第5話   あの頃、そして今。

文字数 1,223文字

「ミルクの女性」は、小さい頃に夏休みになると、ひとりの老人と来ていましたよ。
老人からすると孫娘だったのね。
いつもアメリカンヒーローの話をするものだから、彼女はハンバーガーにはミルクがいちばん
合うものだと思っていたのね。
でも、大人になって自分で試してみたら、それほどの感動はなかったの。
そりゃそうよ、コーラやスプライトの方が、ハンバーガーには合うものね。

彼女は去年から社会人となって意気揚々と東京で働きだした。
この町の人は聞いたことがないでしょうけど、東京の九品仏という駅の雑居ビル。
ベンチャー企業っていうらしいわよ。
でも連日の残業や、人間関係やストレスが重なって、とても疲れてしまって、
とうとう働けなくなってしまった。
それで昔なつかしい、この町に帰ってきたのよ。
幸いに、まだ親戚が残っていて、20代の女性が一人過ごすくらいの部屋は分けてもらえたの。

この町の彼女の記憶は、つまり祖父の思い出だったのね。
でもその祖父も一昨年、96歳で亡くなったのよ。
お葬式に、彼女は来れなかった。仕事が忙しくてね。
会社の人は、休んでいいからお別れをしてきなさい、って
言ったのにね。
* * * * *
「ありがとう。貴女、いい人ね。」
「いえ、そんなことないですけど。気になっちゃって。」
「ミルク?」
「はい、なぜミルクなのかな、って。」
「おじいちゃんがね、ハンバーガーにはミルクがいちばん好きだって
ずっと言ってたの。でもね、今考えると、いちばん合うとは
言ってなかったわね。」
みちるは制服の上に羽織っていたフリースのジッパーを首までグッと
あげて、彼女の右脇に立っていた。
「テイクアウトは、私の明日の朝食。ここではね、しばらくお祖父ちゃんと
おしゃべりしながら、ボーッとするの。
お爺ちゃんが”THANK YOU”って言ったら、私が食べさせてもらう。
時間たっても、貴女のハンバーガーは美味しいわよ。」
「お祖父様、優しかったんですね。」
「私が小さかったから、可愛かったんでしょう。小さい頃は誰でも美人で
悩みもないから。お祖父ちゃんは、昔話をしていたと思うけど、実は
声と表情と、ミルクの話しか思い出せないのよ。」
* * * * *
みちるは、この町で育ち、このショッピングセンターのフードコートが好きだ。
そして、目の前には東京から、こんな遠くまで来て安らいでいる女性がいる。
なにか、目の見えない誰かや、力で守られているような気もするし、それはただの
気のせいのような気もする。
どちらでもかまわない、と思った。
(了)
















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