第五話 ルージュ市 ココアウサギ姉妹

文字数 10,661文字

ルージュ市には、外国人街の所に一ヵ所、インターナショナルスクールがある。
それ以外は、小、中、高、大学などの機関は、小、中、高が一ヵ所、大学は短大も含めて、二ヵ所ある。
この国はあまり、学問には力を入れていない為、学校の数は少ない方である。
学問に力を入れたい人は、隣の国へ行った方が、広い土地の中に、数々の高校、大学、専門学校、短大がある。
土地の狭さの問題もあるが、どっか、訳アリの人が集まる為、学問よりも、もっと別な所に、お金や土地を使う事のが重要なのだ。
国と国の行き来は、ある程度許可が下りていれば、通常の道を通って行き来出来る。
そうじゃないものが森を抜け、進入したり、または出て行ったりするだけで、国同士の争いなどはなく、実に平和そのものである。
(一部を除いて)
アーテル国の人々は、あんまり頑張ったりする事は、好きじゃないが、中には、一生懸命に頑張っている子もいて、頑張っていない、頑張っている、という子の間で、とくに争いが起こるという事は無いのだが、一部分はやはり、衝突が起きることもある。
ココアウサギの女の子、佐々木 舞梨亜(ささき まりあ)は、幼少期から親の教育の一環でヴァイオリンを習っている。
学校でも、吹奏楽部に入っているが、顧問の先生の影響で、本来なら吹奏楽には入らない楽器だが、チェロとヴァイオリンも、吹奏楽の楽器に含まれている。
同じ吹奏楽部の仲間で、チェロ弾きをする事になったキヌネコの紫月(しづく)は、舞梨亜にとって、何となく嫌な存在だった。
ほとんどが、楽器の事を良く分かってない、といった感じなのにも関わらず、今はそれなりに弾けるようになったからだ。
昔からヴァイオリンをやっている舞梨亜でさえ、しっかり弾けるようになるまで、厳しい訓練を耐えてきたというのに、親もいない、まともな生活をしているようにも見えない紫月が、下手ではあるが、ちゃんと弾いているのが、なんだかムカついた。
もちろん、学力の低い、この国のレベルでは、楽器を弾けるだけで良い方だ。
しかし、舞梨亜レベルは、本来なら、隣の国に行って、しっかりとした先生の元、習った方が、より上手くなれるだろうが、現在、親は、外国で暮らしている為、姉と二人暮らしの舞梨亜には、ちょっと手が出せない。
その為、しかたがなく、この国で、レベルが低い中で、やっていくしかなかった。



今日も部活動の時間、紫月は練習というより、お喋りの方が大事とでも言いたそうに、同じ部の子と、一緒に喋っている。
他の子は、真剣に練習しているが、二人はお構いなしだ。
舞梨亜にとって、それも腹正しい事だった。
音大出身の顧問は、先生不足の解消の為、忙しくしていて、とてもじゃないが、話をする暇はなさそうだった。
代わりに来る、臨時音楽教師は、紫月の親代わりであるようで、紫月を気遣っている。
インターナショナルの方の学校に入っても良かったが、色々な都合で無理だった。
ため息をついて、舞梨亜は自分の練習にだけ、集中する事にした。



