言う意味もある。
それに何より唯一の被爆国として、広島や長崎に齎された核の悲劇を二度と起こさせない為にも、日本は米中の武力衝突を何としても阻止しなければならないのだ。
故にその事を肝に命じる為のトゥルーマンでもある。
考えても見て欲しい。
何故バイデン大統領が、いち早く日系人強制収容の謝罪を再確認したのか。
何故日米の2+2会談も韓国に先駆け、いち早く行われたのか。
或いは何故バイデン大統領が就任後、初の会談相手を日本の菅総理にしたのか。
それは日本への期待に他ならない。
無論それ等はバイデン政権に、「今後は日本だけ中国とも上手くやれると思うなよ。中国とは袂を分かつのだから、覚悟を決めよ」、と、米国の同盟国として踏み絵を踏まされたのだとも取れる。
或いは米国が日本を恫喝したのだとも。
しかし米国がどう有ろうが、日本の今後の立場としてこれだけは言える。
もうのび太では居られない、と、言う事だ。
即ち今迄のように金儲けの事だけを考えて中国に阿り、「台湾問題」や「人権問題」或いは「海洋進出問題」等に眼を瞑って遣り過ごす事が、今後は決して出来ないと言う事である。
そしてそれは米国だけでなく、世界中の西側諸国の日本に対する総意でも有る。
のび太ではなくキテレツ君に、或いは諸葛孔明に、そして総てを呑み込みトゥルーマンに。
日本がそう成れる事を、世界が固唾を飲んで見守っていると言っても過言では無い。
言い替えれば中国に奪われた、「世界第二位の経済大国」の地位に帰り咲こう等、と、利益だけを求めて姑息な考えをせず、己の利益と世界第三位の経済大国としてのプライドをかなぐり捨ててでも、米国を補佐して「世界一のナンバー2」を目指すべき時なのだ。
そしてそれは米国だけでなく、世界中の西側諸国の望む処なのである。
それに廻りを見渡して、日本以外にその役割を果たせる者がいるか?
どう考えても日本以外には無いではないか。
アフターコロナを見据えた時、開催するのかどうかは別にして、今となっては負担にしかならないオリンピックを経て、どちらにしても日本はマイナスからのスタートを切る時になる。
だからこそ中国と上手くやるのではなく、損をしてでも言うべき事は言う。
阿らず、姑息な事はせず、正義を貫く。
今こそ日本武士道を貫く時ではないのか。
そしてキテレツ君のように、日本は知恵と勇気で以て新しい日本を、自分の力で切り開いて行くべき時なのである。
菅政権は日米共同声明の際米国が台湾海峡と言う文言を盛り込もうとしたのに、躊躇して遅れを取った。
結局米国に押し切られる形で首を縦に振ったのだが、どうせなら端から首を縦に振るべきだったように思う。
腹を括るべきだったのだ。
その際日本が米国を失望させた事は、言う迄も無い負の実績である。
今後「やるも地獄、やらぬも地獄」のオリンピックが開催されたとすると、少なくとも菅政権は持たないだろう。
自民党でさえ政権与党を維持出来るか微妙な事になろうが、しかし政権が誰の手に移ろうとも日本が目指すべき処は変わらない。
そしてそれはその際の政権閣僚だけでなく、日本国民全員が目指すべき処のように思う。
その為には下げたくない頭も、自ら進んで下げなくてはならない。
例えば日本人が一番頭を下げたくない国に対しても、頭を下げて協力を頼まなければならない時も出て来よう。
日本が「世界一のナンバー2」になる為には、たとえ韓国に頭を下げてでも協力を求めなければ、一国で為し遂げれるものではない。
来年反日政策を押し通して来た文在寅大統領か下りるのを期に、日本は態度を変えなければならない。
アフターコロナを迎えた日本が、新しい日本であり始める為に。
そして日本が、「世界一のナンバー2」になる為に。
またそれ等の覚悟は菅政権の後を引き継ぐ次期総理や閣僚達だけでなく、何より日本人の1人1人が持たなければならないように思う。