第七幕 Dust to Dust ――! 死に至る病
文字数 7,884文字
「長くて冷たい――ええだかね、皆さんよ、長くて冷たい……わしにゃあ光が見えますだ、それから言葉が見えますだ、あわれな罪びとのみなさんよ! エジプトでも、みんな死んじまっただよ、戦いの馬車に乗った人たち、何代も何代もの人たちも、みんな死んじまっただよ。金持だった人が、いまはどこにいるだかね、兄弟たちよ? 貧乏だった人が、いまはどこにいるだかね、姉妹たちよ? ええだかね、もし皆さんも、長くて冷たい年月が過ぎ去ったあとに来る、わしらの救いのミルクも草露も、手にしていないんなら、そりゃあえらいことだで!」――フォークナー『響きと怒り』より引用
「マーセと通話した!? すごいよ羽海ちゃん!」
羽海はストロベリー・マーセから個通が掛かってきたことをヒミコに話し、小一時間マウントをとり続けた。といってヒミコもずっと喜んで聞いていた。じぶんのプロデュースの成功あってこそなのだから。
「そのまま仲良くなって、コラボできそう!?」
「うん、無理かも?」
あれからマーセからチャットも来たが、そちらは弁護士が書いたようなきわめて折り目正しい文章であり、おそらく本人が書いたものではあるまい。「これから前向きな友好関係を構築していきたいと思いつつも、格下のあなたのことは基本的に無視しますよ」という旨がおそろしく流麗に装飾された美文でしたためられていた。羽海は十四行に連なる返信とスタンプを送ったが、当然反応は返って来ない。あの日の通話は、たった一度の気まぐれだったのかもしれない(マーセこそ、究極の気まぐれ屋である)。それでも素晴らしい、奇跡が素晴らしいように。
「オフレコで怒られちゃった。福音少女同士は、揉め事をおこしちゃだめだ。預言もいまから撤回できるよっていわれて……」
羽海が気まずそうに申告すると
「その話?」
ヒミコはまっとうになって腕を組む。
じつはあれから送られてきたメッセージはもうひとつある。教皇庁真実省からのメールで、当該省の職掌である”奇跡認定”の
さてもマーセが言っていた通り、教皇庁のルールによると、福音少女が宣言した預言を取り消すことができる場合もあるようだった(対抗関係にあるなら、実現期日の一ヶ月前まで)。しかしヒミコは推奨でずむしろ
「現状、ルナについての預言は目玉といいますか、これを取消すのは相当痛いよ? 登録者数にも響くし。そもそもが正直な預言だもん。撤回はないと思うなー」
とこのように意見した。思い返せば、羽海とヒミコの絆はこの預言からはじまっている。対するマーセは、羽海がいちばん崇敬する大好きな福音少女である。羽海の心は綱引きのようになった。
「えーと、でも、マーセが……」
羽海はあたふたした。ヒミコいわく、
「うん。確かにギョーカイのマナー?には抵触するんだろうね。そこを争う気はないよ。でもね、あたしはいつでも羽海ちゃんの味方に付くから。もし誤解して変なことをいう輩がいたら、ちゃんと説明してあげる。”いつでも望んだ預言だけできるわけじゃない”って」
その後押しにもまだ羽海は逡巡しながら、進みつ迷いつ、また立ち戻った。
「でもほら、昔みたいに預言がひとつしかないわけじゃないし、派手な預言は諦めて、毎日こつこつと動画を出せば……」
「それなんだけどね。いや、羽海ちゃんはぜんぜん悪くないんだよ? ただ預言って「今朝きたよ」って事実より「いつ叶うか?」のほうがよほど重要みたいで。ちょっと苦戦してるんだよね。福音少女のファンって「今月起こりそうな預言の一覧」からチェックして、起きる起きないを楽しむから……」
羽海はその指摘に気付く。
「あ。たとえ毎日預言がきても、全部3年後とかの内容だったら……需要ない?」
ヒミコは頷く。
「ほぼ無視されるね。昔と違って、預言も多いしね~。『ちゃんと当たったよ!』って動画のほうが、ずっと再生数につながるね。あと最近流行ってるゲームは――」
羽海の預言は、そのほとんどが年内に実現時期が来ていない。「ルナについての預言」は実現時期が比較的早く、もっとも注目されるものに変わりなかった。
「それに取り消したらルナは死なないの?」
「へ?」
「それって預言が出来事を生むってこと? むしろ逆じゃない? 最初から起きることが予定されてるから、預言できるんだよね」
「そうだね……」
