第六幕 The Spanish Inquisition ――! 法王庁の抜け穴
文字数 5,612文字
ヒミコはいった。
「いい! この夏が勝負なんだよ! だって、一日中時間を自由にできるのは夏だけだもん。秋になって学校が始まったら、チャンネルの動画投稿も大変になっちゃう。だからせめてこの夏だけは真剣にやろう!」
この夏休みは、福音少女としての活動に専念する大事な時期にする。羽海とヒミコはソウルメイトとして誓い合った。もちろん夏休みの宿題をやらなくていいというわけはない。本業が進まない罪悪感を埋めるように羽海は、暇さえあれば学校の宿題へと手を伸ばした。漢字帳の書き取りは既に終わってしまった。読書感想文も『ヨブ記』で無難にまとめた。このまま7月中にすべて終わってしまうペースだ。終わったらヒミコの宿題を手伝ってやろうとさえ計画していた。でも肝心の福音少女の活動のこととなると、レイカのことがちらついて全然踏ん切りがつかないし、エフェメラへのポストは相変わらず堅い文面しか思い浮かばないし、何より預言は降るのをただ待っているほかないのだ。
羽海が面壁九年のあいだヒミコは八面六臂で、いかんなく才能を発揮して、SNSや動画編集で慌ただしくも華々しい成果を上げていた。だからこそ焦るのだが羽海には何もできない。
なるほど、羽海にだってつくればやることはある。聖書を全部読むとか。でも、それはぜったい他の福音少女だってやってはいない。だいいちあのマーセが読むわけがないのだ。
それより羽海は精神を安定させること――マインドフルネスのトレンドに興味があった。羽海の購入したエックハルト・トールの入門書によると、心思 を磨き精神 を清く保てば預言の降りてくる頻度があがるかもしれないと書いてあった。これは死活問題である。
一ヶ月も預言が降りてこなければ、すなわち動画投稿間隔が一ヶ月も空けば、この忙しないネット社会でたちまち没却されてしまう。実際はヒミコがうまくやってくれて、過去の総集編やクイズでつないでくれるだろうけれど、理想は毎日のように預言がおりてくること。そして「毎日のように預言がおりてきてほしい」という雑念を頭の中から消却すること(『妖精の国への最後の一歩は,「私は妖精の国へ行きたい」という思いを捨てることです。』――妖精の手紙より)。かくて自己流の鍛錬だった。漢字帳の書き取りは写経と同じ効果がある気がして早々に終わらせてしまった。そのあいだに降りてきた預言は4つ。あとはひたすら家の掃除をしたり、グルテン断ちをしたり、猫のことを考えながら座禅をしてみたり。とにかく雑念を消すように試みる。でも絶対に最後まで消えない雑念は、レイカのことだ。気軽に消してはいけないとさえ思う。「結果がついてくればわかってくれる」とヒミコは口癖のように言う、つまり、あの預言が的中したらわかってくれると。でも、ルナが死んだ日にレイカと仲直りできる気はしない。ルナが死んだということは、少なくとも羽海が預言を撤回しなかった結果であり、預言が正しかったことが証明されたとして、崇拝するものを失ったレイカはひどく落ち込むだろう――だからといってあの預言を撤回するのは福音少女になるという夢を壊す羽目になる。結局、むずかしい――
米
「『テレビスターの小笠 航さん、享年82歳。肺がん。来年の3月6日、19時43分……」
口述を書き取るヒミコの手が困ったようにとまった。
「うーん……。そういうリアルなの、アップできなくなっちゃうんだよね。ほら、お年寄りってナイーブだし、年金ももらってるし? だから『テレビ俳優のOさん』ってぼかしていいかな? それに3月6日も、『3月!』って……」
「え? そういうもの?」
「そうだよ、生きてるひとだもん」
「『3月!』と3月6日って、おなじなの?」
「いや、数学の方程式じゃないから……羽海ちゃん」
「いいよ、任せる。でも、エフェメラの方には書くから」
羽海は意地になって言ったが、その一幕があって、あらためてじぶんの”預言リスト”に「ルナ・ミルレフワーネスの命日」が記載されていることは相手にとって失礼なことなのだと痛感した。レイカがひどく怒るのも、無理はない……
「因果な商売よね」
