第3話 断じてドMじゃありません。

文字数 2,478文字

出たな……元トップヒーロー、ファングマスター!
変身したハジメの髪は一瞬で逆立ち、まるで頭にクレストができたように左右後方へ突き出していた。手足には背中から覆うように広がった緑色の鱗が覗き、歯と爪も鋭く尖っている。まるで恐竜のようなギョロッとした黄色い瞳、後ろに伸びた身長を超える長さの尾……目の前の怪人ほどではないが、まさに人間離れした姿だった。
これが……「荒ぶる恐竜」と言われたかつてのヒーロー……
実際は恐竜じゃなくてトカゲのミックスだけどな。
向こうは蛇の怪人スネイク・マーダーか……同じ爬虫類相手とはやりにくいな。
ふんっ! 変身したところであんたは攻撃してこないんでしょ。悪いけど一方的にボコらせてもらうわよ!
その瞬間、怪人の体は弾丸のように飛び出し、ハジメの眼前で口裂け女のようにガバッと口が開かれる。
ハジメさんっ!
はあっ!
ぐえっ……
ハジメの頭がガブリと持っていかれる寸前、背後から回った彼の尻尾が彼女の首に巻きついた。蛇には殺さない限り一撃で気絶させられるような弱点はない。ただし、一瞬なら首根っこを抑えることで動きを封じることができる。しかし……
にゅるん!
くっ……!
やすやすとハジメの尾から抜け出した彼女は、波打たせた胴体を勢いよく彼の顔面へ叩きつける! そのまま後方へふっとばされたハジメは、素早く地面に爪を突き立て、自身の体勢を整えた。辺り一面、もうもうと砂埃が舞い上がる。
知らなかった? 蛇の鱗は超高性能な潤滑油でコーティングされてるの……あんたが私の体に爪を立てて傷つけない限り、押さえつけることなんて不可能よ!
加えて、全身が筋肉と言っても過言ではない蛇の体……その一撃はハジメの体から数枚の鱗が剥がれ落ちるほど強力だ。
さすがだスネイク・マーダー……これだけ力のこもった一撃をあの一瞬で繰り出すとは。しかも、動きは滑らかで無駄がなく美しい。ミックスの変化が現れてから相当努力しなければ、これほどの力は得なかったはずだ。
なっ、何馬鹿なこと言ってるの……もう一発お見舞いされたいのかしら!?
いいだろう……「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい(*3)」……その言葉、実践してやろうじゃないか。
こいつ「ドM」なの!? 私の一撃を受けて立ち上がった上、もう一発を自ら受けようとするなんて!
いや、断じて「ドM」じゃない……ちょっと牧師っぽいことを言ってみたかっただけだ。

ハジメさん! いくらあなたでも敵の攻撃を受け続けたら死んじゃいます。そんな無茶やめてちゃんと戦ってください!

言っただろう……俺はもう誰も傷つけたくないって。たとえ「ドM」と言われようが、鱗が何枚落ちようが、この手で殴り返す真似は二度としない。牧師になるとき、そう決めたんだ。

傷つけたくない……ですって? 呆れるわね、あんたが攻撃してこない理由って、まさかキリスト教を信じてるから? 教会なんて所詮、自分たちが嫌う相手を徹底的に叩きのめしてきた連中じゃない! 
ええ、そのとおり……あなたたちを「怪人」にしてしまった責任の一端は私たちにもあります。
突然、背後から現れたメグミの姿に怪人は驚いて硬直する。蛇にはピット器官というものがある。いわゆる赤外線を感知できる器官で、視力が弱く、視界の狭い彼らでも、これを使って正確に獲物や敵の位置を把握できる。ところが、そのピット器官を持つ彼女さえ、メグミの接近に気づくことはできなかったのだ。

怪人になるのは、人から忌み嫌われる姿を常に晒さなければならなかったミックス……科学的根拠はないにもかかわらず、醜い生物と融合する人は「良くない人格」、常にその特徴が現れている人は「弱く怠惰な心」……そんなふうに思われてきました。特に、蜘蛛や蛇といったあまり人気のない生物の特徴が隠せない者は、陰気で攻撃的な性格だといまだ差別されています。

なっ、何だお前は! どこから出てきた!?
加えて蛇は、創世記でアダムとエバをそそのかし、神様から禁じられた木の実を食べさせてしまった生き物(*4)……人間と他生物の融合が始まった当初、率先してあなたのような人を「不吉な存在」として弾圧したのは、私たち教会の者でした。

そう……「襲われそう」「危険そう」という外見を持つ彼らは、同じ殺傷能力を持つミックスの中でも厳しい管理を受け、指紋を取られ、写真を撮られ、政府の監視対象になってきた。もちろん、「姿形だけで他のミックスと扱いを変えるなんて正しくない」という意見も出たが、「彼らは忌むべき存在だ」「野放しにしているなんてとんでもない!」という声を積極的に挙げ、民衆を誘導してきたのは、キリスト教会をはじめとする宗教団体だったのだ。

「聖書に書いてあるから危険」「聖書で訴えられてるから罪」……そう言って同性愛者や他宗教を断罪してきたのもキリスト教会の一部だしな。全く、そういうところはなかなか変わらないぜ。
そうよ……あんたたちが私のことを「危険だ」「罪人だ」って叫びまくるから、仲の良かったユウちゃんともあこがれだったカイくんとも離れ離れになったのよ! しかも最近じゃ身に覚えのない事件も私たちのせいにされるし、問答無用でヒーローから攻撃されるのよ!
そんな……ヒーロー組合が加害者でないミックスに手を出すことなんてありません!
残念ながらほんとの話だ。冤罪で捕まるのを恐れて、逃げている途中で町を破壊したり人を傷つけてしまう怪人が一定数いる……というか、むしろそうするように仕向けて怪人を取り締まる根拠を作って来たんだよ。
そう、理不尽な扱いに反旗を翻し、引き返せなくなった者が自らの脅威をなくすため、ヒーローたちに立ち向かう……その時になって初めて、彼らは「怪人」と化したのだ。
分かっているなら……その報いを受けなさい!
次の瞬間、スネイク・マーダーの手元から細長い刃が放たれる!
メグミさんっ!
カナが一瞬遅れて悲鳴をあげた時には、既にシスターの姿はドサリと地面に倒れていた……

【注】

*3 マタイによる福音書5:39の言葉。

*4 創世記3章「蛇の誘惑」の話。

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登場人物紹介

【琴乃ハジメ】KOTONO,Hajime

トップクラスのヒーローをやめて牧師になった青年。暴力を封印し、教会の仕事に専念しようとするが、ヒーローに復職させようとする者や戦いを挑んでくる敵が後を絶たない。

【飯野カナ】INO,Kana

ヒーロー組合の職員で、ハジメを復職させるよう業務命令を受けている。真面目で責任感が強く、業務を果たそうとするあまりちょっとストーカー気味になっている。

【神野メグミ】KAMINO,Megumi

ハジメの教会の主任牧師。プロテスタントの牧師なのに、なぜかシスターのコスプレをしている。丁寧な口調でいつも笑みを絶やさないが、時々凄みのある雰囲気を纏う。

【ペンタ】Penta

教会に住み着いている黒猫……と思われているが、元々怪人だった一人。悪戯好きで声真似を使って人を混乱させるのが得意。教会の子どもやお年寄りに好かれている。

【蛇の怪人】

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