ちょうど教会から出かけようとしているときだった。突然、玄関の目の前に黒塗りのバンが停まり、勢いよく開いたドアから小柄な女性が現れる。いつものようにこちらを真っ直ぐ見つめてくる瞳、もう何回耳にしたか分からない言葉……ハジメは軽くため息をつく。
何度も言うが、俺はヒーロー組合に戻る気はない……もう怪人たちと戦うのは止めたんだ。
こう言ったところで簡単に折れてくれないのは分かっている。ビシッと決めた黒いスーツで車から降りてきたボブカットの彼女……名前は飯野カナ、ヒーロー組合の職員だ。元トップクラスのヒーローだったハジメを復職させるべく、このところ毎日やって来ている。
そんなこと言わないでください。もし町一つ壊滅させるレベルの怪人がまた現れたらどうするんですか?
今のヒーロー組合でも十分対処できるはずだぞ。4年前に比べて職員もだいぶ増えたって聞いてるし……それに見て分からないか? 俺は今、新しい仕事をしてるんだ。
そう、ハジメが着ているのは襟の真ん中だけが白いグレーのカラーシャツ……ミニカラーともキャットカラーとも言われるそれは、キリスト教会で聖職者のみが身につける服装だ。
知っています。4年前に姿を消してようやく消息が掴めたと思ったら……どうして神父なんかに? あなたはまだまだヒーローとして活躍できるのに。
神父じゃない、牧師だ……「神父」はカトリック教会の聖職者、プロテスタント教会の聖職者は「牧師」が正しい。
どっちでもいいですよ! とにかく戻って来てください。何なら牧師の仕事やりながらでもいいですから! 日曜日以外の平日は特にすることもないんでしょう?
うふふふふ……カナさん、今のは聞き捨てなりませんよ。
ヒーロー組合の職員さえ、背後を取られても気づかない……そんな恐ろしい隠密スキルを持つ彼女は、ハジメの上司である主任牧師、神野メグミである。その格好からよくシスターに間違われるが、彼女が着ているのはあくまでシスターのコスプレであり、本物の修道服ではない。修道院のないプロテスタント教会には、そもそもシスターは存在しないのだ。
日曜日の礼拝、水曜日の祈祷会、それに定例役員会の準備や地区・教区の仕事……今月は教会総会の議事録提出と責任役員の登記もしなきゃならないので、なかなか忙しいんですよ。
俺も今から登記書類を出しに法務局へ行くところだったんだ。ちょうどいいから車で乗せてってくれないか?
あっ、はい…………って違います! 牧師の仕事じゃなくてヒーロの仕事をしてもらいに来たんです。ハジメさんが辞めたときに比べて確かに人員は増えましたけど、怪人たちもどんどん増えて強くなってきたんです。
こちらは逆に信徒の激減と高齢化で牧師になる人も減りました。おかげで私も今年から2つの教会を兼牧しなきゃなりません……
「兼牧」とは、一人の牧師が複数の教会で働くことだ。最近では、小さな教会だけでは牧師を呼ぶことができず、周りにある複数の教会と一緒に雇う(*1)ところが増えている。ちなみに、「代務」と言った場合は、その教会の牧師が病気や怪我、または死亡によって職務を続けられなくなったとき、新しい牧師が決まるまで代わりに組織の代表をすることだ。
見てのとおり、こっちもなかなか忙しいんだ。それに俺は、もう誰も傷つけたくない。たとえ怪人といえど、二度と攻撃しないと決めたんだ……
ハジメさん……それでも、怪人たちに傷つけられる人間がいる以上、ほっとくわけにはいきません。暴れまわる彼らを止めないで、そのままにしていていいんですか? 話し合いで解決しないことはあなたが一番見てきたじゃないですか!
あらまぁ……うちの敷地にまた迷い子が入ってきたみたいですね。
やれやれ、次から次へと邪魔が入る……これで登記の手続きに行けなくなったのは3日連続だぞ?
片手で頭を抱えながら、ハジメは轟音のした方へ走る。場所は教会の裏側だ。おそらく自分がいるはずの執務室を狙ったのだろう。シューシューと何者かの息遣いが聞こえていた……
【注】
*1 教会では牧師を呼んで「雇う」ことを「招聘」という。