第九幕 Malleus Maleficarum ――! 有罪者たち
文字数 8,122文字
明けの明星が煌めいた。曙光がいびつなカーテンから差し込む。疲れ切ってグロッキーになったナイラ・スミシー時子は、タワーマンションの17階でゴシックドレスに身を包んだままカップラーメンをすすっていた。専門学校の授業は必修だったがサボった。破滅だった。いや、オンライン講義を受ければまだ間に合う。時子は聖アントワーヌではないので、いろいろな誘惑を振り切れない。洋服代もそうだし、夜ふかしや、ゲーム……。今宵も徹夜でFPSをしてしまった。福音少女となってからはや2年、あのストロベリー・マーセやステラ・ミラーと同期だったにもかかわらず、みごとに'
しかし、そんな彼女にも進展があった。先月の預言動画がバズったのだ。ホッキョクグマ。あれはたしか2年前の預言で、当時は見向きもされなかったが……。
ともかく果ての切符は掴んだ。これで、少数の内輪を相手にキャスをひらいて承認欲求を満たす生活からは抜け出せる。そうイマジンしてみると、次のステップへと踏み出すことが実は怖いのだ。
「………」
(「………」はささやかな世辞であり、実際は麺を啜る音がワンルームに響き渡った)
いで、福音少女としての成功とは何だろうか? とりもなおさず事務所に所属することである。その事務所がローマ教皇庁であろうと国内プロダクションであろうと、さして変わりはない。所属した時点でひとつのゴール、福音少女にとっての”約束の地”といえる。安定的な
『アスポデル』は記念すべきそのひとつである。スピリチュアルグッズ大手販売会社の下部組織として結成され、所属人数は8人。いずれも国内の福音少女であり、その半分がクリスチャンであり、5名がステラ推しであり、2名がセリア推しであり、7名がティーンエイジャーであり、1名が出口なおの生まれ変わりを自称している。
また『Angelica(エンゼリカ)』なる事務所もあった。こちらは純然たる芸能系で、TELerの大手プロダクションとパイプがあり、タレント養成を(むしろそちらをメインで)視野に入れる。時子は募集広告をみかけたことがあるが、ひどくオシャンティーでビジュアルなデザインだったことを覚えている。
また設立されたばかりの『アマランテ』という事務所もあって、時子にさいきん
いざ『アマランテ』に入ってみたはいいものの、ふるわず足手まといになって、事務所のカラーに合った陽キャの後輩たちに抜かされてゆくのは
いや、紐なしバンジーは誰だって怖いにきまっている。せめて今きている勢いが、これからも持続する保証があればいいのに。そうと楽観できない自分のリストを見つめた。
(空いちゃってるな……)
福音少女には預言の実現イベントにおいて、数ヶ月程度の何もない空白期間ができることはざらである。それを凌ぐため、世の福音少女たちは雑談で
(うう~ここで虚無はいたいよ、いちばん大切な時期なのに)
時子はカップラーメンを食べ終え、箸を捨て、脇へどける。化学調味料を摂取したからだろうか、やがて時子の頭に恐ろしい考えが、悪魔的なひらめきが浮かんだ。
(霊感はきてないけど、わざとそれっぽい預言をする? はずれるけど、事務所デビューもあわせて、話題にはなる……)
どうせなら当たってくれればなお嬉しい。実現したら世間の人々から驚かれることで、なおかつ自分にだけは確実に起こることがわかっているようなインサイダーな事柄はないものだろうか?
