第二幕 Anathema Sit ――! 失われた楽園
文字数 3,728文字
預言者としてめざめた羽海のその後の運命について語ろう。いまだかつて先見の明を持ったことのない大衆には知り得ない未来、福音少女ルナ・ミルレフワーネスの死を預言した羽海は、いつもの通り学校へと向かった。クラスメイトから、昨日の書き込みで総スカンを食らうとも知らずに。
米
「星野さんがあんなタチの悪いこと書くなんて、何か嫌なことでもあったわけ? だいいち預言って何よ、福音少女でもないくせに!」
クラスの主要な女子たちからいきなりそう詰め寄られて
(あなたたちだって、いつも占いや未来予知のマネごとをして、私にも送ってくるじゃない。忘れたとは言わせない。それに信じないなら、最初から無視すればいい……)
なんて本音を言えるわけもなく、精一杯の作り笑顔で羽海は対応した。昨晩、不思議な体験をしたこと。再醒したら預言者になっていたことについて。非難していた女子たちはそれで少したじろいだが、よくよく考えれば信じるに足る証拠もなく、半信半疑である。
「……ルナが死ぬっていうの?」
まるで変人でも見遣るかのような視線で、他のクラスメイトたちは羽海の女子グループとのやりとりを見守っている。そこへ羽海の親友である白鳥 冷夏 が入ってきた。そう、たった今、朝の教室へと登校してきたのだ。羽海は安堵して、この親友からの擁護を期待した。
「どうしてルナが死ぬなんて書いたの?」
そのレイカが、入ってくるなり怪訝そうな顔で問いかけた。そこで羽海はようやく思い至った、レイカがルナの大ファンであったということに。ルナに影響されてカラオケで英語の持ち歌 (『Top of the World』や『Hey Jude』――)をよく歌っているし、ファッションだって色あいもどこか似ている、そもそもつけている付属品 や、香水だってルナの公式ブランドである。いわゆる生粋のルナラー(クリスチャンでもユダヤ教徒でもなく、ひたすら七大公聖女としてのルナを信奉するファンのこと)というやつだ。そんなレイカの前で、大親友の彼女の前で、いったい何と言えるだろう?
「あの……」
ついつい口を噤んでしまう。今更ながら羽海はとても後悔して、肩身の狭さを感じた。
「ねえ羽海、そういうのって趣味の悪いバカがやることだよ? 先生にもお説教されるかもね。だって、あまりにも度が過ぎてる。ヘイトスピーチは犯罪だよ」
レイカがあからさまに不機嫌であることは、長年の付き合いからわかった。
「……ごめんなさい」
結局、羽海は謝罪するしかできなかった。実際、やりすぎの偽預言で逮捕される女性はいくらもいる。とりとめのない情報 が宙を飛び交う電子の海で、繰り広げられる『預言者ごっこ』。特定の商店や企業の名前を出してテロが起こるとでも預言すれば、たとえ冗談でも営業妨害としてたいへんな目に遭う。学校側からもそういうことには気をつけろと"ミニにタコができるほど"よく言われている。
「でも、わかるよ。私だって憧れたことあるもん、ルナみたいに預言者になりたいってね。雰囲気や生き方だけじゃなく……本当に彼女と同じ才能が欲しいって思ったこともある。……普通のオンナノコには無理だけどね」
レイカは諦めたように諭した。そして
「いいわ、許してあげる。きっと寝不足だったのね」
といって優しい笑顔を羽海に向けた。
「いいの?」
「いいよ。あの投稿をすぐに消したらね」
しかし羽海は……【預言】を取り下げることはできないと静かに告げた。
「ごめんレイカ。……あれは消せない」
もしも預言者に矜持 というものがあるなら、それか職業倫理といってもいい、『一度おこなった預言を絶対に取り下げないこと』であると羽海は確信していた。だって、神様から与えられたものを投げ棄てる預言者がいったい何処にいるだろう?(※います)
