第二幕第二場(2)

文字数 689文字

河童の絵?
ええ、なかなか上手いんですけれども、私……、河童は、あまり好きになれなくて。
ほう。
前に書きかけていた、貘のお話のほうが好きでしたのに、(寂しそうに)それは、もう、忘れちゃったみたいですわ。
(ほほえむ)貘、ですか。
ええ、貘が、夢を食べちゃうお話なんですの。――(なんとか伝えようと身ぶりもまじえつつ)だってね、河童は、冷たくって、こう、ツルンとして、ヌルンとしているでしょう。でも貘は、あったかくて、ゴワゴワで、サラサラでしょう。
ゴワゴワで、サラサラ?
ええ。

そうですか。僕はまた、貘は、フカフカの、パヤパヤなのかと思ってました。

フカフカの、パヤパヤ?
ええ。
(笑いだす)フカフカの、パヤパヤ……
文、笑う。
が、途中から、泣きだす。
ごめんなさい。なんでもないんです。菊池さんのお顔を見てたら、なんだか、安心しちゃって……
文、しばらく、静かに泣く。
黙って見守る菊池。
間。
そんなに悪いんですか、彼は。
人様の前では、いつもはしゃいでいるんです。でも、お薬の量が、どんどん、どんどん増えてきて……
睡眠薬ですか。
(うなずく)「飲まないと、眠れない」って。
いつ頃から。
はっきりとは思い出せないんですけれども、もう、この何年か……
やはり、震災の後からですかね。
そうかもしれません。
(しみじみと)この東京がね。銀座も丸の内も、焼け野原でしたからね。あんなに大勢の人が……上野のお池に、浮かんで……(目を瞑り、焼け焦げ重なりあった数多の遺体に向かって合掌するかのように)彼も、見てしまったんだな。
間。
photo by Kosuga-Desuga
(Theatre Unit SALA, 2012)
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登場人物紹介

芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892-1927)


作家。若くしてデビューし、一躍文壇の寵児となる。

世間一般のイメージとは違い、じつはお茶目で甘えん坊。一方で気遣いの人でもある。

数年にわたって不眠に悩まされている。

芥川文(あくたがわ ふみ、1900-1968)


龍之介の妻。八歳のとき、叔父の級友である十六歳の龍之介と出会う。のちに龍之介から熱烈な求愛を受け、彼に嫁ぐ。
天才肌の夫、その養父母と伯母、三人の息子という一家を支える主婦だが、性格はおっとりして、いつまでも少女のようなところがある。
龍之介の不調に心を痛め、親友のます子に助力を求める。

平松ます子(ひらまつ ますこ、1899-1957)

文の幼なじみで親友。良家の生まれで才気煥発、明るい性格。だが、弟妹たちを親代わりとなって育てるなど無理を重ねたため、体を壊し、自身の結婚はあきらめている。
文の悩みに親身になって応え、龍之介の秘書的な仕事を献身的にこなす。

内田百間(うちだ ひゃっけん、1889-1971)


龍之介の作家仲間で親友。本名は栄造(えいぞう)。岡山県出身。
飄々とした語り口の幻想怪奇譚という無二の作風で、のちに一世を風靡し、太平洋戦争も高度成長も生き抜いて昭和に大往生をとげるが、この物語の時点ではまだブレイク前。数少ない理解者の一人が龍之介だった。

菊池寛(きくち かん、1888-1948)


龍之介の作家仲間で親友。本名は寛(ひろし)。香川県出身。
文藝春秋社を興し、のちに芥川賞と直木賞を立ち上げるなど、実業家としても活躍する。兄貴肌で面倒見がよく、感激屋。
友人代表として龍之介の弔辞を読む運命にあることを、この物語の時点ではまだ本人も周囲も知らない。

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