第9話 キリストもトカゲも水上を走るんです。
文字数 1,607文字
ハジメが叫んだのと同時に、彼女の体が教会の屋上から宙に投げ出される。身投げか!? と思われたのも束の間、なんとそのまま体を平たくし、ハジメたちの方へ滑空し始めたのだ!
インド西部からインド諸島にかけて、トビヘビと呼ばれる数種類の蛇が生息している。この蛇は木の上で生活し、枝から枝へ、ムササビのように飛び移るのだ。彼らは自らの肋骨を左右に広げ、体を平たくした状態でS字に曲げて空を飛ぶ。その中でもパラダイストビヘビという種類は、百メートルほど飛翔した記録もあると言う。
そう言うと、彼女はハジメたちに向かって最後の毒を放射し始めた。その勢いは今までの何倍にも及び、慌てて避ける彼らの周りをみるみるうちに溶かしていく。
滑空を続けながら、彼女はハジメたちを囲むように周囲を毒液で満たしていく。先ほど自分の落とされた穴が毒液によって侵食され、シューシューと湯気の立つドーナツ型の湖が出来上がった。
しかし、友野幸は空中で旋回を続けながらも、それ以上毒液を飛ばしてこなかった。いや、出せなくなったのだ。さすがに彼女の毒腺も限界を超え、もはや脱水一歩手前である。とはいえ、ハジメたちに残された足場は畳一畳ほど……空からちょっとでも背中を押してやれば、たちまち肉体を蝕む毒の池へと落とすことができた。
滑空する幸の体当たりによって、ハジメが宙に投げ出される。一瞬、誰もが息を飲んだ。
しかし、毒液の中へ足が触れるまさにその時、ハジメはニヤリと笑みを浮かべた。
雄叫びと共に、彼の時間が動き出す。
伝説上の生き物、バジリスクの名を冠したトカゲがいることをご存知だろうか? 水辺の森林に生息し、木の上で生活することが多いが、時に潜水して獲物を捕まえることもある。彼らは指の間にひだがあり、水の表面張力を利用して水面を走り抜けることができる。その様子から、聖書で湖の上を歩いたとされるキリストにちなんで、現地では「キリストトカゲ」と呼ばれているのだ。
信じられない速さで毒の上を駆け抜けたハジメは、勢いよく水面を蹴ってジャンプする。空中で呆気にとられていた彼女は、彼の尻尾にグルリと捕えられ、そのまま地面へ引き落とされた。痛みはない。ハジメがクッションになっていたからだ。そしてまた、身動きもできなかった。
立ち上がったハジメの背中から少量の血が流れている。そう、自分で尻尾を切断したのだ。切り離された彼の尻尾は、今、幸の体をしっかりと包むように巻きついていた。