羽海のさしたる発言に、クラスメイトたちはみな驚いたような表情を浮かべた。いちばん驚いたのはレイカだった。その後、むきになったレイカから浴びせられる'異端駁論'は、群衆のどよめきにかき消されて全部届いた訳ではなかったが、なかば呪いのようだった。それも致し方なくて、全世界のアイドル、憧れの偶像である福音少女に喧嘩を売ったのだ。その待ち受ける結果は決まっていた。すなわち、共同体 からの追放 である。
ホームルームのチャイムが鳴って、白けたようにクラスメイトたちは散開した。入ってきた老婆教師(もうすぐ米寿)の話を聞きつつ、裏では誰もが硬質なタブレットをとった。「開かれた社会の敵 」に悪意ある言葉の石を投げつけるため、群衆たちは団結した。あんなに親友だったレイカさえ、今では羽海をいじめる側だった。
*アイツ、気でも狂ったんじゃないの?*
*もしかして自分が福音少女だって、本気で信じちゃった系?*
*イタいよねー*
*てか、ルナに何の怨みがあんのよ?*
チャットアプリの「エテログラム」で延々と連なる喧しき議論 は、バベルの塔のように積み上げられてゆく。昼もなく夜もなく、虚栄の市を越えて、天の都を目指して。――しかし羽海はもう二度とその会議 に加わることはない。アリウス派のように議会 から拒否 されたからである。
米
それから羽海の日常は、ひどく惨めでつらいものへと転落した。学校で喋りかけてくれる者はいないし、こちらから喋りかけるのはさらに哀れだ。明日の小テストは誰も教えてくれないし、雨が降ったら傘を隠されるし、授業中に羽海が何か発言するとくすくすと笑いが起きる、おまけに女教師は困惑して調子っぱずれなフォローを加える始末。もしもここがキリスト教の学校で、女生徒がみな「マリア様がみてる」の登場人物のようであったなら、羽海がいじめられることもなかったかもしれないが、残念ながらそうはいかない。羽海はノンクリスチャンであるばかりに、ごくごく普通の学校に通っていた。
事態はさらに悪くなった。羽海の隠していたある”秘密”が学校中に広まったのだ。それは幼馴染で地元の同じだったレイカくらいしか知らない、いつまでも秘密にしておきたかった呪わしい過去だった。
*ねえ、アイツの父親って、犯罪者らしいよ*
*刑務所にいるんだって*
*エッ!? 母子家庭って、お父さんが捕まっちゃったから?*
*何して捕まったの? ゴートウ?w ゴーカン?w*
**本人に聞いてみれば>Y.K*
エテログラムで拡散する根も葉もない噂は真実だった。羽海には戸籍上の父親がいたが、羽海がまだ小学生の頃におこした過ちによって収監されていた。自らの勤めていた小企業の経営者を殺害し、懲役刑を言い渡されたのだ(このとき母の離婚によって、彼らの親子関係もまた消滅した)。羽海はそれから暫く引っ越して遠い別の小学校へ通っていたところ、都内にある中学に入ってからは幼馴染であったレイカと偶然再開した。はじめは避けがちであった羽海に対して、とりわけ優しく接してくれたのはレイカだった。羽海にはそれがとても嬉しかった。ふたりはすぐに通じ合える仲になり、あの事件のことは、いつまでも秘密にして置こうとかたく約束したはずだったが……。
(あたしの幸せな中学校生活、短かったな……)
屋上へと続く人気のない階段の踊り場で、羽海は深い溜息 をひとつ。目から洪水 のように零れ落ちそうな涙を湛えて、打ちのめされたように座り込んでいた。
「でも、私は……福音少女だもん」
わざとらしくそうそらんじて、そら寒いうそみたいに風に消えゆくその言葉を眺める。
(バカなあたし。犯罪者の娘がキリスト様の奇跡を授かるなんて、あるわけないじゃない。普通の人間が預言者になれるなんて、あるはずないじゃない)
半ば自棄になりながらも彼女は、自分が預言者であるという絶対的な確信だけは棄てることができなかった。最後まで棄教するものかと思った。少なくとも11月16日という期限の日がやってくるまでは、ファラオのように心をかたくなにして、決して負けを認めるものかと誓った。
