第7章 3・11とよきたより

文字数 2,852文字

第7章 3・11とよきたより
 『がリラヤのイエシュー』は2011年10月10日に出版されたが、半年以上前に完成している。遅れたのは3・11のせいだ。は大船渡市は市の中心部がほとんど流され、出版社も被災、死者行方不明者は400人を超え、8000人以上が避難生活を余儀なくされる。山浦博士も医師として奮闘している。

 山浦博士は、11年5月22日放映の『こころの時代』(NHK Eテレ)に出演する。その中で、3・11の経験によって福音書のメッセージ、すなわち社会的メッセージがより深く響いたと言う。出来上っていた原稿を書き直す。

 津波による惨状を前に立ち尽くした時、浮かんだのは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ?」だと言う。イエスが十字架の上で発した最期の言葉である。「神(かみ)さま、何故(なして)俺(おれァどゴォ)をお見捨(みす)てなさりァしたれ(なさりましたか)?」とマタイ27章46節で伝えている。すべてから見放された絶望と呪詛だ。

 けれども、真の意味はそうではない。あれは詩篇22章1~6節を踏まえている。それは、イスラエルのダビデ王が失意のどん底にあった時、絶望と苦難の中でもなお神の救いを確信している讃歌の発句である。山浦博士は、『ガリラヤのイエシュー』のマタイ27章46節と47節の間にその箇所を挿入している。

我が神、我が神、
何故(なにゆえ)我を見捨て給ひき。
何故我を離れ救い給はざりき。
我が呻(うめ)き、我が嘆(なげ)き、
何故御耳に届くことなかりき。
我が神、
昼は昼とて呼び求め、
夜は夜とて叫べども、
やさしき御応(おんいら)へにて
我が口を噤(つぐ)ませ給ふうこと未だなし。
されど、御身賢所(かしこどころ)に在(ましま)し、
イスラエルの言祝(ことほぎ)を嘉(よみ)し給うなり。
我が親は御身を頼み、
御身に縋(すが)りて救はれたるなり。
助けを乞ひつつ御身に叫びて
救はれざること絶えてなく、
御身を頼(たの)うて見捨てられたる例(ためし)なし。

 山浦博士は、これを受けて、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ?」をこう解釈する。絶望や孤独、苦難の中にいる時、人は神に対して不満や怨恨をぶつけてしまうが、神への信頼を決して捨てない。神を信じ続ける。なぜなら、神は信じるものを見捨てたためしがないからだ。神を呪うこともあるだろう。人だからやむを得ない。けれども、神を信じてこの苦境から抜け出してみせると踏ん張ることが大切だ。このままでは終わらない。信じている。新たな命、新たな神の喜びへの始まりに必ずしてみせる。あれはそんな叫びだ。

 また、作家兼政治家の石原慎太郎が「津波は天罰」と3・11直後に発言したが、同様の話が福音書にある。ルカ13章1~5節である。福音書の時代にも自然災害を天罰と見なす人もいる。それに対し、イエスは災難と罪は無関係で、天罰と思うなと2~5節で断言する。

 そんな目に遇ったからといって、それらのガリラヤ衆が他のガリラヤ衆のみんなより罰当たりな者たちだったのかね? そんなことはないさ!
 ただな、俺は言っておくぞ。お前さんたちも心をスッパリ切り替えなけれど、皆やがて自(みずか)らその身を滅ぼすことになる。
 あるいは、シロアムの櫓(やぐら)が倒れて下敷になって人死(ひとじ)に出たことがあったが、あの死んだ十八人がイェルサレムに住む他の人たちよりも、償(つぐな)なわなければならない科(とが)をどっさり持っていたやましい者たちだったと思うかね? そんなことはないさ!

 関東大震災の際にも語られた災害天啓説は古くからある迷信である。山浦博士は番組でこの箇所をイエスの特徴的な考え方が現われていると言う。禍と罪科は無関係だ。災害は急にかつ大規模に来るので、人は驚き、狼狽えてしまう。けれども、よく考えると、人生は災害の連続である。それが人生というものだ。人はそのような世界に生きている。それを受け入れる必要がある。「人は死ぬべきものであり、津波は必ず来る。地震も必ず来る」。

 福音書は3・11でも読まれ、語られている。そうした場の相互作用が『ガリラヤのイエシュー』を書き直させている。それは復活と言ってよい。福音書は場を通じて現代社会の中で生きている。苦難に直面した時、「あのメッセージはこういう意味だったのか」と気づき、他者と共有する。だからこそ、「福音書」は「よきたより」の方がふさわしい。
〈了〉
参照文献
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岡田暁生、『西洋音楽史』、放送大学教育振興会、2013年
加藤隆、『「新約聖書」の誕生』。講談社選書メチエ、1999年
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竹下節子。『キリスト教』、講談社選書メチエ、2002年
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竹田青嗣、『自分を知るための哲学入門』、ちくま学芸文庫、1993年
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鳥飼久美子、『歴史を変えた語訳』、新潮OH!文庫、2003年
村川堅太郎他、『ギリシア・ローマの盛衰』、講談社学術文庫、1993年
山浦玄嗣、『ケセン語訳新約聖書〔1〕マタイによる福音書』、イー・ピックス出版、2002年
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同、『ケセン語訳新約聖書〔3〕ルカによる福音書』、イー・ピックス出版、2003年
同、『ケセン語訳新約聖書〔4〕ヨハネによる福音書』、イー・ピックス出版、2004年
同、『ガリラヤのイエシュー』、イー・ピック素出版、2011年
リブカ・エリツール、『聖書の伝説(1) 創世記編』、別府信男訳、ミルトス、1988年
チャ―レス・スズラックマン、『ユダヤ教』、中道久純訳、現代書館、2006年

共同訳聖書実行委員会、『聖書 新共同訳』、日本聖書協会、1987年
『世界の名著13 聖書』、中澤治樹他訳、中公バックス、1978年
『古代オリエント集 筑摩世界文学大系 (1)』、杉勇訳、筑摩書房、1980年

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
財団法人日本専門医制評価・認定機構
http://www.japan-senmon-i.jp/index.html
Project Gutenberg
http://www.gutenberg.org/
Vatican the Holy See
http://www.vatican.va/index.htm
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