第三幕 Eli, Eli, Lema ――! 氷点下
文字数 3,738文字
羽海はおもわず肩をこわばらせた。目の前に立っている同級生の黒鳥 氷見子には、カルト宗教の一家であるという噂があった。羽海がこんな境遇になる前は、どちらかといえば彼女のほうがいじめられる側だったのだ。いわゆるクラスカーストの最底辺。羽海だって自然と敬遠していたし、まともに話しかけたことはない。
「ねえ、星野さん。あなたって福音少女なんでしょ? 預言を授かったんだね。それってどんな感じだった? ルナが死ぬイメージが見えたの? それとも、神様が話しかけてきてくれた?」
そんなヒミコが、かつて見せたこともないような朗らかさで羽海に対していた。今まで格下と見下してきた相手の突然のこの態度に、羽海は鼻白んだ。
(……あっそ。新しくいじめのターゲットになってくれて、どうもありがとうってわけね。これからはあたしが仲良くしてあげてもいいよってことね。あなたの話にもわたしは興味を持ってあげますよって肚ね)
「あら? こんな馬鹿げた話、信じるんだ? だからカルトなのよ」
棘のあるニュアンスでそう言ってやると、ヒミコは言葉も継がなかった。羽海はこれで一本取ったと思えたはずに、黙り込んでいるヒミコを前にして、なぜかとんでもなくひどいことを言ってしまったという後悔の念が拭えず、戸惑いながら小さな声で口にした。
「ごめんなさい。言い過ぎた、かも」
と。
「…………」
ヒミコはまだ何も答えない。羽海はついつい言い足した。
「でもこれだけは言わせて。あなたと仲良くするほど、私は落ちぶれてないから。わかった?」
「……ふふっ」
ヒミコはそこではじめて笑みを洩らした。
「なによ!? 笑う要素あった?」
取り乱して問いただす羽海を尻目に、けらけらと朗らかに笑いながら、
「うん。星野さんって、プライド高いんだな~って。でも、べつに星野さんと友だちになりたいなんてわけじゃないの。その……星野さんの信者になっていい?」
とヒミコは申し出た。
「はあ??」
「だから、福音少女には信者がつきものでしょ? ルナラーとかストロベリー・アーミー(※ストロベリー・マーセの信奉者をこう呼ぶ)みたいに。私、星野さんの信者になりたい!」
(……ほんっとカルト。証拠もないのに、信じる? 普通)
「カルトじゃないよ~。ホーリズムっていうの。ま、お母さんが入信してるから入ってるだけだけどね」
ヒミコはさらりとそう流してから、普通にトークを続ける。
「ところで星野さんは、福音少女の中では誰が一番好き? あたしはストロベリー・マーセかなー」
「私もマーセよ。言っておくけど……」
羽海は低いトーンで威嚇した。
「あなたよりは百万倍マーセのこと好きだから」
ヒミコは、とうとうそこで堪えきれないかのように派手に吹き出した。
「ちょっと! 真面目な顔しながらそんなボケやめて……お腹痛い。 ひゃはははは」
どうやら唐突に張り合ってきたことが妙にツボに入ったらしい。羽海はバカにされたと思って駁した。
「ヒミコ、ふざけてないから……私がどれだけマーセのこと好きか、あなた知らないでしょ?」
「う、うん。ふふ、知らない……」
ちなみにストロベリー・マーセは福音少女の中でも最高ランクの人気を持つ少女である。アメリカ合衆国に住む18歳の白人で、チャンネル登録者数は5億人を超える。性格は少し独善的でわがままなところもあるが、明るくて面白い人気者 で、自然体で人を惹きつける魅力的なオーラを放つ。その霊気 こそが、数いる福音少女の中でもマーセがこれだけのチャンネル登録者数を獲得できた理由と言える。もちろんアメリカ合衆国在住であることも、白人中流家庭の出身であることも、人気を博する上で有利なファクターではあるが――
「どれくらい好きか、教えてあげましょうか?」
「ま、待って、教えないで、ひへえ、もう十分だから……」
ヒミコはすっかり楽しそうにできあがっていた。ので、少しばかり真面目な態度になって、本当に言いたかったことを言うまで数十秒もの時間を要した。
「ねえ星野さん、たとえ私とはカーストが違うと思ってても、これだけは憶えててほしいの。あの、応援してるから、あなたのこと」
「あん?」
「だって、自分に正直に生きてるでしょ? 星野さんは」
「……」
「実際どうなの? それともあれは、みんなに注目されたいがためについたただの嘘?」
羽海は全力でブンブンと首を横に振る。
「そうだよね。だったら、それはすごく勇気ある行動なの。星野さんのとった選択は。だから、いじめになんて負けないで欲しいし、もしどうしても辛くなったら……」
「……」
「ホーリズムに入信してね♪」
「帰れ!」
羽海は一瞬だけ心動かされたのがバカみたいと思った。ホーリズムはプロテスタント系の新興で「全体は部分によっては理解できない」という文言を教義としている。いくら心が弱っていても、どんな事情があろうとも、そんなあやしげなモノにすがりつくほど甘くないとばかりに、羽海はヒミコをその場に残して屋上から立ち去った。
米
7月のある日。その日の羽海は朝から寝ぼけていた。いつも起床する時刻の2時間も前に起きて、そのまま二度寝した。それでもカーテンの隙間から差し込んでくる朝日が鬱陶しくて、しだいに目が覚めてしまったような朝。どこかで五尋の淵を掴んだらしい。そうやって朝起きたとき、心の中に言いようのないイメージがあった。
(伊勢崎線ってなんだっけ……?)
