第5話 右の頬を打たれても左の頬は出せません。
文字数 1,852文字
敵の飛び道具が切れました。ハジメさん、今がチャンスです！
嬢ちゃん、焦らない方がいいぜ。あの姉ちゃんの鱗に出ているのは単体の蛇の模様じゃない。複数の蛇が合わさった模様だ。ランスヘッドの強い毒だけがあいつの能力とは限らないぜ。
ペンタが言うとおり、全身に他生物の特徴が現れているミックスは、近い種類の生物が複数融合していることが多い。彼女の歪な鱗の模様から見て、少なくとも三種は融合しているに違いない。
そのとおりよ！ 刃物が襲ってこなくなったら一安心とでも思ってた？
急接近するスネイク・マーダーに組みつこうとしていたハジメは、咄嗟の勘で地面から一気に飛び上がる。その直後、怪人の口からスプレーのように毒の霧が放射された。
あれはタイワンコブラ……二メートル以内に接近した者へ、スプレーのように毒を発射する蛇の能力ですね。近づけば噛まれ、距離を取れば毒を噴射される。さすが単体でハジメさんを襲いに来るだけあります。
くっ……あの毒……少なくとも五メートルは飛距離があると見た方がいいな。
感心してる場合じゃない。あの能力でランスヘッドの毒を吐かれたら、俺たち全員ドロドロになるぜ？
しまった！ 毒を飛ばせるなら離れていても……カナ、避けるんだ！
しかし、気づいたときには、既にスネイク・マーダーの狙いはハジメたち三人から離れているカナの方へ向いていた。さっきまで飛び交うナイフに塗られていた毒が、今度は霧となってカナを襲う。
私のことはいいです！ 敵に集中してください。
だが、カナも慌ててばかりではない。驚くべき反射神経と跳躍力で難なく霧を躱し切る。さっきまで彼女がいたところでは、毒液のかかった雑草がシュワシュワと泡を立てていた。
ちっ……お前も猫のミックスだったのね。
そう、鮮やかに攻撃を避けて着地したカナの頭には猫耳が生え、瞳も三日月形に変わっている。ハジメと同じく、背中から一気に広がったふわふわの毛が手足を覆い、指先からは鋭い爪が飛び出していた。
私もれっきとしたヒーロー組合の職員です。自分の身は自分で守りますし、みんなを守るのが仕事です。ハジメさんがやらないのなら私があなたを倒します。どんな事情があったとしても、ためらないなく人を襲ってくるならあなたは敵です！
ためらいなく襲ってくるから敵？ 最初からあなたたちヒーローはそうだったじゃない！ 事件現場のそばにいただけで追いかけて、面白半分の通報も間に受けて、確かめもせず私たちを襲ってきたじゃない！ 関係ないのが分かってからも怪しげな雰囲気を出すのが悪いとか言ってきて……とっくに敵なのは分かってるのよ！
それは……あなたが怒っていい理由であって、他人を傷つけていい理由ではありません！ 現にあなたから打たれても打ち返さない、問答無用で攻撃しないヒーロー相手に、あなたは話を聞いてもらわずに殺しにきてるじゃないですか！
うっ……
私は打たれもしないのに攻撃するのは反対ですが、右の頬を打たれて左の頬を向けるなんて真似できません……繰り返し打たれる前に、その手を折らせてもらいます。話を聞くのはそれからです！
嬢ちゃん、思っていたより潔いタイプだな……まあ嫌いじゃないぜ。俺はどっちかというと左の頬を見せる前にさっさと逃げるタイプだけどな。
話を聞くのはそれから？ はっ！ ミックス同士の戦闘は生きるか死ぬかの戦い……終わる頃にはどちらかが話を聞ける状態じゃないわ。怪人を倒した後、無実を訴えた相手のために調査したヒーローがいる？ 「戯言」って片付けないで、自分が戦った相手を擁護した職員がいる？ あんたたちがやるのは、いつも私たちを倒して終わり。それだけでしょ……元ヒーローも現役ヒーローも、ここで一緒に抹殺してやるわ！
確かに、私たちは同じミックスを倒せる力と国から与えられた取り締まる権威を持っています。いい加減にそれを行使することだって、差別や偏見にまみれたやり方だってできちゃいます……だからこそ、むやみやたらに力を振るわない、でもいざというとき力を奮える人間が必要なんです。ハジメさんには戻ってきてもらいます。ここで殺させたりなんてさせません！
……おいおい、俺は戻らないって言ってるし、何も敵に対して拳を振るうだけが力の振るい方じゃないんだぜ。
苦笑しながらハジメはもう一度構え直す。理想論とも絵空事とも言われるかもしれないが、仲間が敵にやられることも、敵が仲間に倒されることも望んでいない。無謀で愚かな信念が決してそれだけで終わらないことを、彼は今、信じていた。