(もしこれで預言がはずれて、約束の日にルナが死ななかったりしたら、人生終わりだよね……)
でもそれは「いいと思ったことが,失敗だった」(妖精の手紙)だけのこと。それでも構わないと羽海は誓った。聖書風に言えば、『口を縫い閉じて愚者の楽園に入るくらいなら、戯わ言を吐いて預言者のまま地獄へ堕ちたほうがよい』だろう。幸運なことに、地獄には彼女の私淑する往年のロック・スターだっている(みずからの頭を拳銃で撃ち抜いたのだから、多分居るはずだ)。
「あなたを信じてもいいの?」
そのとき、とつぜん後ろから声がかけられた。そこへ振り向くと立っていたのは、羽海と同じ色の学年のスカーフを巻いた少女、同級生の黒鳥 氷見子 である。
(第二話、おわり)
15条
(預言の定義)
預言とは、世界についての言明のうち、確率において0より大きく1より小さい値をとる確率事象の有限個の羅列を指す。ただし、条件や選言を用いてはならない。
18条
(預言の無効)
宣言時を基準として必ず起こることや、絶対に起こらないこと、既に起こった出来事に対する預言は不成立となる。
米
「星野さんがあんなタチの悪いこと書くなんて、何か嫌なことでもあったわけ? だいいち預言って何よ、福音少女でもないくせに!」
クラスの主要な女子たちからいきなりそう詰め寄られて
(あなたたちだって、いつも占いや未来予知のマネごとをして、私にも送ってくるじゃない。忘れたとは言わせない。それに信じないなら、最初から無視すればいい……)
なんて本音を言えるわけもなく、精一杯の作り笑顔で羽海は対応した。昨晩、不思議な体験をしたこと。再醒したら預言者になっていたことについて。非難していた女子たちはそれで少したじろいだが、よくよく考えれば信じるに足る証拠もなく、半信半疑である。
「……ルナが死ぬっていうの?」
まるで変人でも見遣るかのような視線で、他のクラスメイトたちは羽海の女子グループとのやりとりを見守っている。そこへ羽海の親友である
「どうしてルナが死ぬなんて書いたの?」
そのレイカが、入ってくるなり怪訝そうな顔で問いかけた。そこで羽海はようやく思い至った、レイカがルナの大ファンであったということに。ルナに影響されてカラオケで英語の
「あの……」
ついつい口を噤んでしまう。今更ながら羽海はとても後悔して、肩身の狭さを感じた。
「ねえ羽海、そういうのって趣味の悪いバカがやることだよ? 先生にもお説教されるかもね。だって、あまりにも度が過ぎてる。ヘイトスピーチは犯罪だよ」
レイカがあからさまに不機嫌であることは、長年の付き合いからわかった。
「……ごめんなさい」
結局、羽海は謝罪するしかできなかった。実際、やりすぎの偽預言で逮捕される女性はいくらもいる。とりとめのない
「でも、わかるよ。私だって憧れたことあるもん、ルナみたいに預言者になりたいってね。雰囲気や生き方だけじゃなく……本当に彼女と同じ才能が欲しいって思ったこともある。……普通のオンナノコには無理だけどね」
レイカは諦めたように諭した。そして
「いいわ、許してあげる。きっと寝不足だったのね」
といって優しい笑顔を羽海に向けた。
「いいの?」
「いいよ。あの投稿をすぐに消したらね」
しかし羽海は……【預言】を取り下げることはできないと静かに告げた。
「ごめんレイカ。……あれは消せない」
もしも預言者に
羽海のさしたる発言に、クラスメイトたちはみな驚いたような表情を浮かべた。いちばん驚いたのはレイカだった。その後、むきになったレイカから浴びせられる'異端駁論'は、群衆のどよめきにかき消されて全部届いた訳ではなかったが、なかば呪いのようだった。それも致し方なくて、全世界のアイドル、憧れの偶像である福音少女に喧嘩を売ったのだ。その待ち受ける結果は決まっていた。すなわち、
ホームルームのチャイムが鳴って、白けたようにクラスメイトたちは散開した。入ってきた老婆教師(もうすぐ米寿)の話を聞きつつ、裏では誰もが硬質なタブレットをとった。「