「……ない!」
時子は諦めた。いつわりはよくない。たとえ自信がなくて、それで事務所へ入ることに二の足を踏んで、人生が陰になってしまうとしても。そもそも、このネガティブな引っ込み思案がすべて悪い。躓きの石なのだ。
(うぅー……どうしよ。せめていまからでも登録者数を稼ぎたいよぉ)
追い立てられるようにインターネットに接続すると、その動画がすぐ目に飛び込んできた。
ルナ・ミルレフワーネスが日本の福音少女に向けて預言したという動画は、ビッグニュースで、界隈は蟻の巣をひっくりかえしたような、天地がひっくり返ったような大騒ぎとなっている。
*はっきりと見えました。11月16日に天国へ召されるのは、アリス・ミステリアさんのほうでした。わたしではありません*
*とても残念ですが、しかし親愛なる人たちには、誤解しないでほしいのです。これはいかなる敵対行動でもありません。今回のへーレムは、限りなき愛に満ち溢れた神様のはからいです*
「!!?」
画面の向こうでにっこりと愛想よく微笑むルナの、合衆国大統領ばりのそつのないスピーチ。しかし物騒なフレーズがあった気もした。浄福、神様のかぎりなき愛、ヘセド、楽園、恒久平和、へーレム。当然ながら、アリスのトピックが急上昇ワードにのぼった。そして時子は日本のこの同業者が、果ての果てへと”跳んだ”ことを悟ったのである。HTML Living Standardのハイパーテキストをたどって、日刊預言者速報に掲載されているとある記事に釣り込まれた――。
✡日刊預言者速報✡ ~すべての預言者について正しく記述する、ただひとつのテクスト~
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「福音おじさん」誕生 か? マーチンまさかの本人登場インタビュー!!!
「福音おじさん」が誕生するかも知れない。
ボローニャ大学経済学部でマクロ経済学の教鞭をとる43歳のアントニオ・マーチンゲール教授(通称マーチン)は、これまでモガディシュ五輪開催後の不況突入、YYDトランジット社の業績低迷に端を発する北米大不況など、数々の予言を的中させてきた。その論文は「奇跡の預言」、「驚きの的中率」などとインターネットで話題になっているほどだ。
もしローマ教皇庁真実省がこれを奇跡認定すれば、中年男性としては初の「福音少女(おじさん)」が誕生する可能性がある。
今日はそんなアントニオ教授(コピミズム伝道教会)にバーチャルでお越しいただき、まさかの独占インタビューの運びとなった。
(イ)教授はこれまで成功した預言について、どのようにお考えですか?
――そうですね、えーまず念頭において欲しいのは、
(イ)ですがその同じ根拠から、不況は訪れないと預言した多数の経済学者もいましたよね?
――予想に使った根拠がまったく同じなら、それは理論が違ったからでしょう。
(イ)つまり貴方の理論は『奇跡』なんですか!?
――そうではないのです。ただ、いくつかの双曲型の、代表的な偏微分方程式を組み合わせた…(以下、ヌミノース理論の説明がつづく)
(イ)それでは。もし教皇庁に福音少女として抜擢されたらですよ、活動をはじめる予定はおありですか?
――教皇庁から? そんなこと、考えませんよ。だって、そうでしょう? わたしはいい年です。それにわたしの予想的中は、たんなる奇跡ではなく実力と信じたいですがね。
(イ)インターネットユーザーの試算では、このような的中が起こる確率は天文学的だそうです。福音少女になる気はなくても、不況の守護聖人くらいにはなれそうですね?
――経済の守護聖人になりたいところですが。
(イ)それはもう割り当てられているので無理です。
――なんてことだ。
(イ)さてマーチン教授。今後の世界経済の動きはどうなるとお考えですか?
――トルコは、もう駄目でしょう。自国通貨建ての債権と外債のバランスがつりあっていません。いまさら金融緩和にはしっていましたが、典型的なスライド型です。注目すべきは、永久劣後国債のスティープ化で、これは過去数々の不況とも無関係ではない状況です。
(イ)というと?
――詳しい話は月刊『世界経済』の「資本は預言する」という記事をご覧になっていただきたいのですが、結論を言えばトルコは確定的に破綻します。今後一〇年、二十年といったスパンでそれが起きるでしょう。現在の国際情勢からしても、あそこでは宗教戦争が起きそうですよね。一旦そうなると、もうもちません。
関連リンク
⇒福音少女サント・アズハル、祖国に降りかかる災厄を預言?(1年前の記事)
(イ)興味深いお話でした! すこし難しい部分もありましたけど、とってもためになるお話! 「トルコは滅亡する!」 みんな、これからも”福音おじさん”マーチンを応援してあげてくださいね!
この記事ではない。
(次の記事)
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ルナ・ミルレフワーネス、新人福音少女に「あんた死ぬわよ」のデスボイス!