羽海は呟いた。
「?」
「悪いことを預言するよね、そうすると、嫌がられて」
厭われる。
この点、同業のミラクル・マリアは悪い内容の預言をほとんど行わない預言者で知られる。中立的で、どちらかといえば当たってもな平穏 な事柄ばかりを預言する。それが彼女 のスタイルなのだと識者はうなる。
「羽海ちゃんは悪くないよ。預言するからこそ、避けられるようにみんな努力するでしょ? そうすると、悪いことは的中しなくなるかも」
「それって、タイムパラドクス?」
「うーん。預言の自己破壊?っていうんだって。ママがいってた。みんなが信じると、預言なんか叶わなくなるって」
ヒミコの又聞きに羽海は目をぱちぱちさせた。鱗が落ちたのだ、半知半解ながら。
「理屈としては、そうかも」
とうなずいてみせた。
「みんなが信じると、預言なんて叶わない。誰も信じないと、ただのカサンドラ症候群になっちゃう。難しいね」
ヒミコはそう総括した。もしやすると、ヒミコが『テレビ俳優のOさん』とぼかしたほうがいいと進言したのは、通報を避けるためのほかにも、本名で投稿し、それを本人がみてしまったら、信じてしまったら、それで肺がんに気をつけるようになったら、タバコを吸わなくなったりして、健康を気にしたりして、死亡の日時がずれこむかもしれない。そうすると預言がはずれたことになって、落ち込んだり、イメージダウンにつながってしまうという心配もあるのだろうか? 預言の一部をぼかすというアドバイスにこのような深い配慮を知って、羽海はますますヒミコにたいする信頼を深めた。
「なんかね、あらためて考えてみると」
「?」
「はずれたほうがいいのかもしれないね。私の預言って」
しょっちゅう預言がはずれて炎上しているストロベリー・マーセは、同時に世界で一番信じられている福音少女でもある。今まで特に考えてもみていなかった、このふたつの事柄は実は無関係ではないのかもしれない。そんな思いが羽海の脳裏をよぎった。
米
大陸からおしかけた高気圧で真夏日の陸続する8月の半ば、業界系アフィブログの「日刊預言者速報」を閲覧して爆笑してから、羽海はフォロワー(280万)と登録者数(400万)をチェックして寝る態勢に入った。するとディスコから通知 があった。
「!!?」
この通知 はガブリエルによってもたらされるのがふさわしい。じつに、信じられないことが起こった。申請が通ったのだ。ストロベリーマーセに送っていた、ほぼダメ元で、ファンレターがわりの、一方的なフレンド申請が……。福音少女同士だからもしや……と、ワンチャン狙いの、下心に満ちた、コスい、見え見えの、公私混同のラブコール。しかし通った。羽海 が福音少女だから? たぶん、そうだろう。しかもこれは始まりにすぎなかった。
「!!?!!?!?!??」
音声通話の画面がディスプレイされる。ストロベリー・マーセから個通がかかってきたのだ! 羽海は、震える手で、疑いながらも受話器のボタンをスワイプした。レイバンのサングラスをかけたレトリバーのアイコン(マーセのディスコアイコン)が明滅する。もし神 から通話しようと誘ってきたとしたら、嬉しすぎて限界化どころの騒ぎではない。
「Sup. Now, nobody expects strawberry inquisition!」
通話越しの相手はもちろん英語だったが、未来のディスコがリアルタイムの日米翻訳をかけてくれるので、日本人の中学生とも話は通じる(なづけてニュー・スピーク)。そして、その声、耳に入ってくる声、力強い声は、間違いなく動画で幾度となく反復したあの馴染み深いマーセの音色である。
「ああ……マーセさん!」
感極まった羽海が理性的な会話を続けられるかは妖しい。じつを言うと、じぶんが福音少女になってから追っかけのメンタリティはいささか薄れ、影を潜めていた羽海だが、それでもかつてナンバーワンに崇拝していた偶像を前にして、'聖テレジアの法悦'に至りつつあった。
「アタシのファンって聞いたけど」
「は、はっ、はい! そうです! そうなんです!」
「やるじゃん。地球の裏側からつねにアタシのこと考えて応援してくれてんだ。そりゃ、やるね。ちょっとキモいけど」
