第8話 レギオンは「軍隊」の名前です。
文字数 1,854文字
さすが元トップヒーローね。あの程度の毒の量じゃ、鱗の再生も一瞬でできるなんて。
残念ながらそう何度もできる業じゃないけどな。そっちの方も、さっきより飛ばせる毒の量が減ってきたんじゃないか?
舐められたものね……蛇の怪人最強と言われた私の毒がこれくらいで尽きると思う?
おいおい、あれだけ飛ばしてまだ毒の量が尽きないだって? 姉ちゃん、まさかキングコブラまで融合してるのか?
キングコブラ……それは地上最大最強の蛇と言われる体長三メートルほどの大蛇である。毒自体は他の蛇の方が強かったりするが、毒を蓄える分泌腺がとにかく大きいため、ひと噛みで注入される毒の量は比べ物にならない。
まあ、体内の血液を三分の一まで射出できる俺に比べたら、そこまでじゃないさ。
強がりのつもり? あんたがいくら目から血を飛ばそうが、私にはただ色のついた液体よ。今度こそ、その首へし折ってやるわ、ファング・マスター!
その呼び名はやめてくれ。俺はもうヒーローじゃないし、牙はとっくに捨てたんだ。スネイク・マーダー……いや、こっちこそ、本当の名前をまだ聞いていなかったな。
そうだ。「怪人」でも「スネイク・マーダー」でもない、本当の名前があるはずだ。命を取りにきた相手にくらい、教えてくれたっていいだろう?
「バケモノ」「怪人」「蛇女」……この体になってからまともに名前を呼んでもらえたことはなく、いつしか、そう呼ばれるのも否定しなくなっていた。むしろ、怪人組合からはスネイク・マーダーという新しい名を与えられ、自らそれを名乗るようになっていた。本当の名前、自分の名前……長らく尋ねられなかった問いに、彼女は思わず狼狽える。
何言ってるの? 私はスネイク・マーダー、蛇の殺人鬼にしてあんたの敵。他に呼ばれる名前はないわ!
いえ、まるで悪霊に取り憑かれたゲラサの人みたいだなと思いまして。
そうです。墓場を住まいとし、昼も夜も叫び続け、人々から鎖や足枷で縛られてもすぐ引きちぎって脱走する……彼もイエス様から尋ねられたんですよ、「名は何というのか」って(*6)。
「レギオン」って奴だろ。確か、「軍隊」とか「軍勢」とかいう意味の名前じゃなかったか?
ええ、当時のイスラエルでユダヤ人を支配していたローマの軍隊を表す言葉です。悪霊が大勢取り憑いていた様子から、周りの人がそう呼んだんでしょう。
きちんと問いに答えられないところですよ。テスト用紙に何一つ書けなくても自分の名前だけは書ける……それが普通なのに、彼もあなたも本来の名前を答えられません。周りから呼ばれたあだ名しか。
一緒にしないで! 何であんたたちに名前を呼ばれなきゃいけないの? どうせこれから殺すのよ。
本当にそうか? 自分の名前を忘れただけじゃないのか?
自分の名前、かつての名前、親からつけてもらった名前……何か、大切な意味があった気がする。気に入っていた名前だった気がする。もう呼ばれなくなった名前、自分でも名乗らなくなった名前、その名前は……名前は……
一度でも世間を騒がせた怪人のプロフィールは全て本部で目を通しました。出身、性別、体長、名前……あなたの名前は友野幸です。十五歳でミッスクになるまでは、みんなから「さっちゃん」と呼ばれていた明るい女の子でしたよね。
私と同い年のプロフィールだから記憶に残っていたんです。最後にファイルを目にしたのが六年前だったので、思い出すのに時間がかかりました。
幸さんか……もう知っているだろうが、俺の名前は琴乃ハジメ。四月からここに赴任してきた新米牧師だ。
えっ、これって私も自己紹介する流れですか……飯野カナです。ヒーロー組合の職員をしています。
さあ、遅めの自己紹介はここまでだ。いい加減、教会の屋根から降りてもらおうか。そろそろ腹も減ってきただろう?
教会の屋根に日が差して、幸とハジメたちとの間をつなげるように、ちょうど十字架の影が伸びる。四つの視線が幸をまっすぐにとらえていた。
【注】
*6 マタイによる福音書8:28〜34、マルコによる福音書5:1〜20、ルカによる福音書8:26〜39に出てくる話。
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