部活がようやく終わり、憂鬱な気分のまま、家に帰って来た。
姉はまだ帰ってはいない。
誰かに話を聞いて欲しいが、今は誰もいない為、部屋でのんびり、本でも読んで待つ事にした。
外国で書かれたものを、翻訳された本を読んで、外国に住んでいるような感覚になる。
自分が主人公にでもなった感じで、読み進めると、余計にそう思えてきた。
そうすると、少し嫌な事も忘れて、心が落ち着いてくる。
読むのは大体、恋愛ものか、音楽に関係あるものにしている。
その方が、その世界にどっぷり浸かれるからだ。
姉はすでに翻訳されてないものでも、読めている。
自分はまだ、そこまでは出来ないが、いつかは自分も、そういう風に出来たら良いなと、思い、現在、外国語の勉強もしている。
本を読んでいると、自分も主人公のような気分になってくるが、自分はしなさそうな事には、もう少しこうしたらという感情や、ああしたら良いのに‼という、思いが湧き出てくる。
それと同時に、自分もこういう事ができたら、ああいう事が出来たら、と思う事もある。
恋愛物を読めば、恋愛したくなり、音楽がテーマだと、主人公が弾いている物は自分にも弾けるのだろうか?とか、ヴァイオリンが出てくると、もう、体の中が熱くなり、情熱が最高潮に上がる。
そんな舞梨亜だが、今現在、恋人はいないが、好きな人はいる。
姉の元・恋人だった人物だが、そんなの関係なく好きなのだ。
現在、警察に捕まり、少年院にいたのだが、アーテル村に戻り、芸能活動を始めた人物で、名前は翼という名前である。
過去なんてどうでも良かった。
姉と付き合っている時から、彼が好きだったのだ。
彼は舞梨亜の年齢ではなく、もっと年上が好きだったらしく、どんなにアプローチしても、恋人にしてもらえず、さらには子供扱いしてきた。
翼の方が一個下だったはずなのに、そんな奴から子供扱いされて、最初はムッとしたが、最近、芸能界に入った事で、より、かっこ良さを増し、さらに好きになった所だ。
同級生には、元・姉の恋人とは話せないが、もしも自分が翼の恋人だったらと思うと、芸能界に入った翼を、もう一度狙いたくて、今はファンをしている。
それだけじゃ、自分の気持ちは抑えきれないが、今は手を出しにくい。
翼も翼で、ファンが沢山ついているからだ。
変な噂もたてられないだろうし、自分の身も危険かも知れないと思うと、ファンで留まっておくほうが利口だと考えている。



夜になり、姉が帰宅すると、「隣のレストランで、夕飯食べよう」と誘ってきた。
親から生活費はしっかり振り込まれ、それは姉が管理している。
デパートの隣にあるレストランで、自分達の家はそのレストランの隣にある為、よく行き来している。
一人のシェフが、姉の事を気に入り、ちょっとしたサービスをしてくれる為、舞梨亜も好きだった。
姉、瑛蓮(えれん)は、妹の立場から見ても、美人の部類だった。
紫月にも姉がいるが、その姉以上に、自分の姉は美人だと思っている。
スタイルも良く、姉と一緒に歩いていると、姉ばかりチラチラ見られ、注目を浴びているのは、気付いている。
そんな姉を持ち、舞梨亜は結構、鼻が高かった。
今日も、自分達が優遇されるレストランでの食事に、舞梨亜は大満足している。



レストランに着くと、直ぐに案内され、いつもの席に通された。
景色も良く、この席だけ個室で、他の客は気にしなくて良い。
シェフ自ら、サービスしてくれて、料理が出てくるのも早く、至れり尽くせりだ。
出てきた食事は、毎回とても美味しくて、舞梨亜は満足だった。
美人な姉を持つと、こんなにも幸せづくしなのか、紫月はきっと、こんなに優遇されないだろうと思うと、なんだか嬉しくなってきた。
シェフから、「まりあちゃん、何だか嬉しそうだね」と言われ、舞梨亜は「べつにー」と答えた。
食事を充分楽しみ、家に帰宅した舞梨亜と姉は、テレビを見ながら、お互いに今日あった事を話した。
舞梨亜は、今日の部活の事、姉は専門学校での事を話した。