二言目には炎上ワードを投げ散らかすのがストロベリー流である。
「~~~っ!」
「撮影あるんで、5分で済ますぞ?」
「あ~~~っ!」
「あの、話通じる? 頭にナッツでも詰まってんの?」
「いえっ! 私の頭にはですね、あなたへの愛が……」
しかしマーセは無視して本題への口火を切った。短兵急でならしているのだ。
「知ってるように、福音少女って金になる。んでも、この仕事を続けるためにはルールがあるんだ。そりゃルールを知っておいて損はねえな? いってる意味わかる?」
「ええ。もちろん! 憧れの大先輩に教えていただけるなんて、光栄です!」
羽海は手を叩いた。そしてマイクから声は続く。
「超簡単だけど、預言者には2種類いる。本物と、偽物。あと本物だったやつ。あと偽物以下のやつだ……あ。5つか…?」
「?」
「まあいいや、どっちなんて気にすんな。つまりこのゲームはべつに、アホな教皇庁のトンパチどもが勝手にやってるってこと! 見分けんのはアタシらのヤマじゃない。で、福音少女の垂訓 知ってるか?」
「『日刊預言者速報』に書いてあることなら、たぶん知ってます……?」
「バカ! あそこはデタラメだ! アタシは犬型のディルドなんて購入してねえよ!」
「じゃあ、…購入履歴は?」
「あれは家族のアカウントだし、ハッキングで違法に手に入れた証拠なんて証拠にならない、なかったことにしなきゃダメ」
「つまり、おもちゃ会社の陰謀ですか?」
「そう! セルラントップ! ロイヤリティ払えってんだ。ち、話がそれやがる。あんな、対抗預言に失敗したら失権するって知ってる?」
「……たいこう? しっけん?」
マーセは「そっからか」と指を鳴らした。
「たとえばだ、もしアリスが『ボブ・ディランは明日生き返る』って預言するよな? で、もし外れたらどうなる? なんにも、起らなくって」
「え、えっと、預言がはずれたら……」
羽海は口ごもる。いままで羽海の預言がはずれたことはないので、経験としてはわからない。
「は? わかんないの?」
「え、預言が、はずれたら……」
「アタシ、外しまくってるけど?」
「え、その場合、どうなるんですか?」
福音少女が預言をはずしたらどうなるか、羽海は知らなかった。爆発する?
「何もねえよ。ペナルティなし。でも、もしアリスが『ボブ・ディランは明日生き返る』って預言して、ほかのスベタが『ボブ・ディランは明日生き返らねえ』って予言したら? はずれたら、どうなる?」
「はずれたら……?」
「外したほうが失権すんの! この場合は預言能力を失うってこと! な、つまり対抗預言に負けると、今後一切預言は降りてこなくなる」
「え、はじめて知りました……!」
『日刊預言者速報』には載っていない情報 に、羽海は目をみはった(尤ももっと深く調べれば辿れるが)。
「困るわな! ちった、わかんだろ、そうなったら? 金を稼ぐための苦労がちょっぴり増えるわな! それが嫌なの!」
「は、はい!」
「そりゃ、あんたがプレテンダーとはおもってねえ。滅多に失権しないかもしれん。でも、決めてんだ、シマじゃ。同業者同士で、そゆこと! 対抗預言はしないって! わかった!」
「それは平和で素晴らしいですね」
「いやあんた、ルナに対抗してんの! ルナ・ジョイス!」
「へ?」
「だから、ルナが死ぬとかそういうの? アタシらのシマじゃやってねえ、わかる?」
「あ、でもそれはもうしちゃいましたし……今度から気をつけます」
「取消しな、あれ一ヶ月前まで大丈夫だから。信じらんないなら、真実省付けのルール送る。アンタ、よく考えなよ」
そういって通話はブツ切りになった。
いま、とんでもない夢が叶えられた気がした。70億人のあこがれ、S.マーセと通話したのだ。ほとんど雑談はなく、業務連絡のようなものだったが…
そうしてよくよくと考えてみると、だから、つまり、さっきマーセが言っていたのは、同業者にはルールというものがあり、ほかの福音少女と衝突するような預言をしないこと――そうした上で預言をはずせば、単にはずした時とちがい、預言者としての能力を永遠に失ってしまうことにも繫がる――そして一度した預言でもいまはまだ取り消すことができる、という説明ではなかったか?