*アイツ、気でも狂ったんじゃないの?*
*もしかして自分が福音少女だって、本気で信じちゃった系?*
*イタいよねー*
*てか、ルナに何の怨みがあんのよ?*
チャットアプリの「エテログラム」で延々と連なる喧しき
米
それから羽海の日常は、ひどく惨めでつらいものへと転落した。学校で喋りかけてくれる者はいないし、こちらから喋りかけるのはさらに哀れだ。明日の小テストは誰も教えてくれないし、雨が降ったら傘を隠されるし、授業中に羽海が何か発言するとくすくすと笑いが起きる、おまけに女教師は困惑して調子っぱずれなフォローを加える始末。もしもここがキリスト教の学校で、女生徒がみな「マリア様がみてる」の登場人物のようであったなら、羽海がいじめられることもなかったかもしれないが、残念ながらそうはいかない。羽海はノンクリスチャンであるばかりに、ごくごく普通の学校に通っていた。
事態はさらに悪くなった。羽海の隠していたある”秘密”が学校中に広まったのだ。それは幼馴染で地元の同じだったレイカくらいしか知らない、いつまでも秘密にしておきたかった呪わしい過去だった。
*ねえ、アイツの父親って、犯罪者らしいよ*
*刑務所にいるんだって*
*エッ!? 母子家庭って、お父さんが捕まっちゃったから?*
*何して捕まったの? ゴートウ?w ゴーカン?w*
**本人に聞いてみれば>Y.K*
エテログラムで拡散する根も葉もない噂は真実だった。羽海には戸籍上の父親がいたが、羽海がまだ小学生の頃におこした過ちによって収監されていた。自らの勤めていた小企業の経営者を殺害し、懲役刑を言い渡されたのだ(このとき母の離婚によって、彼らの親子関係もまた消滅した)。羽海はそれから暫く引っ越して遠い別の小学校へ通っていたところ、都内にある中学に入ってからは幼馴染であったレイカと偶然再開した。はじめは避けがちであった羽海に対して、とりわけ優しく接してくれたのはレイカだった。羽海にはそれがとても嬉しかった。ふたりはすぐに通じ合える仲になり、あの事件のことは、いつまでも秘密にして置こうとかたく約束したはずだったが……。
(あたしの幸せな中学校生活、短かったな……)
屋上へと続く人気のない階段の踊り場で、羽海は深い
「でも、私は……福音少女だもん」
わざとらしくそうそらんじて、そら寒いうそみたいに風に消えゆくその言葉を眺める。
(バカなあたし。犯罪者の娘がキリスト様の奇跡を授かるなんて、あるわけないじゃない。普通の人間が預言者になれるなんて、あるはずないじゃない)
半ば自棄になりながらも彼女は、自分が預言者であるという絶対的な確信だけは棄てることができなかった。最後まで棄教するものかと思った。少なくとも11月16日という期限の日がやってくるまでは、ファラオのように心をかたくなにして、決して負けを認めるものかと誓った。
(もしこれで預言がはずれて、約束の日にルナが死ななかったりしたら、人生終わりだよね……)
でもそれは「いいと思ったことが,失敗だった」(妖精の手紙)だけのこと。それでも構わないと羽海は誓った。聖書風に言えば、『口を縫い閉じて愚者の楽園に入るくらいなら、戯わ言を吐いて預言者のまま地獄へ堕ちたほうがよい』だろう。幸運なことに、地獄には彼女の私淑する往年のロック・スターだっている(みずからの頭を拳銃で撃ち抜いたのだから、多分居るはずだ)。
「あなたを信じてもいいの?」
そのとき、とつぜん後ろから声がかけられた。そこへ振り向くと立っていたのは、羽海と同じ色の学年のスカーフを巻いた少女、同級生の
(第二話、おわり)
15条
(預言の定義)
預言とは、世界についての言明のうち、確率において0より大きく1より小さい値をとる確率事象の有限個の羅列を指す。ただし、条件や選言を用いてはならない。
18条
(預言の無効)
宣言時を基準として必ず起こることや、絶対に起こらないこと、既に起こった出来事に対する預言は不成立となる。