七年前──紙人形師の談

文字数 1,373文字

びり、と嫌な音がした。
振り向くと、壁に釘で打ってあった紙人形が一枚、腹あたりで破れひらひらと床に落ちた。
弾かれたように家を転がり出て、炎々と燃え上がる城へ向かった。
弟が死んだ。
弟に託した紙人形は、その命を表す。それが千切れた。
城は早くも形を失いかけていて、あれほどの栄華を誇った日望(ひのぞみ)でさえ呆気ないほど脆く崩れるのだと、どこか冷めたように思った自分がいた。
一定の距離を空けたままてんやわんやする人々を横目に、燃え盛る城へ飛び込んで行く。弟は探さない。無駄になるだけだ。
哉巳(かなみ)!」
煙に噎せながら叫ぶのは、甥の名。弟から、自分が死んだら頼むと再三言われていた。弟が先に死ぬなど半分も信じていなかったが、聡い弟はいつか来る今日を予感していたのかもしれない。
視界一面の赤。目も霞む。それでも懸命に声をあげた。
ふと、咳込む音が聞こえた。
一歩足を踏み出したそのとき、がらがらと頭上から嫌な音がした。間一髪で避けたものの、今にも生き埋めになってしまいそうだった。
壁の際に気を失った甥を見つけた。まだ息がある。煙を吸わないように胸元に押し付け、抱き上げた。
さっきは避けられたが、今のこの状態では身軽には動けない。紙人形では、この炎で燃えてしまう。
ぎり、と奥歯を噛んだ。出来れば使いたく無い手だった。
崩れた柱を飛び越えながら左手を挙げる。
ここは死体には事欠かない。
未だ火の消えぬ無残な姿の武者たちが、一斉に立ち上がり、めいめい身体を使い、出口まで安全な道を作った。
もう意思で動かせぬ身体を、勝手に、それも自分のために利用してしまうことを心の中で詫び、悼んだ。
ぱっと視界が明るくなり、息がしやすくなった。
倒れるように膝をつくと、安堵で涙が出てきた。胸でもぞもぞと動く甥を抱き締めて、近づいてくる人々の声を聞いていた。

変人と噂される僕でも、まあ人並みに誰かを養うことは出来た。面識はあまり無かったけれど哉巳は僕に懐いてくれたし、唯一とも言える友人も助けてくれた。
紙人形師などという才能一辺倒な僕の仕事は、誰かに継がせるようなものでもないので、友人に頼み哉巳には刀の稽古をしてもらった。
僕の日常の良いところは、何も起きないこと。紙を綴ってはらはらと動かして、時には人形、時にはと、緩やかな日々を過ごしていた。
子どもは直ぐに大きくなる。僕には子どもは居ないけれど、やはり成長とは凄いものだ。気付けば哉巳は僕の肩ほどの背丈になっていて、声も低く、ふと見せる表情も大人びた。
八年。その歳月は僕にとっての一瞬で、哉巳にとっては送ってきた人生の半分だった。
哉巳はある日、独り立ちをすると言った。
自分にかけられた呪いを解くために放浪すると。そして哉巳は話した。八年前のあの日、その呪いで見えてしまったものに怯え、大切な幼馴染を置いて逃げてしまったこと。そして、それをずっと悔いていること。だから、それを断ち、会って謝りたいと。僕はあまり詮索する質ではないから、素直にそれを受け入れた。友人は今生の別れのように泣いていたけれど、いつまでもくっついたままなので引き剥がした。
僕の渡した三枚の紙人形と、友人に渡された一振りの刀を持って、哉巳は旅立って行った。
笑って送り出せていただろうか。
それだけが不安だ。
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