多分、そうだった。でも……もし取り消しが許されるなら、マーセの助言に従ってぜひそうしたいという思いと、預言が降りたものは仕方がない、当たるも八卦外れるも八卦で、どうなるにせよ撤回はできないという思いが、半々せめぎあっていた。マーセに言われてもまだ半半というのは、一昔前の羽海には到底考えられないことだった、マーセの命令ならば、何でもかでも喜んで従っただろう。でもいまの羽海は、ヒミコと相談して、このことをふたりで決めたい気持ちだった。福音少女のキャリアは、いまやひとりだけではなく、ヒミコと共有するものだったのだから。
23条
(対抗預言)
1対抗預言とは、ある同一の出来事について、複数の預言者が同時には成立しえない預言を行うことである。
2対抗預言の不成就は預言者の失権事由となる。
26条
(預言者についての預言の禁止・呪殺)
いかなる預言者も、公生涯の期間にある預言者についての預言を行うことは禁じられる。ただし、その活動終了事由である死亡の時期についての預言はこの限りではない。
「いい! この夏が勝負なんだよ! だって、一日中時間を自由にできるのは夏だけだもん。秋になって学校が始まったら、チャンネルの動画投稿も大変になっちゃう。だからせめてこの夏だけは真剣にやろう!」
この夏休みは、福音少女としての活動に専念する大事な時期にする。羽海とヒミコはソウルメイトとして誓い合った。もちろん夏休みの宿題をやらなくていいというわけはない。本業が進まない罪悪感を埋めるように羽海は、暇さえあれば学校の宿題へと手を伸ばした。漢字帳の書き取りは既に終わってしまった。読書感想文も『ヨブ記』で無難にまとめた。このまま7月中にすべて終わってしまうペースだ。終わったらヒミコの宿題を手伝ってやろうとさえ計画していた。でも肝心の福音少女の活動のこととなると、レイカのことがちらついて全然踏ん切りがつかないし、エフェメラへのポストは相変わらず堅い文面しか思い浮かばないし、何より預言は降るのをただ待っているほかないのだ。
羽海が面壁九年のあいだヒミコは八面六臂で、いかんなく才能を発揮して、SNSや動画編集で慌ただしくも華々しい成果を上げていた。だからこそ焦るのだが羽海には何もできない。
なるほど、羽海にだってつくればやることはある。聖書を全部読むとか。でも、それはぜったい他の福音少女だってやってはいない。だいいちあのマーセが読むわけがないのだ。
それより羽海は精神を安定させること――マインドフルネスのトレンドに興味があった。羽海の購入したエックハルト・トールの入門書によると、
一ヶ月も預言が降りてこなければ、すなわち動画投稿間隔が一ヶ月も空けば、この忙しないネット社会でたちまち没却されてしまう。実際はヒミコがうまくやってくれて、過去の総集編やクイズでつないでくれるだろうけれど、理想は毎日のように預言がおりてくること。そして「毎日のように預言がおりてきてほしい」という雑念を頭の中から消却すること(『妖精の国への最後の一歩は,「私は妖精の国へ行きたい」という思いを捨てることです。』――妖精の手紙より)。かくて自己流の鍛錬だった。漢字帳の書き取りは写経と同じ効果がある気がして早々に終わらせてしまった。そのあいだに降りてきた預言は4つ。あとはひたすら家の掃除をしたり、グルテン断ちをしたり、猫のことを考えながら座禅をしてみたり。とにかく雑念を消すように試みる。でも絶対に最後まで消えない雑念は、レイカのことだ。気軽に消してはいけないとさえ思う。「結果がついてくればわかってくれる」とヒミコは口癖のように言う、つまり、あの預言が的中したらわかってくれると。でも、ルナが死んだ日にレイカと仲直りできる気はしない。ルナが死んだということは、少なくとも羽海が預言を撤回しなかった結果であり、預言が正しかったことが証明されたとして、崇拝するものを失ったレイカはひどく落ち込むだろう――だからといってあの預言を撤回するのは福音少女になるという夢を壊す羽目になる。結局、むずかしい――
米
「『テレビスターの小笠 航さん、享年82歳。肺がん。来年の3月6日、19時43分……」
口述を書き取るヒミコの手が困ったようにとまった。
「うーん……。そういうリアルなの、アップできなくなっちゃうんだよね。ほら、お年寄りってナイーブだし、年金ももらってるし? だから『テレビ俳優のOさん』ってぼかしていいかな? それに3月6日も、『3月!』って……」
「え? そういうもの?」
「そうだよ、生きてるひとだもん」
「『3月!』と3月6日って、おなじなの?」
