第1章 翻訳と母語

文字数 1,729文字

場と文学
─山浦玄嗣の『ガリラヤのイエシュー』
Saven Satow
Oct. 31, 2013

教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、大籠キリシタン殉教公園竣功にあたり、神の絶えざる御加護を願って、佐藤守町長様並びに殉教者を尊んで、この地を訪れる人々に、心からの教皇特別掩祝をおくります。
ヴァチカンにて
1995年9月18日

第1章 翻訳と母語
 文学者は創造的な表現を模索する。それには自己に対するメタ認知を持ち、推敲しながら書く作業が欠かせない。その際、使用する言語についての深い理解がしばしば必要になる。しかし、母語は繰り返しを通じて知識が身体化されて会得される暗黙知の典型である。こうした学習は「潜在学習(Latent Learning: Implicit Learning)」と呼ばれる。「習うより慣れろ」式の学習法であり、知識を規則ではなく、手続きとして体得する。用法の正否について内的に判断できるが、往々にしてその理由を説明できない。日本語で「山々」と言っても「川々」は間違いだと判断できても、その訳を論理的に解説できる日本語話者は決して多くない。母語話者は自分の使っている言語に関する理解は決して深くない。

 母語についての理解を向上させるには、暗黙知を明示化する必要がある。手続きだけでなく、その背後にある規則を認知することだ。それには母語を外国語として捉え直すことが効果的である。

 母語の暗黙知を明示化する作業の一つが翻訳である。翻訳する際に、他の言語との比較を通じて母語の潜在思考を認知する機会に直面する。

 翻訳が言語の暗黙知を明示化する作業であることは、人間に限定された課題ではない。 現在、コンピュータによる機械翻訳の開発が急速に進んでいる。この定量データ処理装置は暗黙知を理解しない。機能的に働かせるには、扱うものを形式化しなければならない。それを支える理論の一つが形態素解析である。

 形態素は言語を構成する最小の要素であり、自由形態素と拘束形態素に分けられる。前者はそれだけで意味を持つ。一方、後者はそれだけで意味をなさず、前者と結びついて使われる。「お酒」を例に挙げると、「お」が拘束形態素、「酒」は自由形態素である。

 この形態素解析をソフトウェアとして開発するには、「日本語とは何か」という根源的な問いを考察しなければならない。日本語は膠着語であるので、係り受けが重要である。また、慣例的な語の連結であるコロケーションも踏まえていなければならない。さらに、情報はコードとコンテクストの織り成しによって分節される。意味を左右しかねないコンテクストの解析も必要である。だが、文脈は必ずしも明確な文法規則に基づいていないので、統計学的処理を利用せざるを得ない。

 訳す際に、翻訳者自身が専ら内省によって母語を掘り下げて作業を進める場合がある。しかし、これには限界がある。母語に対するメタ認知が必要だからだ。翻訳の出来栄えは原言語のみならず、母語の理解の深さによっても左右される。二葉亭四迷や森鴎外など近代の書き言葉の確立に貢献した小説家が同時に傑出した翻訳家だったことからもそれは裏付けられる。

 訳文に画期的な表現が具現化されることも少なくない。文学者には母語を外国語として扱う姿勢が求められる。もちろん、それが革新的と見なされるには、人々の間で共有される必要がある。翻訳は別の言語で書かれた作品をそれを解さない人との間にも共有させる。それは異言語間の共有の場をつくることである。外国語を母語を通じて理解する。それには母語を外国語によって再確認することが伴う。場の相互作用が母語に働き、新たな表現を生み出す。それなら、場を作り出せば、共有を生じさせられる。

 母語の暗黙知の明示化と場の相互作用を検討する際、山浦玄嗣博士の『ガリラヤのイエシュー』は最適な事例の一つである。2011年10月11日に刊行された同書は新約聖書四福音書の新たな日本語訳である。福音書は前近代を含め多くの訳が著わされている。しかし、この書は非常に個性的である。残念ながら、文学界はこの意義を十分に受けとめていない。こうした挑戦的な試みは、極端な例であるため、考察する課題を明確にする。
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