舞梨亜が眠った後、舞梨亜の姉、瑛蓮は、こっそりと外に出た。
レストランに戻り、瑛蓮は裏口から中に入った。
従業員のロッカーなどがある場所で、とある人物を待った。
続々と人が帰ってきて、疲れた顔でロッカーの前に立っている。
一人、一人と着替えて、ロッカールームから出てくる。
お目当ての人物がロッカールームに入り、瑛蓮は休憩室の方へ向かった。
少しして、とある男性が休憩室の中に入って行った。
「瑛蓮、お待たせ」
「別に」
「妹さんは?」
「寝てると思う、でも大丈夫よ、もう中学生だし」
「そうか、じゃあ始めようか」
「そうね」
「楽しみだな、今日の君は、どんな姿を見せてくれるんだろう」
「ふふっお楽しみに」
二人は、閉店した店内の方へ行った。
さっき妹と食事した時に使った場所まで来ると、二人はキスをした。
実は二人は、イケナイ関係なのである。
ここは、レストランのシェフが、瑛蓮と出会って直ぐ、瑛蓮達の為に用意した場所だった。
とくに瑛蓮と、密会する為に用意されている所で、ここは二人にとって、特別な場所である。
二人はいつも、ここで愛し合っているが、瑛蓮の特別な姿を、カメラに収めている。
セクシーな瑛蓮など、いろんな瑛蓮をカメラに収めているのだ。
「今日も良いね、セクシーだし、可愛さもある。君は本当にすばらしい女性だよ、瑛蓮」
「ありがとう、嬉しいわ」
二人はこの場で、愛し合い始めた。



事が終わると、瑛蓮は何事も無かったように家へ帰り、シェフも家へ帰った。
シェフは、実は家庭持ちのお父さんだが、家族にはもちろん黙っている。
瑛蓮は、家に帰り、何か出てきた時から、何か変わった所はないか、妹の様子はどうかと、部屋の中を見渡したが、今日も大丈夫だったみたいだ。
一安心し、シャワーを浴びて、コーヒーを一杯飲んでから自分の寝室に入った。
翌日
瑛蓮は、妹と一緒に朝食を取り、妹を見送ってから大学へ行った。
大学へ行くと、教育実習をしてもらうと、説明を受けた。
そうか、もうそういう時期かと、瑛蓮は思った。
グリューン村の中学校は、教師不足の為、瑛蓮はそこへ行ってくれと頼まれた。
正直、家から遠く、最悪だと思ったが、夢の為に、しょうがないと思い直し、今日はその説明を受けた。
瑛蓮はお昼に、大学近くの店で、ランチを楽しんだ。
オシャレな店のランチは、女性にとても人気で、居心地が良かった。
お金がアレだが、社会人になったら、もっとこういう店に入れると思うと、何とか今の苦難を乗り越えなければ、と思い、近々始まる、超田舎の村の中学校での、教育実習に、無事に事が終わるよう祈った。