教皇庁の定めるルールによると、「預言者についての預言をすることはできない」。ただし死亡の宣告に限ってこのルールは適用されないという。宣告をされた方は、相手の死を宣告し返すことによってお返しする(「目には目を」)ルールだ。情報筋によると、水面下で行われていた何らかの交渉が決裂した可能性があるという。
ふたつの預言が対抗した場合、「偽物の預言の方がはずれる」ということに伝統的になっている。これまでの実績から考えて、ルナが偽物とは考えづらいか? アリスが撤回に向けて動くかどうかが注目される。
(動画リンク)
(次の記事)
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代替性LSD 未成年にも解禁すべき? 徹底討論続く
そこまできてやっと時子は目を離した。なんということだろう!
嵐が吹き荒れている。群衆は沸き立ち、これから次の記事が書き立てられるだろう。時子は呆れて、あるいは驚嘆してものも言えない。みずから'炎上の火の中に投げ込まれる'ような真似をおかして、いったい何になるというの?
そんな臆病を知る時子だからこそ、以後の展開は手に取るように分かった。和解するのだ。何事もなかったかのように、このあとふたりは和解する、本物や偽物とか、有耶無耶になり。つまりこうだ、大先輩を越えてやるといきまく
時子は悔しくて、悔しくて、何か言わずにはいられなかった。発信源はいくらもある。ミクシィに日記を書いた。エフェメラで何度も意見を発信した。それがさらなるトレンドになって、福音少女界隈に第二波の熱狂を提供するのだった。
米
渦中の、羽海とヒミコはちまたの喫茶店でタピオカミルクティーを飲みながらブリーフィングをしていた。華金なので店内に人通りも多かったが、
「やっぱりルナのファンからの攻撃が多いねー」
ヒミコは包み隠さずに現況を伝えた。
「はぁー……もうネット見れない」
それを受けて羽海は机にがっくり突っ伏した。
「ただ『新人にムキになってるみたいで見苦しい』『ちょっと失望した』ってルナのイメージダウンもあるよ!」
ヒミコが明るい声で鼓舞する。
「……『羽海ちゃんがんばって!』みたいなメッセージはないの?」
「あるある。ほら、コメントのココに『アリスちゃんが絶対に勝ちます! ――Himiko☆』」
「ヒミコの自演じゃない」
羽海は一瞬興味を
「誰も信じてないし、分かってたけど」
今回の騒動では、ブックメーカーは圧倒的にルナ有利の配当を告示していた。ルナとアリスの支持率は9:1で、この1もほとんどルナのアンチであってアリスとは関係ない。何かにつけてルナをユダヤ教のことで非難する原理主義者は、木っ端のアリスを出汁に使っているだけなのだ。
「でも登録者数は2倍になったよ」
「へ?」
「『アリスの部屋』登録者1500万人。ルナのチャンネルも爆速で増えてて、そっちは4000万人スケールの↑。やっぱり炎上系って正解なんだね」
あっさりとヒミコはそう結論した。登録者が増えたのは、何より人目に触れることがニュースサイトによって達成されたからだろうか。
「これだけチャンネル登録が増えたら、メンバーシップも増えるね! おめおめ!」
アリスのチャンネルには今月からメンバーシップがあった。
※コラム――一般恩寵と特別恩寵
福音少女のチャンネルに登録するだけでは一般恩寵にとどまる。無料の
「それはよかったけど……」
でも、メンバーシップの"特典"はどうするのだろう? 何も知らない。ヒミコはそれについて何か考えているのだろうか? といった猜疑混じりのめくばせをおこなうと、
「それも含めて、これからの方策を考えよ!」
と、いざや(※預言者の名前ではない)作戦会議とばかりに、ヒミコは座り直した。タブレットにすらすらと図を描き込んでゆく。
「まず、預言! ルールは大丈夫?」
「うん」
かつて教皇庁から送られたルールを把握していなかったことさえあった羽海だが、さすがに少しくらい今は憶えている。
「場合分けすると、もし羽海ちゃんが悪者の預言者だった場合、ルナが本物だったら負けるし、ルナが悪者でもかなり不利だね。
