老婦人と青年Ⅰ
文字数 1,564文字
小さな町の大きなお屋敷に、老婦人が一人、ひっそりと住んでいました。
話し相手は飼い猫のマリーだけ。
この猫もずいぶん年老いていたので、ほとんど家でじっとして、老婦人が繰り返し話す昔話を聞きながら、一日中寝て過ごしています。
この家を訪ねてくるのは、掃除や食事の支度をしにくる、通いのお手伝いさんだけです。
老婦人は耳が遠く、同じ話ばかりするので、お手伝いさんは愛想笑いを見せるだけで、ちっとも相手にしません。そして午前の仕事を終えると家族が待つ家に急いで帰ります。
お手伝いさんがいなくなると、のんびり庭の手入れをするのが老婦人の日課でした。
けれども最近は、どうにも腰が痛くて、かがんで草をかることも、バラたちに話しかけることもできません。
庭はいつしか荒れ放題。
お手伝いさんは、老婦人の身の回りの世話以外のことは仕事外としていたので、そんな庭の様子には、目もくれることもありません。ただ老婦人に「お医者を呼びましょうか?」と何度か尋ねたぐらいです。
そんなある日、一人の青年が、老婦人を訪ねてやってきました。
老婦人は、お手伝いさんが勝手に呼んだお医者さんかと思いました。
けれども、お手伝いさんは言われたこと以外の仕事はしない人でした。どうやらお医者さんではなさそうです。
大体普通のお医者さんなら、窓をノックして「こんにちは」なんて現れ方はしないでしょう。
でもそんな現れ方をした青年を、どろぼうなどとも思わずに、老婦人は窓を開けました。
そして窓を開けたとき、屋根裏に忘れ去られていたような彼女の古い記憶から、クモの巣をはらいのけるように、なつかしい風が吹き込んできたのです。
その青年がなつかしそうに老婦人を見るので、老婦人までなつかしいような気持ちになったのかもしれません。
彼女は、まるでカギのかかった古い日記をみつけたような気分でした。
こじあけるカギがなくて、中身を読むことができなくても、それそのものがなつかしく、自分の記憶を呼び覚ますような気がしたのです。
「『いばら姫』の話を知っていますか?」
突然青年が言いました。
「え? 何ですって?」
「い・ば・ら・姫」
青年は、老婦人の耳にはっきり聞こえるように言いました。
その声は、お手伝いさんが老婦人と話すときのむやみに大きく、子どもの機嫌をとるような不快さを帯びたものではありません。
やさしく心を伝えるような、耳に心地よい声でした。
「百年間眠ったままのお姫さまのお話かしら?」
老婦人がゆっくりと言葉を返すと、青年はうれしそうににっこりと笑い、うなずきました。
「ええ、いばらに覆われた城で、百年の眠りについたお姫さまのお話です。
何人もの王子が百年の時を待てずに、いばらを分け入り、行く手をふさがれ、そしてそのまま朽ち果てたといわれています。
そして百年の時が満ちて現れた王子だけが姫に目覚めの口づけをした……。
けれどそれは、何人もの王子の最後の姿だったのです」
「最後の姿? どういうことかしら?」
老婦人は耳に心地よく響く青年の声をしっかりと聴きとると、不思議そうに尋ねました。
青年は老婦人の目をまっすぐに見て微笑みます。
「王子は、百年の時を待たずに何度も何度も姿を変えて、最後の王子になれるまで、いばらをかきわけたんですよ。初めから、眠り続ける姫にとっての王子は一人だけなんです」
そう言って、青年はぐるりと庭を見渡しました。
老婦人は、青年の言葉をすべて理解することはできませんでしたが、この青年が荒れた庭を何とかしたいと思っていることだけはわかりました。
老婦人は青年に庭ばさみを手渡しました。
青年はうれしそうにそれを受け取りました。
夕方、再びやってきたお手伝いさんに老婦人は言いました。