大学が終わると、即、レストランへ向かい、いつもの席でシェフに会い、今後の事を話した。
シェフは、それなら、と、私がサポートするからと言ってくれた。
お金の工面をしてくれるようだ。
瑛蓮は少し、心が軽くなった。
親がいない時だからこそ、その申し出はありがたかった。
「もちろん、妹さんにも、誰にも話さないから、安心してくれ」
「分かった、ありがとう」
「今日、食事はどうするんだい?」
「今日はさすがに、スーパーにでも行って、家で食べるわ」
「そうか」
「いつもレストランじゃ、さすがにね」
「それもそうだな、じゃあ、そうだ、少し食材を持っていってくれ、いつものあいつらが、遊びに使う前に」
「ありがとう、助かるわ」
軽くキスをして、二人は別れた。
瑛蓮はその足で、隣のデパート側に抜けられる所から、デパートに入り、地下のスーパーを目指した。
安い食材を探しているのは、凄くみっともない気がして嫌だが、それでも生活する為には、しょうがなかった。
お金がない訳ではない。
親の仕事は結構なお金を稼いでいるが、向こうも生活がある。
その為、送られてくるお金は、決まった金額以外は送られる事はない。
だからこそ、贅沢はあまりできない。
妹にはほとんど喋ってないが、苦労しているなんて思わせたくなかった。
なるべく妹にばれない様に、食材を選び、気を使いながら、選ばなくてはならない買い物となった。
ストレスではあるが、今日は貰った食材がある。
何とかそれで、食材の出費は抑えられる。
何回かシェフから、レストランの食材を少し貰う時がある。
いらない食材をもらっているだけで、けして必要な食材をもらっている訳ではない。
シェフには何もかもしてもらって、とても助かっている。
色々と気になる部分はあるが、シェフが良いというなら、大丈夫だろう。
そう思って、何も聞かず、そして言わず、瑛蓮は黙ってシェフの言う通りにしている。
そうすればこうやって、良くしてもらえるからだ。
家に帰ると妹に「ただいま」と言い、服を着替えたりしてから、夕食の準備に取り掛かった。
妹は、リビングでのんびりしていたらしく、こちらに「おかえり」と言って、顔を見せると、再びテレビの方に向き直った。
テレビは、妹の好きな番組だった。
それを見ている間は、こちらに近付かないだろう。
急いで夕飯の準備をし、調理にかかった。
妹が冷蔵庫を開けることもある為、安い食材だとばれないよう、そういうものは、早めに消費したり、下ごしらえなどして、値段が分からないように工夫した。
レストランでも実は、あまり高い物は、頼んでいない。
スペシャルメニューとして、まかないのような物を、特別に出してもらったり、妹にだけ高い物を食べさせて、自分だけ、あまりお腹空いてないからと、遠慮したりしている。
まかない料理は、よく食べさせてもらっている。
妹がいない時、こっそりレストランへ行くのは、何も、シェフとの時間だけが目当てではなかった。
他の人も、瑛蓮の事をよく知っている為、誰にもとやかく言われてはいない。
しかし、瑛蓮だって贅沢な暮らしがしたいと思っている。
でも、無い物は無いのだ。
親が二人揃い、親の仕事は外国での仕事。
国の中で良い場所に住まわせてもらい、親の仕送りで生きている。
苦労なしに見えるが、実は苦労している。
これなら、親と外国暮らししていた方がましだ、なども考えたが、親も考えた結果だろう。
瑛蓮はため息をついたが、料理中だったのと、テレビの音で、かき消されたらしく、妹は全く気付かなかった。



食事が出来、妹と一緒に食べる。
料理の見栄えは、ものすごく気を使い、オシャレ、高級そう、美味しそうという、三つのキーワードを取り入れて作った。
妹はレストランの食事みたいと、喜んでくれた。
瑛蓮にとっては、それはなにより嬉しかった。
食事を終えた後は、二人で談笑タイムだが、妹はいつも「しづく」という子の話ばかりだった。
よほど嫌いなんだろう、とは思ったが、姉妹で暮らしている事だけは、自分達もあまり変わらない為、その「しづく」のお姉さんには、心の奥底では、同じような気持ちで、妹に不自由させないよう、頑張っているのだろうと、想像すると、共感の気持ちが湧いてきた。
どんな人なのか、知らないし、共感できるからって、近付いて仲良くしようとも思えないが、苦労しているであろう事は、手に取るように分かった。
「しづく」という子は、姉のどんな姿を見て育っているのか、分からないが、その子はその子なりに、色々と感情が入り混じっているのだろう。
まだ、中学生で、良く分かってない部分も沢山ある。
だからって、自分もそこまで大人な訳ではないが、大人の男である先生、または同じアパートにいる男性で、久しい間柄と聞くと、その子も年上の男性に、寄りかかって甘えたい感情がある事に気が付いた。
親がいない子で、頼れるのは姉だけ。
なるほど、心細いのか、でも、気付けてないんだな、という気持ちに気付いてしまった。
自分と重なる姿。
妹がもし、姉である自分が苦労していたり、大人の男と関係をもってたり、する事に気付いてしまった場合、とても傷つくだろうし、もしかしたら、嫌悪感を抱かれるかもしれない、と思うと、急に怖くなったが、このまま、バレないようにしていけば大丈夫と、自分に言い聞かせた。
今日は、レストランに再び戻る事はしないでおこうと、瑛蓮はシェフに連絡すると、シェフも了承してくれて、「ゆっくり休むんだぞ」とだけ、言ってくれた。
時に、父親のように振舞うシェフは、瑛蓮にとって、暖かく包み込んでくれる人だった。
恋愛感情があるわけではなく、ただ、自分の気持ちや、欲求を満たしてくれるだけの存在だが、瑛蓮にとって、ものすごく大切な存在な人だ。
そんな人が、そばにいてくれるのは、とっても居心地が良かった。
瑛蓮は、風呂を済ませ、自分の部屋で、ベッドの上で横たわり、お気に入りの音楽を聴いてから、眠りについた。



