第五話 劇場型犯罪

文字数 2,545文字

 
 ロンドンのスラム街、ここホワイトチャペルでは、頻繁に強盗や殺人事件が見受けられる。日常茶飯事――と言っても過言ではないくらいに。

 だが、これまでの二件の連続猟奇殺人事件が、マスコミや民衆などを巻き込んだ最初の劇場型犯罪と評されるのは、捜査に難航する警察を嘲笑うかのような内容の一通の封筒が新聞社に送られてきたからである。
 九月二十七日、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた、二十五日消印の手紙の内容は、()()だ。

 〝Dear Boss〟から始まり、要約すると、自分が売春婦たちを襲うのは、彼女らが嫌いであるからで、犯行はまだまだこれからも続くが、頓馬な警察なんぞに俺は捕まらない。自分が犯人だという証拠に、次の事件では、殺した女の耳を切り取ると宣言しよう――というものであった。

 そして、最後に〝Jack the Ripper〟――つまり、()()()()()()()()――と署名されていた。
 犯人が自らを、〝切り裂きジャック〟と名乗ったのである。もっとも、英名の〝ジャック〟は、日本で例えれば〝太郎〟などに相当し、代表的な名前というだけで大した意味はないのだが……。
 さらに後世になってからは、この手紙そのものが、マスコミ関係者――恐らくは新聞社の記者――による捏造だとの評価が下されている。犯罪をよく知ってはいるが、犯罪者の臭いがしない――という意見だ。
 それに、当時の民衆はマスコミが何たるか、何をしている業種かを、あまりよく知らない。()()()、そこへ投書するのは、マスコミ関係者だろう――との推論である。

 ただ、それでも……。
 〝Jack the R()i()p()p()e()r()〟――〝()()()()ジャック〟というネーミングは秀逸であった。

 そして――、一八八八年九月三十日。
 時刻は午前一時を回ったばかり。やはり、ホワイトチャペルで事件は起こった。
 三人目の被害者はまたしても娼婦で、名はエリザベス・ストライド。首を掻き切られていたが、彼女の遺体にはそれ以上の損壊は見られなかった。他の人物――遺体発見者の接近に、殺害以上のことをする時間がなかったものと思われる。先の新聞社への投書に、警察が付近の警戒を強めていたことも、一因となったかも知れない。

 因みに、遺体が発見されたとき、彼女は左手に息を甘い匂いにする口中香薬の包みを持ったままだったことから、身を守る(いとま)もないままに殺されたと判断された。
 しかしながら、客である男性であっても、この街では油断は禁物――と用心深く警戒する街娼が、こうも簡単に殺されるわけがない。よって、犯人は知人である可能性が高い。あるいは女性なのではないか――と、のちには大胆な考察もなされた。

 事件の直前に、彼女が男と一緒にいるところを見た――との情報もあったが、目撃者は見たという男の特徴もうろ覚えであり、また街灯も仄暗く、当時の一般的な男性の服装であったため、参考にもならなかった。
 それでも、警察は現場一帯を封鎖して、捜査を行った。


 ところが、遺体発見現場に警察が集結していた隙に、次の事件は起こった。エリザベス・ストライド殺害の現場から徒歩で二十分ほど西に離れたところで、こちらも娼婦であったキャサリン・エドウッズが殺されたのである。時間にして三十分ほどしか経過していなかった。
 第三の殺害現場の付近一帯を中心に怪しい人物の捜索を行っていた警察は、裏を掻かれた格好となったのである。
 
 キャサリン・エドウッズは、これも首を切られて殺されていた。
 今度は遺体を切り刻む時間的な余裕があったのだろう。彼女は目を潰され、鼻の一部を削がれた上、右耳の耳たぶは切り取られていた。犯人が送り付けた投書で宣言していた通りである。
 さらに腹が切り開かれ、アニー・チャップマンの時と同様に腸が引き出されて、肩に掛けられていた。その理由も同じだろう。そして、左の腎臓と子宮が取り出され、持ち去られていた。
 犯人は、見当違いの場所を血眼になって捜す警察を尻目に、悠々と立ち去ったのである。

 十月一日。セントラル・ニューズ社に再び、〝Jack the Ripper〟と署名されたハガキが届いた。
 そのハガキには、九月三十日の二件の殺人はどちらも自分が仕出かしたこと――と書かれており、犯人しか知り得ない未発表の内容についても書かれていた。差出人はこの二件の殺人を、〝double event(ダブル・イベント)〟と称した。
 この呼称は以後も新聞を始めとしたマスメディアに度々、使われるようになる。

 警察は、これら二通の手紙とハガキを犯人の送り付けたものとして発表し、一般からの手掛かりを求めた。
 しかし、この発表は結果的に裏目と出た。警察も予期せぬ前代未聞の現象を引き起こしたのだ。
 発表後、警察には毎日のように〝切り裂きジャック〟を(かた)る手紙やハガキが届くようになったのである。その数は、一ヶ月で千通を超えた。
 犯人からのものが含まれているかも知れない――と警察も最初は真剣に精査していたが、似顔絵のようなイラスト付きのもの、赤いインクで血を表現したものなど、あまりにも低レベルな内容のものが多く、やがて捜査員を辟易とさせた。

 これらの手紙を投書した動機は、捕まることのない安全なところから、この事件に参加しているスリルを味わうためであった――と、現代では考えられている。
 強盗や殺人などの犯罪が日常茶飯事であり、劣悪な環境や様々な不満が溢れていたこの時代の民衆には、自分に被害が及ばないのであれば、たとえ人殺しであろうとエンターテイメントの一つに過ぎなかったようだ。

 ともあれ、この事件が劇場型犯罪と呼ばれる所以は、マスメディアが存在してこそであり、民衆が参加して初めて成立する。マスメディアが劇場、民衆が観客、犯人が主演俳優――なのである。

 しかし、真の犯人は劇場型犯罪など、望んでなどいなかったと思われる。
 というのも、劇場型犯罪を引き起こす犯人は自己認証欲求が強く、最終的には捕まる必要がある。
 自分が、()()()()()()()()()()()()()()()()()と世間に知らしめるために――。

 だが、この犯人――〝切り裂きジャック〟は逃げることに対し、必死なように思われた。そこが、後の劇場型犯罪の犯人とは異なる点だった。


 
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