純粋な預言勝負だったら、五分だけど。でもルナはセキュリティ万全な豪邸でじっとしてたら、死ぬような因果関係はほとんど消せるし、たぶんミサイルだって打てるよ。だから――」
「私が偽預言者の可能性は、考えなくていいよ」
羽海が平然とそう告げると、ヒミコは胸元のタブレットにしゃこしゃことペンを走らせて二重線で棒引きした。
「じゃ、羽海ちゃんが本物の預言者だった場合の話ね。考えられるパターンは2つ。
①ルナがもし偽預言者だったら、羽海ちゃんの預言は無条件に実現→勝利
②ルナがもし本物の預言者だったら、羽海ちゃんの預言は実現するけど、本物同士の対抗だから羽海ちゃんは失権→(泣いている顔のエモティコン)
つまり、ルナが本物の預言者かどうかの話で……」
「ルナが本物じゃないって言っちゃだめ?」
羽海はおさえきれずに質問した。
「その根拠は?」
「だって、神様は本物の預言者と偽物の預言者を戦わせるでしょ。私が本物ってことは、ルナは偽物だよ」
しかしそうとは限らないといってヒミコは譲らなかった。納得できない羽海を尻目に、タブレットに書き込みつつ以下のマトリックス図を提示する。
・ルナが悪者の預言者で、神様がルナの
偽物×本意
・ルナが悪者の預言者で、神様が許してあげることを望んでいる
偽物×不本意
・ルナが本物の預言者で、神様がルナの殉教を望んでいる
本物×本意
・ルナが本物の預言者で、神様がルナの生命を欲しているけれど、実は止めることを望んでいる(イサク燔祭?)
本物×不本意
「……もし最後のやつだったら私、神様を理解しようとするのやめる」
羽海はいじけた。ルナが本物の預言者である可能性なんて、信じる心を固めた羽海にとってはひどく不合理にしか映らない。'不合理なるがゆえにわれ信ず'というなら、最後のパターンだって、何だって、信じなければいけないことになるが……。
「ひとつ提案いい?」
ヒミコは身を乗り出した。そのときたまたまタピオカミルクティーを飲んでいた羽海は
「ほん」 と返事した。
「いまからルナと一緒のツーショット写真を撮りにいって、コラボして仲良くなってお互いに預言を取り下げるの。もちろん、期限の1ヶ月前までに」
「え? 「預言は取り消すべきじゃない」って、言ったのに……」
羽海は不満な顔を浮かべた。
「でも穏便だしぃ……炎上系って、炎上したあとは速攻で火を消すんだよ。でないと、ただの黒焦げになっちゃう」
「ヒミコは、もしかして最初からこの局面を予想してた? ここで取り消せば人気だけゲットできるって」
困ったように視線をそむける。
「うーん、人気だけゲットってわけでも……」
そうしてヒミコは仕方ないと諭すのだった。こうなった以上、炎上系のもっとも理想的なパターンで収束するのが円いと。
「私はルナが偽預言者って信じてるから、ルナが福音少女の活動を引退しない限りは、預言は取り消せない」
そうはっきりと意思表示する。
「羽海ちゃん。その偽預言者探しだけどね。きっと、誰もそんな真剣にはやってないと思うよ……。業界に「福音少女同士の対抗預言はしない」って
「嫌。私は真剣にやるの」
「いい覚悟だね~じゃ、生放送しよっか?」
「ちょっと!? なんでそうなるの!?」
羽海は後ろへ飛びずさった。チャンネルでの生配信を、衆生はかねがね望んでいたが、羽海は長いこと断固拒否していた。某アイドルグループが戻りたかったいわゆる「普通の女の子」である羽海に、カメラの前にたって長時間配信するなど無理なのだ。
「だって、メンバーシップの特別恩寵が必要だし。それに今回のことを支援者さんに説明しないわけにはいかないよね? みんな喜ぶよ。アリスちんの生声が聞けるって!」
「(アリスちん!?) そんな……私、あの……生でなんて、喋れない……多分ボコボコにされる……」
「みたーい♪」
「ちょっと!!」
羽海は本気で怒った。
「冗談だよ。大丈夫、会員限定放送で、コメントは統制するからアンチなんて来ないよ。それにいいアイデアがあるから」
そういってヒミコは肩をたたいた。
「………」
どうやら、どうやってもゴルゴダの丘へ登らなければならないらしい。みずから決めたことの筋を通すためには。アリスは、