数日後
今日から教育実習に行かなくてはならず、妹より先に家を出なくてはならなくなったが、妹を信じて、戸締りだけちゃんとしてね、と言い、家を出てきた。
朝が早くなった事で、色々と大変で、あたふたしながら出てきたが、昨日の夜のうちに、ほとんど出来る事はやってきたから、大丈夫だろう。
妹も学校へ行く準備で、あたふたしていたし、余計な事はされていないだろうと信じた。
今日からは教育実習生として、実際に学校へ行かなければならない。
トラムやバスを乗り継いで、国の一番奥の方へ行かなければならない。
町と村を通り過ぎ、半分が森という場所に到着すると、不安しか込み上げて来なかった。
学校に着くと、古ぼけた校舎にげんなりした。
職員室の方へ行くと、一人の女性と目が合った。
「おはようございます」と瑛蓮が言うと、相手も「おはようございます」と返してきてくれた。
真っ白い毛に、大きな耳、ワタアメネズミの女性だ。
しばらくその女性と喋っていると、ギリギリの時間に、一人の女性が入ってきた。
これまた真っ白な毛に、こちらは長い耳、白兔子(パイトゥーツー)の女性だった。
こちらは美人だが、年齢は良く分からなかった。
白兔子の女性は、男性と一緒に歩いてきたが、男性と離れると、こちらに近付いてきた。
「私はシャノンよ、あなた達と同じ、教育実習生だけど、私は大学生じゃないの、職業訓練施設から来たのよ、よろしくね」と言い、二人に握手を求めてきた。
ワタアメネズミの女性は、大学生で同じ年のようだ。
ワタアメネズミの彼女が自己紹介し、握手をしてから、自分も自己紹介をし、握手した。
職業訓練の人は、とくに珍しい訳ではない。
その時は何も思わなかったが、一日目が終わる頃、瑛蓮は朝のシャノンとは、違うイメージを持つようになる。
ストレスがすでにあるというのに、シャノンの存在は、今後、更なるストレスになるとは、この時の瑛蓮は気が付かなかった。



瑛蓮は学校が終わり、帰宅しようとして、校舎から出ると、とある人影を見つけた。
その人影は、物の陰に隠れるように姿を消した。
気になって、気付かれないよう、後を追うと、校長と男女関係にあるような事をしていた。
瑛蓮は、見て見ぬふりをする為、直ぐにその場を去っていった。
自分も妻子ある男性と、そういう関係になっているが、流石に一目につくかも知れない所で、そういう行為をする事は出来ない。
しかも、学校の敷地内で、だ。
見かけたのは、シャノンという女性と校長だった気がする。
もしも違ったとしても、ああいう行為をこういう場所で行うのは、ありえないと思った。
しかし、同時に自分だっていけない場所で、そういう行為をしている。
その点では、自分も気を付けなければと思った。
帰宅するまでに、さっきの事が、何回も忘れようと思っているのに、思い出してしまう。
ちょっと、シェフと会うのは、控えようと思う反面、嫌な気分が抜けず、モヤモヤが広がると、シェフに会いたくなってくる。
ダメだと思えば思う程、彼に会いたくなり、早くルージュ市に着かないものかと、ソワソワしてしまう。
冷静になろうと思っても、全ての事が頭から離れない。
バスの中、一人でただじっと、耐えるしかなかった。
バスがルージュ市の方へ進んでいく間、じっと窓の外を見ていた。
村から村、村から町へと乗り換えていき、ようやくヴィオラ町の町中を走るバスに乗り換えられた。
グルグル回るようにこのバスは走っている。
本数も決まっているし、時間通りに動いている。
それを変える事は出来ないが、正直、今日くらい、と思うが、そんな事出来ないのは充分、分かっているが、奇跡でも起きればと思ってしまう。
腰に手を当てられ、軽くキスをしていた二人。
その後、どうしたかは知らないが、朝の時点で、二人、一緒に職員室へ入ってきた。
今思えば、そういう関係だからか、と思うのだが、最初のうちは、全く気が付かなかった。
瑛蓮はこのまま、気が付かなければ良かったと思ったが、気付いてしまった以上、手遅れだった。