最初に浮かんだのはそれだった。伊勢崎線が8時59分にストップするらしい。人身事故によって。けれども羽海はこれまで人生で伊勢崎線なんて単語を口にしたこともなければ、まともに耳にしたこともない。スマホで調べてみると、確かにそういう路線は実在するらしく、都市部への通勤に使われているという。羽海はもうしばらくチェックもしていなかった「エフェメラ」を開いて投稿した。
ありす@ゴミクズです/AliceLittlePleasance
【預言】7/13 伊勢崎線は8時59分の人身事故のためストップ
その頃羽海はいじめのせいでノイローゼ気味になっていて、学校にはあまり出席していなかった。母親はともかく、ヒミコも「辛いなら無理して学校なんか行かなくていいよ!」と励ましてくれていた。そのとき失礼ながら羽海の頭の上に浮かんだ考えは、(ヒミコって、私と同じようにのけ者にされてながら、毎日楽しいとおもって学校に通ってるわけ……? マゾ……?)というものだった。
もちろん「楽しい」と「つらくない」はまた別だが、羽海にとってはつらさしかない。今日も休もうかと布団にうずくまっていたら、「エテログラム」に個人メッセージが送られてきた。それはかつての親友レイカからでなく、噂をすれば影のヒミコからだった。「エフェメラ」の投稿をめざとく嗅ぎ付けてきたらしい。
*預言キタ─wwwヘ√レvv~─(゚∀゚)─wwwヘ√レvv~──── !!*
(うん。キリスト様はまだあたしのことを、見捨ててなかったみたい)
ヒミコのバカげた文面に呆れつつ、羽海はだんだんと穏やかな気持ちを取り戻すことができた。預言の時刻はあと1時間と迫っていたが、まったく心に不安はなかった。彼女は未来においてその出来事が起こることを'信じていた'わけでなく、'知っていた'のだから。心拍数は少し上がっていたが、不安からくる怖さではない。
午前9時を回ったあたりから、新着メッセージの通知が急に何十件も増えだした。エフェメラ上にいいねやリブログ、賞賛のメッセージが次々と寄せられる。電話も1件かかってきた。そのことによって、羽海は伊勢崎線が人身事故で遅延した時間であることを知った。あらためてニュースを確認する気もない。羽海は起こった出来事それ自体よりも、人々の反応のほうに興味があった。
*うみっちすごい!すごすぎ!的中じゃん!*
《FF外から失礼します。あなた本当に預言者なんですね!!自分、フォローいいですか?》
*羽海ちゃん今日学校来て!*
《ホームから突き落としたってマ?》
*ねえちょっとねえなんで無視するの、今すぐ連絡してほし(※このメッセージは省略されました)*
《すみません通りがかりのサラリーマンです。大変困っています。何時頃に運行再開するか教えて頂けないでしょうか?》
(……知るか!)
羽海は操作していたスマホを投げ捨て、ベッドに躰を伏す。
「くっ」
ベッドから呻き声が漏れた。もちろんそれはベッドが発した声ではなくて、そこに臥せっている少女から発せられた声である。それは次第に高笑いの絶唱へと変貌した。
「くくっくっくっくっ あは、あははははははっ!!」
(勝ったよ、パパ! あなたの娘はただの嘘つきなんかじゃなかったよ!)