「いや、数学の方程式じゃないから……羽海ちゃん」
「いいよ、任せる。でも、エフェメラの方には書くから」
羽海は意地になって言ったが、その一幕があって、あらためてじぶんの”預言リスト”に「ルナ・ミルレフワーネスの命日」が記載されていることは相手にとって失礼なことなのだと痛感した。レイカがひどく怒るのも、無理はない……
「因果な商売よね」
羽海は呟いた。
「?」
「悪いことを預言するよね、そうすると、嫌がられて」
厭われる。
この点、同業のミラクル・マリアは悪い内容の預言をほとんど行わない預言者で知られる。中立的で、どちらかといえば当たってもな
「羽海ちゃんは悪くないよ。預言するからこそ、避けられるようにみんな努力するでしょ? そうすると、悪いことは的中しなくなるかも」
「それって、タイムパラドクス?」
「うーん。預言の自己破壊?っていうんだって。ママがいってた。みんなが信じると、預言なんか叶わなくなるって」
ヒミコの又聞きに羽海は目をぱちぱちさせた。鱗が落ちたのだ、半知半解ながら。
「理屈としては、そうかも」
とうなずいてみせた。
「みんなが信じると、預言なんて叶わない。誰も信じないと、ただのカサンドラ症候群になっちゃう。難しいね」
ヒミコはそう総括した。もしやすると、ヒミコが『テレビ俳優のOさん』とぼかしたほうがいいと進言したのは、通報を避けるためのほかにも、本名で投稿し、それを本人がみてしまったら、信じてしまったら、それで肺がんに気をつけるようになったら、タバコを吸わなくなったりして、健康を気にしたりして、死亡の日時がずれこむかもしれない。そうすると預言がはずれたことになって、落ち込んだり、イメージダウンにつながってしまうという心配もあるのだろうか? 預言の一部をぼかすというアドバイスにこのような深い配慮を知って、羽海はますますヒミコにたいする信頼を深めた。
「なんかね、あらためて考えてみると」
「?」
「はずれたほうがいいのかもしれないね。私の預言って」
しょっちゅう預言がはずれて炎上しているストロベリー・マーセは、同時に世界で一番信じられている福音少女でもある。今まで特に考えてもみていなかった、このふたつの事柄は実は無関係ではないのかもしれない。そんな思いが羽海の脳裏をよぎった。
米
大陸からおしかけた高気圧で真夏日の陸続する8月の半ば、業界系アフィブログの「日刊預言者速報」を閲覧して爆笑してから、羽海はフォロワー(280万)と登録者数(400万)をチェックして寝る態勢に入った。するとディスコから
「!!?」
この
「!!?!!?!?!??」
音声通話の画面がディスプレイされる。ストロベリー・マーセから個通がかかってきたのだ! 羽海は、震える手で、疑いながらも受話器のボタンをスワイプした。レイバンのサングラスをかけたレトリバーのアイコン(マーセのディスコアイコン)が明滅する。もし
「Sup. Now, nobody expects strawberry inquisition!」
通話越しの相手はもちろん英語だったが、未来のディスコがリアルタイムの日米翻訳をかけてくれるので、日本人の中学生とも話は通じる(なづけてニュー・スピーク)。そして、その声、耳に入ってくる声、力強い声は、間違いなく動画で幾度となく反復したあの馴染み深いマーセの音色である。
「ああ……マーセさん!」
感極まった羽海が理性的な会話を続けられるかは妖しい。じつを言うと、じぶんが福音少女になってから追っかけのメンタリティはいささか薄れ、影を潜めていた羽海だが、それでもかつてナンバーワンに崇拝していた偶像を前にして、'聖テレジアの法悦'に至りつつあった。
「アタシのファンって聞いたけど」
「は、はっ、はい! そうです! そうなんです!」
「やるじゃん。地球の裏側からつねにアタシのこと考えて応援してくれてんだ。そりゃ、やるね。ちょっとキモいけど」
二言目には炎上ワードを投げ散らかすのがストロベリー流である。
「~~~っ!」
「撮影あるんで、5分で済ますぞ?」
「あ~~~っ!」
「あの、話通じる? 頭にナッツでも詰まってんの?」
「いえっ! 私の頭にはですね、あなたへの愛が……」
しかしマーセは無視して本題への口火を切った。短兵急でならしているのだ。
「知ってるように、福音少女って金になる。んでも、この仕事を続けるためにはルールがあるんだ。そりゃルールを知っておいて損はねえな? いってる意味わかる?」
「ええ。もちろん! 憧れの大先輩に教えていただけるなんて、光栄です!」