ようやくルージュ市まで着いて、トラムを降りる。
目の前にはデパートが建っている。
マカロンのような色合いの外装が、やけに心をくすぐる。
後、数時間で店は終わってしまうが、しばらくこの中にいる事にした。
家は、このデパートの隣にあるレストランの隣と、家も近い。
だが、家にもレストランにも入りたくなかった。
この辺は、デパート前に、道路を挟んで大きな公園があるが、住宅も存在している。
といっても、高級なマンションばかりだが。
外国のように、大きな建物はほとんどない。
古いような所も、何ヵ所も残るような所だ。
隣の国の方は、こっちの国とは違い、近未来的な所らしいが。
こちらの国は、森の中にあるようなものだ。
小さい国である。
この国に住んでいて、コンプレックスのようなものもあるが、この国に居続ける理由もある。
結構、自由な所は瑛蓮の中でも気に入っている場所だ。
恋愛も自由であるが、あんなのを見せられて、衝撃が消えないままだが、何とかデパート内を無暗に歩いていると、冷静さが戻って来た。
自分は何を焦っているんだろうか。
妻子ある男性との事、そんなのどこにでもある事だ。
今の立場を考えると、校長とそういう関係なのは、そういうのは、どうかと思うが。
しかも学校には、校長の子供も通っている。
もしも、子供や奥さんにばれたら?教育現場でそんな事をしていた事に関しては?
その時だった。
「瑛蓮」
名前を呼ばれ、辺りを見渡して見てみると、後ろにシェフの姿があった。
瑛蓮は周りの事など気にせず、シェフに抱き着いてしまった。
シェフは慌てて、体を離そうとするが、瑛蓮は離れなかった。
思いのままに、頭にある言葉をシェフにぶちまけて、瑛蓮はようやく離れた。
瑛蓮は今、真実に気付いてしまった。
「お姉ちゃん、それ、全部本当の事なの?」
その声は紛れもなく、妹の声だった。
「あっ、えっと」
今、瑛蓮は、今日あった事と、自分達の事を話してしまった。
妹の知らない真実も含めて。
さらに悪い事は続くようで、そこは妹のライバルの少女、紫月の姿もあった。
紫月も姉の職場に顔を出していたらしい。
そのやり取りを見て、紫月も茫然と立ち尽くしているのを、舞梨亜は見た。
「お姉ちゃん、嘘だと言って」
「舞梨亜」
「さいてーだよっ、お姉ちゃん‼もう、家に帰りたくないし、レストランも行きたくない‼」
そう叫んで妹はどこかへ行ってしまった。
レストランで働くシェフは、青ざめ、瑛蓮は、魂の抜けたような顔で立っている。
幸い、店に人は少なく、ほぼ、店員の方が数は多い時間帯だった。
そんな大声で喋っていた訳じゃなかった為、それだけは助かったが、シェフの顔は見た事ないほど、冷たい顔をしている。
「瑛蓮、とりあえず、私の店へ来なさい」
そう言い、シェフは、瑛蓮の手を取って歩き始めた。
瑛蓮は黙ってついて行く。
頭の中では、もう何もかも終わりだとしか、考えられなかった。
妹には、支援してもらっている事はバレなかったが、シェフとの関係はバレてしまった。
自分の目の前から、消えた妹の事は、あまり考えたくなかった。
どこかで無事にいてくれたら、今はそれで充分だった。
レストランのいつもの席に到着すると、なんだか妙に落ち着いている自分がいた。
「今、水を持ってくるから」
「ありがとう」
シェフは心配そうな顔で、瑛蓮を見つめた後、水を持ちに奥へ入って行った。
一人になると、冷静さは少し戻って来た。