あの日から2ヶ月も待ったが、ついに'光の父の贈りもの'はやってきた。目の前に、唐突に、福音少女としての未来が啓かれようとしていた。
(第三話、おわり)
21条
(世間への認知)
預言が世間に認知されなかった場合、預言の宣言は失敗したものとみなす。
22条
(預言者の資格喪失)
10年に渡り預言を行わず、かつその間に預言の成就の無かった預言者は失権する。
「ねえ、星野さん。あなたって福音少女なんでしょ? 預言を授かったんだね。それってどんな感じだった? ルナが死ぬイメージが見えたの? それとも、神様が話しかけてきてくれた?」
そんなヒミコが、かつて見せたこともないような朗らかさで羽海に対していた。今まで格下と見下してきた相手の突然のこの態度に、羽海は鼻白んだ。
(……あっそ。新しくいじめのターゲットになってくれて、どうもありがとうってわけね。これからはあたしが仲良くしてあげてもいいよってことね。あなたの話にもわたしは興味を持ってあげますよって肚ね)
「あら? こんな馬鹿げた話、信じるんだ? だからカルトなのよ」
棘のあるニュアンスでそう言ってやると、ヒミコは言葉も継がなかった。羽海はこれで一本取ったと思えたはずに、黙り込んでいるヒミコを前にして、なぜかとんでもなくひどいことを言ってしまったという後悔の念が拭えず、戸惑いながら小さな声で口にした。
「ごめんなさい。言い過ぎた、かも」
と。
「…………」
ヒミコはまだ何も答えない。羽海はついつい言い足した。
「でもこれだけは言わせて。あなたと仲良くするほど、私は落ちぶれてないから。わかった?」
「……ふふっ」
ヒミコはそこではじめて笑みを洩らした。
「なによ!? 笑う要素あった?」
取り乱して問いただす羽海を尻目に、けらけらと朗らかに笑いながら、
「うん。星野さんって、プライド高いんだな~って。でも、べつに星野さんと友だちになりたいなんてわけじゃないの。その……星野さんの信者になっていい?」
とヒミコは申し出た。
「はあ??」
「だから、福音少女には信者がつきものでしょ? ルナラーとかストロベリー・アーミー(※ストロベリー・マーセの信奉者をこう呼ぶ)みたいに。私、星野さんの信者になりたい!」
(……ほんっとカルト。証拠もないのに、信じる? 普通)
「カルトじゃないよ~。ホーリズムっていうの。ま、お母さんが入信してるから入ってるだけだけどね」
ヒミコはさらりとそう流してから、普通にトークを続ける。
「ところで星野さんは、福音少女の中では誰が一番好き? あたしはストロベリー・マーセかなー」
「私もマーセよ。言っておくけど……」
羽海は低いトーンで威嚇した。
「あなたよりは百万倍マーセのこと好きだから」
ヒミコは、とうとうそこで堪えきれないかのように派手に吹き出した。
「ちょっと! 真面目な顔しながらそんなボケやめて……お腹痛い。 ひゃはははは」
どうやら唐突に張り合ってきたことが妙にツボに入ったらしい。羽海はバカにされたと思って駁した。
「ヒミコ、ふざけてないから……私がどれだけマーセのこと好きか、あなた知らないでしょ?」
「う、うん。ふふ、知らない……」
ちなみにストロベリー・マーセは福音少女の中でも最高ランクの人気を持つ少女である。アメリカ合衆国に住む18歳の白人で、チャンネル登録者数は5億人を超える。性格は少し独善的でわがままなところもあるが、明るくて面白い
「どれくらい好きか、教えてあげましょうか?」
「ま、待って、教えないで、ひへえ、もう十分だから……」
ヒミコはすっかり楽しそうにできあがっていた。ので、少しばかり真面目な態度になって、本当に言いたかったことを言うまで数十秒もの時間を要した。
「ねえ星野さん、たとえ私とはカーストが違うと思ってても、これだけは憶えててほしいの。あの、応援してるから、あなたのこと」
「あん?」
「だって、自分に正直に生きてるでしょ? 星野さんは」
「……」
「実際どうなの? それともあれは、みんなに注目されたいがためについたただの嘘?」
羽海は全力でブンブンと首を横に振る。
「そうだよね。だったら、それはすごく勇気ある行動なの。星野さんのとった選択は。だから、いじめになんて負けないで欲しいし、もしどうしても辛くなったら……」
「……」
「ホーリズムに入信してね♪」
「帰れ!」
羽海は一瞬だけ心動かされたのがバカみたいと思った。ホーリズムはプロテスタント系の新興で「全体は部分によっては理解できない」という文言を教義としている。いくら心が弱っていても、どんな事情があろうとも、そんなあやしげなモノにすがりつくほど甘くないとばかりに、羽海はヒミコをその場に残して屋上から立ち去った。
米
7月のある日。その日の羽海は朝から寝ぼけていた。いつも起床する時刻の2時間も前に起きて、そのまま二度寝した。それでもカーテンの隙間から差し込んでくる朝日が鬱陶しくて、しだいに目が覚めてしまったような朝。どこかで五尋の淵を掴んだらしい。そうやって朝起きたとき、心の中に言いようのないイメージがあった。
(伊勢崎線ってなんだっけ……?)