預言でルナが死ぬのではなく、ルナが死ぬからこそ預言できるという
「ほっとした。じゃないと、偽預言者だもん」
「偽預言者って?」
羽海はそこで首を傾げたので、ヒミコから即にツッコミが入った。
「羽海ちゃん……ちゃんとルールブック読んでる?」
あきれたような顔をして、肩を竦める。教皇庁から送られてきた書類のことなら、羽海は一通り目で浚っただけである。読むという行為が理解することを意味するなら、一文字だって読んではいない。
「あー。せっかく教皇庁さんが送ってくれたのになー」
「言葉もないです……」
ヒミコは”教皇庁さん”にかわって頬を膨らませながら羽海を叱った。羽海は'悔悛するマグダラのマリア'さながらに悔悛しきりだった。
「じゃあ羽海ちゃんに説明するね。福音少女は奇跡なんだけど、なかには”偽預言者”もいるって。あ、「何の能力もないのに嘘をついている預言者」とは別ね。ふつうの福音少女は義しいことを預言するけど、偽預言者はじぶんで預言したことが叶ってるだけなの。ここ大事」
「じぶんで預言したことが叶ってる? もしそんなことができるなら、普通の福音少女よりすごいんじゃない」
預言の指定ができるなら、さながら普通の福音少女の上位互換である、というのが羽海の抱いた感想である。
だがヒミコは首を振って以下のようにいった。
「ううん、ふつうの福音少女のほうがすごいの。神様とつながってるし、もしふつうの福音少女と偽預言者がぶつかるような預言をしたら、ふつうの福音少女が必ず勝つことになってるんだよ」
「へえ。でも2種類いるなんてみんな言わないよ。隠してるの?」
羽海の素朴な疑問に、ヒミコはこう答えた。
「隠すにきまってるよ! だって、「大地震がくる!」って預言してみんなから感謝されても、そう預言しなかったらはじめから地震もなかったわけだよ? そんなの絶対叩かれるし、たぶん偽預言者だってわかったら教会からも破門されちゃうよ」
「へえー。偽預言者とふつうの福音少女を見分ける方法はあるの?」
「うーん。外形だけ見ればふつうの福音少女と同じだから……」
ヒミコは首をひねり、明瞭な答えは返ってこない。次なる質問「ないの?」に対して、ヒミコは素直にうなずいた。
「じゃ、何人くらいが偽預言者なの?」
「わかんない」
いくら問疑しても、結局答えは知れない。溜め息をついて、羽海は考えるのを止めた。たぶん余計なことを考えてはいけないのだろう。つくづく因果な商売だが、ほんとうの福音少女のほうが余計なことを考えずに済むぶん楽そうという点に、羽海は心よりの謝意を示した。
米
相も変わらず、福音少女の波はとどまることを知らなかった。その年は「なんとなく、クリスチャン」というフレーズが上半期流行語となり、有機EL上に映し出された華やかな福音少女にあこがれなんとなくで受洗してしまうヤングが社会問題となった。ある社会学者は、”自分がどんな宗教に属するか”は人生を左右する高度な自己決定であり、なんとなくは同断で、どころか飲酒や喫煙のように、未成年にさせるのはまだ早いと警鐘した。ある別の社会学者は、キリスト教なら加入してもすぐ抜けることができるから、未成年が簡単にはいれる状況も社会勉強には悪くないと主張した。べつの熱心な社会学者は、カトリックの輪に加わるのはよいことだが、その理由が福音少女という子供だましに
また世の
混乱にあわせて社会が改革を迫られている間にも、サーカスは続く。なかんずく注目されたのは、羽海の預言……ではなく、「絶滅したはずのホッキョクグマが、この8月に再発見される」というナイラ・スミシー
『絶滅したはずのホッキョクグマ、アラスカで発見される』
そのニュースがヘッドラインに踊った。するとナイラの動画が引っ張り出され、たちまちバズる。いなくなった大型肉食獣の復活というエモさも手伝い、文句なしに今月のナンバーワンを飾った。無名だったナイラはこれで一躍有名である。ランキング入りしてからはじめて動画を知るネチズンも多い。預言は基本的にエフェメラやTELへの投稿というかたちでしか行われないので、もしもエフェメラやTELの投稿日時を自在に操作するハッキングができれば(ありえない仮定だが)、どんな百発百中の預言動画も現れることになる。陰謀論にのめりこむ大人たちが福音少女の権能を信じない理由のひとつである。投稿時間の改竄であとづけの奇跡を作り出し、企業宣伝に利用しているとうたぐっているのだ。もちろんそんなチャチな絡繰りで福音少女が言い尽くせるわけでもないのだが、大人たちが本気で福音少女を信じ始めるまでには、羽海たちの