ちょっとした事で、心が荒れ、慌ててしまった。
しかし、いつか自分達の関係だって、妹や他の人にバレてしまうのだ。
バレないと思っていても、いつかはこうして、バレてしまう物なのだ。
あの二人だってそうだ、自分が目撃者である。
物事はこうやって、隠している物がポロっと出てきてしまうものだ。
シェフが戻ってくると、シェフから水を受け取り、何口か口に含み、喉に水の感触を確かめた。
「瑛蓮、私達はしばらく会うのを止めた方が良さそうだ。この席も無くした方が良さそうだな」
「私のせいで、ごめんなさい」
「いや、私の責任だ、悪いのは君じゃない」
「でも私が今、それに私は、あなたに会いたい、これからも、何度でも」
「瑛蓮、私だってそうだ、このままこの関係を終わらせたいとは、思っていない。今日も君をここで、抱きしめるつもりだったよ、でも、大切な妹さんを傷つけてしまった。瑛蓮と私の関係が、他の客にバレてもまずいが、色々と私達は、道を踏み外してしまった。瑛蓮、すまない、一旦終わりにしよう、そしてまた、ほとほりが冷めたら、今度は別の場所を探そう、そこでまた、愛し合おう、瑛蓮、それで良いか?」
「分かったわ」
「瑛蓮、今日はもう家に帰ってゆっくり休みなさい、まりあちゃんが、その、気が変わって、帰ってくるかも知れないから、とりあえず、迎えてあげなさい」
「そうね、そうする」
「じゃあ、瑛蓮、しばらく会えないけど、さよなら、元気でいてくれよ」
「あなたもね」
瑛蓮は席を立ちあがり、笑顔を作って手を振ったつもりだったが、上手く笑顔にならなかった。
こんなにあっけなく、この関係が終わるとは、思っていなかった。
瑛蓮は家に入り、リビングへ向かった。
誰もいない家の中、ただ一人でいると、静けさが瑛蓮を襲ってきた。
いつになるか分からない再会。
瑛蓮は心赴くまま、泣くしかなかった。
これからどうなるかなんて、瑛蓮には分からない。
今は、ただ、ただ、泣くしか出来なかった。
明日もあの学校へ行って、二人の姿を見なくてはならない。
瑛蓮にとっては苦痛だが、しょうがない事だった。
瑛蓮は一人、泣き終わると、そのままそこで眠る事にした。
今は苦痛だが、この実習が終わらないと、瑛蓮はせっかくの大学が卒業出来ない。
親だって、何事だと思うだろうし、他の人にだって、弱みを握られるのは嫌だった。
瑛蓮はとにかく、無事に実習が終わる事を望んだ。
後は何も望む事はない。
多分、シェフとの関係も修復出来ないだろう。
妹の事は正直、申し訳ないが、考えたくない。
このままいなくなってくれれば、自分の負担が減るのだ。
いけない考えではあるだろうが、瑛蓮はどこかで限界を感じていたらしい。
それがプツリと、途切れてしまったらしい。



瑛蓮はしばらく眠ると、目が覚めた。
妹の姿はないし、帰った形跡もない。
このまま、この世が終わるなんてあるのかな?とも考えたが、そんなことも無く、時間は日にちをまたいだ。
瑛蓮は軽く風呂に入り、寝る準備をして、ベッドに入った。
朝を迎えたらまた、何回も乗り物を乗り継いで、森の奥のような所へ行かなければならない。
瑛蓮は布団の中で、朝を迎えた後の事を考えた。
瑛蓮の頭の中では、妹がいないくらいで、いつもと何も変わらない朝だった。

              第五話 終わり
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