最初に浮かんだのはそれだった。伊勢崎線が8時59分にストップするらしい。人身事故によって。けれども羽海はこれまで人生で伊勢崎線なんて単語を口にしたこともなければ、まともに耳にしたこともない。スマホで調べてみると、確かにそういう路線は実在するらしく、都市部への通勤に使われているという。羽海はもうしばらくチェックもしていなかった「エフェメラ」を開いて投稿した。
ありす@ゴミクズです/AliceLittlePleasance
【預言】7/13 伊勢崎線は8時59分の人身事故のためストップ
その頃羽海はいじめのせいでノイローゼ気味になっていて、学校にはあまり出席していなかった。母親はともかく、ヒミコも「辛いなら無理して学校なんか行かなくていいよ!」と励ましてくれていた。そのとき失礼ながら羽海の頭の上に浮かんだ考えは、(ヒミコって、私と同じようにのけ者にされてながら、毎日楽しいとおもって学校に通ってるわけ……? マゾ……?)というものだった。
もちろん「楽しい」と「つらくない」はまた別だが、羽海にとってはつらさしかない。今日も休もうかと布団にうずくまっていたら、「エテログラム」に個人メッセージが送られてきた。それはかつての親友レイカからでなく、噂をすれば影のヒミコからだった。「エフェメラ」の投稿をめざとく嗅ぎ付けてきたらしい。
*預言キタ─wwwヘ√レvv~─(゚∀゚)─wwwヘ√レvv~──── !!*
(うん。キリスト様はまだあたしのことを、見捨ててなかったみたい)
ヒミコのバカげた文面に呆れつつ、羽海はだんだんと穏やかな気持ちを取り戻すことができた。預言の時刻はあと1時間と迫っていたが、まったく心に不安はなかった。彼女は未来においてその出来事が起こることを'信じていた'わけでなく、'知っていた'のだから。心拍数は少し上がっていたが、不安からくる怖さではない。
午前9時を回ったあたりから、新着メッセージの通知が急に何十件も増えだした。エフェメラ上にいいねやリブログ、賞賛のメッセージが次々と寄せられる。電話も1件かかってきた。そのことによって、羽海は伊勢崎線が人身事故で遅延した時間であることを知った。あらためてニュースを確認する気もない。羽海は起こった出来事それ自体よりも、人々の反応のほうに興味があった。
*うみっちすごい!すごすぎ!的中じゃん!*
《FF外から失礼します。あなた本当に預言者なんですね!!自分、フォローいいですか?》
*羽海ちゃん今日学校来て!*
《ホームから突き落としたってマ?》
*ねえちょっとねえなんで無視するの、今すぐ連絡してほし(※このメッセージは省略されました)*
《すみません通りがかりのサラリーマンです。大変困っています。何時頃に運行再開するか教えて頂けないでしょうか?》
(……知るか!)
羽海は操作していたスマホを投げ捨て、ベッドに躰を伏す。
「くっ」
ベッドから呻き声が漏れた。もちろんそれはベッドが発した声ではなくて、そこに臥せっている少女から発せられた声である。それは次第に高笑いの絶唱へと変貌した。
「くくっくっくっくっ あは、あははははははっ!!」
(勝ったよ、パパ! あなたの娘はただの嘘つきなんかじゃなかったよ!)
あの日から2ヶ月も待ったが、ついに'光の父の贈りもの'はやってきた。目の前に、唐突に、福音少女としての未来が啓かれようとしていた。
(第三話、おわり)
21条
(世間への認知)
預言が世間に認知されなかった場合、預言の宣言は失敗したものとみなす。
22条
(預言者の資格喪失)
10年に渡り預言を行わず、かつその間に預言の成就の無かった預言者は失権する。