第5話

文字数 2,701文字

 その週の金曜日も僕らは放課後恒例のいつものラーメン屋を訪れた。ちなみにライブの前日だ。店を訪れるなりすぐに異変に気付いた。弥生さんがいないのだ。
「あれ、今日は弥生さんいないみたいだな。」
 僕がそう言うと達也から驚愕の返事がきた。
「”やよいさん”って誰だよ?」
「いや誰って、この店の看板娘の弥生さんだよ!親父さんの娘の!」
 こいつふざけてんのか?そう思ってやや声を荒げて答え返すと、またしても達也が耳を疑う返答をしてきた。しかも今度は先程のお返しとばかりにきつめの口調で。
「いや知らねえよ!だいたい親父さんに娘がいること自体初めて知ったよ。」
「ていうか何でお前そんなこと知ってんの?」
 さらには智樹も加わった。僕のツッコミに対しても2人してこの反応である。どうもふざけてる風ではない。何なんだこいつら?僕が何かおかしいことを言っているのか?だって弥生さんとは先週確かに会ったよな僕たち...何故だか底知れぬ恐怖が湧いてきた。
「あ、あの…親父さん、この店に弥生さんっていましたよね?ほ、ほら、ご主人の娘さんの。」
「ああ、確かに俺の娘の名前は弥生だが、あいつなら店を継ぐ気はないって言って出ていったきりだよ。ていうかボウズ、何でウチの娘のことを知ってんだ?」
 背中とでこに冷や汗が滲み出てきたのを感じた。嫌な予感がする。何で親父さんまでそんな嘘つくんだよ!?弥生さんは少なくとも先週の金曜日まではあんたと店を切り盛りしていただろ!?一体全体僕が何をしたって...あの黒電話が関係あるんじゃ... などと僕が頭の中で必死にこうなった原因を模索していると親父さんは何かに勘づいたように口を開いた。
「あっ、お前もしかして…」
 もしかしてなんだって言うんだ?まさか黒電話のことを何か知っているのか?固唾を飲んで耳を傾けた。
「娘のファンか!?
 あまりにも拍子抜けした返答だった。ファン?何のことだ?まあ、確かにファンと言えばファンではあるが…だがそれが今何の関係がある?混乱と恐怖でいよいよ頭が回らなくなってきた。そんな僕とは対照的に親父さんはなぜか上機嫌だ。
「いや実はなあ、ここだけの話、俺の娘はなんとあの今話題の売れっ子歌手”観月やよい”なんだよ!!
 親父さんは誇らし気に訳の分からないことを言いだした。観月やよい?誰だ?そんな歌手聞いたことないぞ。それに対して達也と智樹は身を乗り出して食らいついた。
「ええ、その話マジっすか!?
「す、スゲェ、今度サインくださいよ!!
「おいおい、声がでけえよ。ああちなみに”観月やよい”はもちろん芸名だがな。サインは直接貰いな、あいつ滅多に実家に帰んねえから。」
 僕の狼狽をよそに3人は盛り上がっている。
「ああそう言えばさ、千春、お前結局女子は誰を誘うんだよ?」
「そうだぞ、お前だけ結局誰も誘ってねえじゃねえか。」
 以前にも聞いたような質問が飛んできた。
「あ、あの、今日は俺帰るわ...」
 この場に長居するのは不味い気がしたため、気だるげに別れの挨拶だけしてその場を去ることにした。
「どうしたんだよ千春?今日なんかお前変だぞ?」
 変なのはお前らの方だろ。
「女子を誘えなかったことがそんなにショックだったか?」
 そんなことは今は些細な問題だ。
「おいおい、そういうことはあまり触れてやるなって。」
 だからそれは今どうでも良い。3人の笑い声をよそに僕はそそくさと店を出た。

 家に帰ると秋乃が出迎えた。
「あ、兄ちゃんおかえりー。今日は早いじゃん。夕飯もうすぐだって。」
「あっそう、夕飯ができたら呼んでくれ。」
 悪いが一刻も早く部屋のベッドで横になりたいんだ。
「ええー、それぐらい自分で来なよー。てか兄ちゃん元気ないね、達也くんたちと喧嘩でもした?ライブ前日に大丈夫?」
「ああ、それは大丈夫だ。明日のライブは楽しみにしていてくれ。」
 ただの喧嘩だったらたぶんここまでぐったりしてない。それでも明日までには調子を取り戻して見せるさ。
「まあ、どうしてもって言うなら行ってあげなくもないよ?お父さんもお母さんもなんだかんだライブ楽しみにしてたし、何ならあたしの同級生も誘おうか?」
「ああ、そうだな。お客さんは多ければ多いほど良い。」
 妹との何気ない会話だが、少しだけ気分が軽くなった。

 自室にこもって考えた。あの黒電話の主ミツキに歌手になるようにけしかけた結果ラーメン屋の看板娘の弥生さんがいなくなり、代わりに観月やよいという今まで聞いたことのない超売れっ子歌手が突如現れた。しかも達也たちの話しぶりから察するにデビューしてからそれなりにはなるらしい。察しの良い諸兄ならもうおわかりだろう。そう、黒電話の主ミツキと超売れっ子歌手観月やよい、そしてラーメン屋の看板娘弥生さんは同一人物だ。もちろん確たる証拠はないが、そう考えると色々と辻褄が合う。おそらく僕がミツキ、つまり3年前の弥生さんに歌手を目指すようけしかけた結果、弥生さんがラーメン屋を継ぐことを選んだ未来ではなく歌手として華々しく芸能界にデビューした未来へと分岐したのだ。良かったじゃないか。僕のアドバイスのおかげで憧れだった人の夢が叶ったんだぞ?祝福すべきじゃないか!なのに…なのに何でこんなにやるせなさが込み上げるんだよ…

 夕飯を食べ終えてから居間でくつろいでいると、金曜恒例の某音楽番組が始まった。
『さて、今日はなんとあの超売れっ子歌手、観月やよいさんに来ていただいていまーす!!
 アナウンサーの紹介でふと目をやり、観月やよいの全体像を見て確信した。間違いない。メイクをしているし、髪型も少々奇抜で服装も派手だが、僕の知っている弥生さんだ。
「わあ、やよいちゃんだあ!」
 秋乃がテレビに釘付けである。
「お前、観月やよいのファンだっけ?」
「今さら何を言ってるの兄ちゃん、あたしがやよいちゃんのCD集めていること知っているでしょ?」
 まあこいつはいわゆるミーハーだからな、流行物が好きでもおかしくないか。
「なあ、そのCD聴いてみて良いか?」
「いいけど、兄ちゃんこういうの好きだったけ?」
 という訳で番組そっちのけで秋乃の部屋から適当に拝借した観月やよいこと弥生さんの曲を聴いてみた。曲はバラードを基調としたものやポップスなどが大多数を占めていて、弥生さん本人が好みそうなハードロックやパンクは僕の聴いた限りではなかった。プロともなると自分の好みだけで曲は作れないし、仕方ないことではある。それでも依然として弥生さんの歌唱力は健在だった。
「やっぱ歌上手いなあ、弥生さん…」
 無意識にこぼした言葉が僕しかいない部屋に虚しく響いた。
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