ちなみに羽海の動画は8月の2位だった(日本・預言カテゴリ)。8月はあと数時間あるので、確定ではないがほぼ当確である。ヒミコはおおかた予想通り、
目の前のことを全力でやり尽くしたからこうなったのであって、決して後回しにした訳ではない(と本人は語る)。しかし責任を感じた羽海は終日付き添うことにした。
この夏休みは羽海にとっても思い出深く、忘れがたいものとなった。カリカリとペンを走らせる(課題に火がついた)ヒミコの横顔を見やると、羽海の頬に自然と笑顔が浮かぶのだ。
*ヒミコの『ポシェット・ベール』に着信があった。
ミステリア名義のアカウントだったし、ヒミコはいま忙しそうなので、かわって羽海が発信主を確認する。
『ポシェット・ベール』はスマホの通信アプリなのだが、通信の匿名性が加護されるという特長がある。逆に言えば、とりたててそれ以外に優れたところもないので、イマドキのJCやJKが使うアプリケーションではない。ヒミコがアリス名義のアカウントをもっているのは、宣教活動にはとりあえずなんでも種類があるに越したことはないという考えからであり、ミステリア・アリスとしての活動の中では、いままで一度たりとも(情報発信にさえも)使われたことがないはずである。
「もしもし?」
「あら、出てくれたのですね。アリスさん」
「はい。あの……?」
「ルナ・ミルレフワネスです。このたびは”公認”昇格おめでとうございます」
発信元はルナ・ミルレフワーネス。世界でもっとも有名な福音少女で、世界でもっともイケイケなティーン歌手のひとりである。言うまでもなく、羽海が最初の預言で数カ月後の死亡を宣言した本人でもある。
「!!! ルナさん!? ごめんなさい!」
羽海は平身低頭して謝った。
「あの、まだ何も言っていません」
「ですけど、私あなたが死ぬなんて失礼なことを……!」
「いいえ、怒っていませんよ。むしろそのことには迚も感謝しているのですよ。アリス」
「ど、どういうことですか……?」
とかく本場の
「私がユダヤ教徒だということは知っていますね」
「はい」
「自殺は、できないことになっているのでね」
「えっ!?」
ルナの発言は信じられないものだった。
「いま、わたしが生きているのはじつにあなたのお蔭です。実際。あなたの預言がなかったら、もっとはやく試したでしょう。そして、死んでたでしょうね。ずっとはやく。なのに、預言が当たるなら、わたしは11月になるまでは死ねないことになるのですから。困ったものです」
「ちょっ!?」
「驚くことではないでしょう? 自殺を考えるにあたってもっとも恐れるべきことは、本気で遂げようとしたのに、自殺未遂に終わることです」
「いや、待ってください。どうして自殺なんか!?」
「必要でしょうか、理由。なら、難病です」
「あの、でも、世界中があなたのことを応援していますよ。だからきっと……!」
「あら、勝手に分かってくれてると勘違いしました。ふふ。あなたなら。同調してくれると。だって、あなたはわたしに死んで欲しいですよね、自分のキャリアのために。アリス?」
「それは、病気か何かと想像してたからで……自殺なんだったら、そんな避けられるようなことだったらとめますよ!」
「あれ。病気と言いませんでしたっけ? 難病です。絶望という病です」
「いやいやいや……!」
ただならぬ会話が耳に入ったと思われて、ヒミコが宿題を中断して側に駆け寄ってきた。状況をたずねる声が電話口の向こうに伝わったのだろうか、
「アリスさん。このことはくれぐれも内密にしておいてくださいね。恥ずかしいし、不名誉です。誰にも秘密です。約束できますか?」
とルナは釘を差した。
「はい、わかりました……!」
それで羽海はヒミコに宿題を続けるよう頼みこんで、部屋を移動した。
なんでもルナによれば、羽海が預言してくれたことはじつに都合がよいのだった。なぜならルナはつねづね死にたいと願っていたのだが、ひとりのユダヤ教徒としても、みなの模範たる福音少女としても、自殺をすることは大きなタブーであるからだ。ところにもってきて今回の預言である。このまま撤回されず期日がくれば、運命に逆えないルナは、おそらくみずから手を下さずとも命を落とすことができるだろうし、もしそんな事が起こらなくて結局みずから命を絶つ流れになろうとも、それは「神に定められた定命」なのだから仕方がない。この日に行われる自殺は、神の預言を成就させるための崇高な使命となる(*注釈)。その上、未遂に終わる可能性など万が一にもないのだ。まさに何の躊躇もなく、心置きなく踏み出せるという。
