序文
文字数 755文字
切り取られた時間に意味は無い。嘗て人生で経験したすべてのことを上回る夢を、一夜にして見、覚醒めるかもしれない。長い人生のたった一夜半の夢における理解が、ひとの一生分の体験を凌駕することもある。部分が全体を包摂する。まるで無数に細かい砂からできた砂丘から、一掬を手にすくい上げるよう。掌にすくい上げられた砂粒の数は、砂をどこまでもきめ細かく分割してゆけるという仮定から、数え切れないほどの無数であるが、それはこの砂をすくいとった砂丘全体に眠る砂粒の数と寸分同じであるという夢想。
胡蝶の夢を経験するのは、もしや明日かもしれぬ。ひとの生涯の重大さは、彼がその中で生きた一日と何ら変わらない。あるつまらない男の天涯を生きることが、全人類の歴史を生きるのと同じになることもある。部分が全体を包摂するこの耳慣れない説法を基にすれば、万物を内包する書物を物することも可能とならう。
”絶対書物”となるためには、テキストは無限の情報を有していなければならない。クローズドな石碑は情報量的に有限であり、全体なる無限と質的に同じくなることはないからだ。為に、私は文筆家が有限を回避する術として以下の流儀を支持する。すなわちジョイスのように、テキストに指称された一は一でなく、1をあらわす惣ての概念であり(パリのセーヌ川に浮かぶ一本の小枝かもしれず、ライプニッツの書き記す思弁的なモナドかもしれず、人称代名詞のI、つまりこの世に在り在りき在らざる(スム/スムフィ/ノンスム)すべての現存在を指称するかもしれない)、ある章に登場するある男は、ただ一遍の物語に在る登場人物の男ではなく、むしろありとあるこの世の物語に登場して、描写される未来のある全ての人物の変換概念であると象徴学的に定義する手法を、好むと表明するものである。許されたし。
胡蝶の夢を経験するのは、もしや明日かもしれぬ。ひとの生涯の重大さは、彼がその中で生きた一日と何ら変わらない。あるつまらない男の天涯を生きることが、全人類の歴史を生きるのと同じになることもある。部分が全体を包摂するこの耳慣れない説法を基にすれば、万物を内包する書物を物することも可能とならう。
”絶対書物”となるためには、テキストは無限の情報を有していなければならない。クローズドな石碑は情報量的に有限であり、全体なる無限と質的に同じくなることはないからだ。為に、私は文筆家が有限を回避する術として以下の流儀を支持する。すなわちジョイスのように、テキストに指称された一は一でなく、1をあらわす惣ての概念であり(パリのセーヌ川に浮かぶ一本の小枝かもしれず、ライプニッツの書き記す思弁的なモナドかもしれず、人称代名詞のI、つまりこの世に在り在りき在らざる(スム/スムフィ/ノンスム)すべての現存在を指称するかもしれない)、ある章に登場するある男は、ただ一遍の物語に在る登場人物の男ではなく、むしろありとあるこの世の物語に登場して、描写される未来のある全ての人物の変換概念であると象徴学的に定義する手法を、好むと表明するものである。許されたし。