第12話追っ手

文字数 2,385文字

 アルフは、おばばの小屋にひと月近くもとどまっていた。
半月ほど体力を回復させた後、出立しようとしていたところ、この地には珍しく雨が続き、その中の幾日かは、ひどい土砂降りの日もあったので、見合わせていたのだった。

 さすがに天気の悪い日は、兵士たちも動くまいということで、力仕事を手伝ったり、冬に向けての薪作りに協力したりして過ごしていた。

 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。晴れの日が続いた朝、おばばに礼を言って、小屋を出たのだった。

 おばばからは、干した果実や干し肉などの保存食を分けてもらい、夫の物だったという着替えと、さらには、短い剣も譲り受けた。

 それは、短剣というには長く、兵士たちが手にしている長剣よりは短かかった。
農民の彼には、それが何という剣なのかはわからなかったが、少なくとも、短剣で立ち向かうよりは、間合いが長くとれるだろうことは予想できた。

 森の王であったという、おばばの夫が死んだのは、もう何十年も前のことらしいが、刃は錆びついてはおらず、大事に保管されていたのが感じられた。

 アルフは素朴な麻の上衣とズボンを着け、腰に布を巻いて剣を留めていた。背中には持ち物を入れた布袋。
おばばが編んだという靴下を履き、柔らかい革のブーツ、これもおばばの夫のものらしい。

 至れり尽くせりの援助に、最初はアルフも、遠慮がちだったのだが、『もうすぐ相方の元へ行く身だから、貰っておくれ』というおばばの心遣いに、ありがたくいただくことにしたのだった。

 大雨の影響で、あたりはまだ湿っぽくて、地面もぬかるんでいたが、ほどなくして川に突き当たった。ルーア川だ。

 これを渡れば、フォルム領を出られるはずだ。アルフは低い土手の上に立ち、向こう岸を眺めた。

向こう岸が確認できる程度の川幅であったが、見える範囲に橋は架かっておらず、歩いて渡るしかないようだった。

 しかし、大雨の影響で増水しているのか、土手のすぐ側まで水が迫り、流れが早かった。
川岸近くに転がっている大きな石には、激しい水流が当たって、水しぶきが飛び散っていた。

 アルフには、どれほどの深さがあるのかわからなかったし、自分に、この荒れた川が渡れるか、予想がつかなかった。

 ためしに、近くに生えている草を一束引き抜いて、川の中に投げてみたが、それは瞬きする間もないほどに、小さい点になり、遠くへ運ばれて行ってしまった。

 無理だったら戻ってこいと、おばばは言ってくれたが、渡れるかどうか、やってみてからにしょうと決心して、準備をしようとしていたところに、声がかかった。

「おい、お前」

 迂闊(うかつ)だった。見晴らしの良い土手の上で、ずっと立っていたのだ。追っ手がいたら、不審に思わないはずはない。

 アルフは、自分を落ち着かせるように、深く息を吐きながら、ゆっくりと背後を振り向いた。

 領主の兵士だった。幸い彼が、捜索している本人だとは気づいていないようだった。
「なんだ、なにか用か」
アルフは低い声で答えた。

「ああ、探している男がいる」
「ほう」
アルフは、すぐに腰の剣に届くように、さりげなく、手を移動させた。

「最近このあたりで、怪しい男を見ていないか」
「さあ」
アルフは額にじんわり、汗が浮いてくるのを感じていた。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、目の前の男を見た。
「知らんな」

「そうか、悪かったな。しかし、川を渡るつもりなら、今日は無理だぞ」
兵士は言って、ルーア川の流れを見やった。

「そいつだっ!」
手前の草叢からガサガサ音がして、男が飛び出してきた。目の前の兵士と一緒に捜索していたのだろう、同じ軍服を着ていた。

「そいつだ、友人のダリオを殺したのが、そいつだ!」
新に現れた兵士が叫んだ。

 あの日、ミリアの家の前で、短剣を突き刺した場にいた兵士のひとりだろうか。それなら、顔を覚えられていても不思議はない。

アルフは考える間もなく、咄嗟に腰の剣を抜き、傍らにいた兵士の喉をめがけて切りつけた。

 まさか、当人に向かって声をかけていたとは、思ってもいなかったのだろう。アルフを捕らえる行動を起こすまでに、一瞬の隙があった。

 ザックリと切りつけられた男は、首から血を吹き上がらせて、鋭い叫び声を上げた。
 怒りに顔をゆがめた男は、剣を振りかぶり、アルフの肩から袈裟懸けに振り下ろした。

 だが、激痛のためか、わずかに軌道がそれた。アルフが体を傾けたため、刃は彼の服の緩みをかすり、背負っていた布袋を切り裂いた。

おばばが持たせてくれた干した果実が、派手に飛び散った。数個のパンは水に落ち、見る間に流されてれて行った。

 アルフは後へ飛びすさり、再び切りつけようとする男から逃げたが、その間に、先ほど叫んだもう一人の兵が、走り寄ってきていた。

 二人が相手ではさらに部が悪い。アルフは、逃げるべきだと思ったが、一体どこへ逃げればいいのか。

 大量の血を失ってふらつきながらも、執拗に切りつけてくる男を躱しながら、彼の目は、目の前の濁流に向いていた。

走って来る兵が加わる前に、逃げなければならない。アルフは、体を(ひるがえ)して飛んだ。

 川の深さは覚悟していた程ではなく、彼の胸ほどまでだったが、川底に足が着いた途端、渦巻く水圧が彼を捕らえて押し流した。

 アルフはバランスを崩して倒れ、水の中へ引き込まれた。彼の大きな体をも軽々と押し流すほど、水流は激しかった。

 水が口や鼻から、容赦なく流れ込み、息ができなかった。手をバタつかせて体を立て直そうとするが、運良く顔が水から出た時に、わずかに息が吸えるくらいで、翻弄され続けていた。

 もはや、捕らえようとしてくる兵士のことなど、考えている余裕もなかった。
なんとか川向こうまでたどりつかなければならないが、下流へ下流へと流されて行くばかりで、おばばに聞いていた、アイルの森からは遠ざかって行った。
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