この預言を「撤回してはいけない」とわざわざ念を押すため、ルナはアリスへと架電したのだった。その2週間ほど前に、まさにストロベリー・マーセが"ビジネス"を平穏に保つため預言を撤回するよう羽海に薦めたことを考えると、じつに明察だった。
しかし、羽海はこのシナリオを受け入れられなかった。ルナの死は回避できない事故のようなものと捉えていたのに、まさかの自殺である。それならば、いまから説得していくらでも止められるような気がした。何より自殺を企てる人間を止める行為ほど、福音少女に似つかわしい仕事もそうないような気がするのだった。
「今からリハがあるので、もう続けられません。いいですか、あなたがいま不用意に預言を撤回しても、逆に「これでいつでも死ねる」という口実を私に与えるだけですからね。わたしはいますぐにでも死にたい、これは本心ですから」
「あの、次にいつ話せますか!?」
「日本時間で、ですか? わかりません。わたしのスケジュールをそちらに送りますから、よさそうなときにかけてください。それとかけるときは匿名性のあるアプリ、さしあたり『ポシェット・ベール』を使いましょうね。これは福音少女同士の常識、きわめて基本的な立ち振舞ですから。尤も、マーセなんかは気にしないのでしょうけど」
秘かに死を企図する人間がリハをするなど、羽海にとっては考えられないことだった。ルナも本心では実は生きたいのではないか、などと投影してしまう。
「ルナさん! いつでも話を聞きますから……辛いことがあったら、何でも話してください!」
「はいはい。じゃ、リハに行きますね。今度のコンサートは新しい趣向があって、疲れるのです」
それから通話は切れた。
通話切断後すぐに、ルナのマネージャがつくったとおぼしい一週間のスケジュール表が送られてきた。
「あの……羽海ちゃん?」
部屋に戻って、ヒミコが先ほどの件について尋ねたとき、羽海は考えた。さっき横取りしたヒミコのスマホをいつまでも携えているわけにはいかない。「秘密にして」と言われたものの、さすがにヒミコは不審がっているし、ルナが「アリス」に語りかけてきたのなら、ヒミコだってもうひとりのアリスなのだから。彼女には話してもよいだろう――。
そこで羽海は正直に伝えることにした。
「うわあ……すごいことになったね」
「うん」
「何か手伝いたいけど、その、今日はお恥ずかしながら宿題が、まだ夜まで続きそうなわけで……」
ヒミコはばつが悪そうに口ごもった。
「いいよ、わかってる」
わかりきったことだった。羽海が2週間以上かけて終わらせた宿題が、まだ山積みなのだ。このとき羽海に閃きがあった。ルナのことを誰よりも考えていそうな、ルナを崇敬する人物、それはレイカだ。彼女なら、ルナを思いとどまらせる説得をしてくれるかもしれない。
「え、内緒じゃ?」
ヒミコが待ったをかけるように声を出した。たしかにルナは「誰にも秘密に」といい、羽海は了承した。かわされた約束を守ることは重要なことだった。しかしルナの自殺を止められそうなのは、もはやレイカしか思いつかない。羽海はこんな言葉を思い出した。『来月には死ぬ子供が「来年の夏は海に連れてってね」と言い出したとき,あなたはいつわりの約束をしたくなるかも知れません。その気持ちがあなたの真実であれば,あなたにとって真実とは嘘をつくことです。』――「妖精の手紙」
(ごめんなさいルナさん。約束、破ります――)
羽海はレイカのもとへ駆け出していた。
*1
『アウグスチヌスはこのような自殺行為や殺人にあたらないものとして三つの例外を認めている。神によって命ぜられた戦争における敵の殺害(26章),公権による刑罰としての殺害(21章), そして神の明確な命令による自己殺害 (26章)である。』
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/JINBUN/Christ/NJTS/011-Hamaguchi.pdf より