第6話

文字数 1,509文字

 ある日の夜。侑子は、仕事に出かけていてまだ帰ってきていない。玄関のドアが開いた。同時に酒くさい臭いが部屋に充満した。侑子の親父だ。外でベロベロになるまで飲んできたらしい。
「へへっ」
いい気に酔いやがって。バカタレ。
怒りがムラムラと込みあげてきた。
ろくに父親としての役目を果たさずに何様(なにさま)のつもりだ。あんたにどれだけの葛藤(かっとう)があるのか、つらいのか分からねえけどな。あんたがそのまんまじゃ、今、生きてるあの子の人生はどうなるんだ。あんたの人生はあんたの中では終わったのかもしれないが、あの子にとっちゃ人生はこれからまだまだ長く続くんだろう? 母親がいなくても、あんたがしっかりしてりゃ十分に幸せな生活を築いていけていただろう。娘を生きるだけで精いっぱいにしてしまって、何が父親だ。支えてあげなくて、何が父親だ。それがあんたの使命じゃねえのか。いい加減気づきなよ。あの子のさみしさや惨めさにも。あの子からは香水やお化粧(けしょう)くさい匂いがほとんどしねえよ。世間の女の子と違ってろくにオシャレもしてないって事じゃねえか。いつも明るく作ったような声で話してるじゃねえか。気づいてるのかよ。それって、盲犬であって人間と意思疎通(そつう)できない俺だけが、知ってていい事なのか? (そば)にいる家族こそが知ってないといけない事じゃないのか? あの子の幸せは一人で思い出の品を見てることぐらいじゃねえか。それでいいのかよ。もっと、あの子のことを考えてやれよ。俺はこんな体で嫁さんも家族ももてそうにないが、あんたと同じ立場だったら絶対そうしてるぜ。
 心の中で毒づいてたら、なぜか親父が近づいてきた。猛烈に酒くさい。
なんだなんだ、酔っ払い。頼むから近寄らねえでくれ。
と思ってたら、背中に猛烈な熱さを感じた。
あちっ!!
背中にタバコの火が押しあてられたようだ。
何てことしやがる! 所詮物の言えない獣の身だと侮ってるのかよ! くそったれ!
親父は黙って俺の背中の2・3箇所にタバコの火を押し続けた。それから、親父はいつもの場所に戻っていびきをかいて寝はじめた。
ちくしょう。

 侑子が帰ってきた。帰ってきた侑子はオレの背中のタバコの焼き跡(やきあと)を目ざとく見つけた。侑子はすぐに寝ている父親をたたき起こした。
「なんで、クラッシュにタバコの跡があるのっ!! 何するのよ!!」
酔っ払ってだらしなく寝ていた親父が、目を覚ました。不機嫌そうに言葉を返す。
「うるせえな。そんな事してねえって。犬が勝手に自分で火傷したんだろう?」
てめえ。堂々と嘘を言いやがって。
「クラッシュが自分でそんな事するわけないでしょ!」
「そんなのわからねえだろ! 俺がやったって決めつけるなよ!」
ふざけるな。やったのはてめえだろ。
侑子の気配が一旦台所の方に流れ、再び戻ってきた。
「もしこれ以上クラッシュを傷つけるような事があったら、本当に殺すわよ?」
侑子の手元から鉄の匂いがする。
包丁? 俺のために怒ってくれるのはうれしいけど、それはシャレにならねえって。
「知らねえったら知らねえって! そんなあぶねえもん取り出すんじゃねえ!」
ものすごい修羅場(しゅらば)になりつつあるようだ。
親父は命の危険を感じたのか逃げるように部屋を出ていった。侑子は包丁を片付けると、俺の背中のタバコの(あと)()でながら言った。
「ごめんね、クラッシュ」
謝らなくていいって。俺はバカじゃない。何もかも分かってるから。それよりも、俺のために怒れるそのエネルギーを自分のために使った方がいいんじゃないか。余計なお世話かもしれないけど、もっと、自分の幸せを考えりゃいいだろう。俺なんて役立たずだし、いつ放り出してくれてもかまわねえんだぜ。感謝こそすれ恨んだりしねえからさ。
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