「お医者さまより必要なのは、庭師だと思うのよ」
話し相手は飼い猫のマリーだけ。
この猫もずいぶん年老いていたので、ほとんど家でじっとして、老婦人が繰り返し話す昔話を聞きながら、一日中寝て過ごしています。
この家を訪ねてくるのは、掃除や食事の支度をしにくる、通いのお手伝いさんだけです。
老婦人は耳が遠く、同じ話ばかりするので、お手伝いさんは愛想笑いを見せるだけで、ちっとも相手にしません。そして午前の仕事を終えると家族が待つ家に急いで帰ります。
お手伝いさんがいなくなると、のんびり庭の手入れをするのが老婦人の日課でした。
けれども最近は、どうにも腰が痛くて、かがんで草をかることも、バラたちに話しかけることもできません。
庭はいつしか荒れ放題。
お手伝いさんは、老婦人の身の回りの世話以外のことは仕事外としていたので、そんな庭の様子には、目もくれることもありません。ただ老婦人に「お医者を呼びましょうか?」と何度か尋ねたぐらいです。
そんなある日、一人の青年が、老婦人を訪ねてやってきました。
老婦人は、お手伝いさんが勝手に呼んだお医者さんかと思いました。
けれども、お手伝いさんは言われたこと以外の仕事はしない人でした。どうやらお医者さんではなさそうです。
大体普通のお医者さんなら、窓をノックして「こんにちは」なんて現れ方はしないでしょう。
でもそんな現れ方をした青年を、どろぼうなどとも思わずに、老婦人は窓を開けました。
そして窓を開けたとき、屋根裏に忘れ去られていたような彼女の古い記憶から、クモの巣をはらいのけるように、なつかしい風が吹き込んできたのです。
その青年がなつかしそうに老婦人を見るので、老婦人までなつかしいような気持ちになったのかもしれません。
彼女は、まるでカギのかかった古い日記をみつけたような気分でした。
こじあけるカギがなくて、中身を読むことができなくても、それそのものがなつかしく、自分の記憶を呼び覚ますような気がしたのです。
「『いばら姫』の話を知っていますか?」
突然青年が言いました。
「え? 何ですって?」
「い・ば・ら・姫」
青年は、老婦人の耳にはっきり聞こえるように言いました。
その声は、お手伝いさんが老婦人と話すときのむやみに大きく、子どもの機嫌をとるような不快さを帯びたものではありません。
やさしく心を伝えるような、耳に心地よい声でした。
「百年間眠ったままのお姫さまのお話かしら?」
老婦人がゆっくりと言葉を返すと、青年はうれしそうににっこりと笑い、うなずきました。
「ええ、いばらに覆われた城で、百年の眠りについたお姫さまのお話です。
何人もの王子が百年の時を待てずに、いばらを分け入り、行く手をふさがれ、そしてそのまま朽ち果てたといわれています。
そして百年の時が満ちて現れた王子だけが姫に目覚めの口づけをした……。
けれどそれは、何人もの王子の最後の姿だったのです」
「最後の姿? どういうことかしら?」
老婦人は耳に心地よく響く青年の声をしっかりと聴きとると、不思議そうに尋ねました。
青年は老婦人の目をまっすぐに見て微笑みます。
「王子は、百年の時を待たずに何度も何度も姿を変えて、最後の王子になれるまで、いばらをかきわけたんですよ。初めから、眠り続ける姫にとっての王子は一人だけなんです」
そう言って、青年はぐるりと庭を見渡しました。
老婦人は、青年の言葉をすべて理解することはできませんでしたが、この青年が荒れた庭を何とかしたいと思っていることだけはわかりました。
老婦人は青年に庭ばさみを手渡しました。
青年はうれしそうにそれを受け取りました。
夕方、再びやってきたお手伝いさんに老婦人は言いました。
「お医者さまより必要なのは、庭師だと思うのよ」