羽海は手を叩いた。そしてマイクから声は続く。
「超簡単だけど、預言者には2種類いる。本物と、偽物。あと本物だったやつ。あと偽物以下のやつだ……あ。5つか…?」
「?」
「まあいいや、どっちなんて気にすんな。つまりこのゲームはべつに、アホな教皇庁のトンパチどもが勝手にやってるってこと! 見分けんのはアタシらのヤマじゃない。で、福音少女の
「『日刊預言者速報』に書いてあることなら、たぶん知ってます……?」
「バカ! あそこはデタラメだ! アタシは犬型のディルドなんて購入してねえよ!」
「じゃあ、…購入履歴は?」
「あれは家族のアカウントだし、ハッキングで違法に手に入れた証拠なんて証拠にならない、なかったことにしなきゃダメ」
「つまり、おもちゃ会社の陰謀ですか?」
「そう! セルラントップ! ロイヤリティ払えってんだ。ち、話がそれやがる。あんな、対抗預言に失敗したら失権するって知ってる?」
「……たいこう? しっけん?」
マーセは「そっからか」と指を鳴らした。
「たとえばだ、もしアリスが『ボブ・ディランは明日生き返る』って預言するよな? で、もし外れたらどうなる? なんにも、起らなくって」
「え、えっと、預言がはずれたら……」
羽海は口ごもる。いままで羽海の預言がはずれたことはないので、経験としてはわからない。
「は? わかんないの?」
「え、預言が、はずれたら……」
「アタシ、外しまくってるけど?」
「え、その場合、どうなるんですか?」
福音少女が預言をはずしたらどうなるか、羽海は知らなかった。爆発する?
「何もねえよ。ペナルティなし。でも、もしアリスが『ボブ・ディランは明日生き返る』って預言して、ほかのスベタが『ボブ・ディランは明日生き返らねえ』って予言したら? はずれたら、どうなる?」
「はずれたら……?」
「外したほうが失権すんの! この場合は預言能力を失うってこと! な、つまり対抗預言に負けると、今後一切預言は降りてこなくなる」
「え、はじめて知りました……!」
『日刊預言者速報』には載っていない
「困るわな! ちった、わかんだろ、そうなったら? 金を稼ぐための苦労がちょっぴり増えるわな! それが嫌なの!」
「は、はい!」
「そりゃ、あんたがプレテンダーとはおもってねえ。滅多に失権しないかもしれん。でも、決めてんだ、シマじゃ。同業者同士で、そゆこと! 対抗預言はしないって! わかった!」
「それは平和で素晴らしいですね」
「いやあんた、ルナに対抗してんの! ルナ・ジョイス!」
「へ?」
「だから、ルナが死ぬとかそういうの? アタシらのシマじゃやってねえ、わかる?」
「あ、でもそれはもうしちゃいましたし……今度から気をつけます」
「取消しな、あれ一ヶ月前まで大丈夫だから。信じらんないなら、真実省付けのルール送る。アンタ、よく考えなよ」
そういって通話はブツ切りになった。
いま、とんでもない夢が叶えられた気がした。70億人のあこがれ、S.マーセと通話したのだ。ほとんど雑談はなく、業務連絡のようなものだったが…
そうしてよくよくと考えてみると、だから、つまり、さっきマーセが言っていたのは、同業者にはルールというものがあり、ほかの福音少女と衝突するような預言をしないこと――そうした上で預言をはずせば、単にはずした時とちがい、預言者としての能力を永遠に失ってしまうことにも繫がる――そして一度した預言でもいまはまだ取り消すことができる、という説明ではなかったか?
多分、そうだった。でも……もし取り消しが許されるなら、マーセの助言に従ってぜひそうしたいという思いと、預言が降りたものは仕方がない、当たるも八卦外れるも八卦で、どうなるにせよ撤回はできないという思いが、半々せめぎあっていた。マーセに言われてもまだ半半というのは、一昔前の羽海には到底考えられないことだった、マーセの命令ならば、何でもかでも喜んで従っただろう。でもいまの羽海は、ヒミコと相談して、このことをふたりで決めたい気持ちだった。福音少女のキャリアは、いまやひとりだけではなく、ヒミコと共有するものだったのだから。
23条
(対抗預言)
1対抗預言とは、ある同一の出来事について、複数の預言者が同時には成立しえない預言を行うことである。
2対抗預言の不成就は預言者の失権事由となる。
26条
(預言者についての預言の禁止・呪殺)
いかなる預言者も、公生涯の期間にある預言者についての預言を行うことは禁じられる。ただし、その活動終了事由である死亡の時期についての預言はこの限りではない。