第57話 八日目(7)

文字数 3,495文字

意見の割れた二人は、答えを出さないままに悦子を見送ると真っ直ぐ事務棟に向かった。教団の支柱、森田の指示を仰ぐためである。
ソファとテーブルが並ぶ打合せコーナーにパーティションはない。皆に聞こえる場でモラルを問われた森田はマカラの非礼を目でたしなめたが、それでも頭ごなしには否定しなかった。
「どうしましょう。力になってあげたいですけど、ここにいる皆が犯罪者になるのはないですね。」
看過すれば立派な犯罪。いつかの思惟の会のメンバーが大勢を占める事務室の面々は、久し振りの議論の匂いを見つけると音を立てて打合せコーナーへ押し寄せた。
「人が助かるんならいいでしょ。」
背後から浴びた声に振り返った森田は、穏やかな笑顔を返した。彼の基本ルールとして、第一言語が日本語ではない者が混ざる場の議論はすべて丁寧語。発言の都度の手拍子は思惟の会に置いてきたが、皆を統べる穏やかな聖人の物腰は相変わらずである。
「ありがとう。そうですね。でも、臓器の移植は法で禁止されています。」「オールOKはないってだけだよね。」「なんで?」「とにかく駄目なんだって。」「法的には。」「何的ならどう?」「ねぇ、生物学的にOKなのは?」「臓器だけが生きてる時でしょ。」「それが脳死でいいのかだけど。」「脳髄が…。」「分かんないね。」「生き返らない?」「医者が判断するだろ?」「サンタ・アーモの奴らにそんな権限は…。」
一同が屈託なく笑うと、洋子は何度か息を吸った。しかし、喉まで言葉がこみ上げた彼女の代わりに弱者の視点を声にしたのはマカラ、皆の前で喋り慣れた彼。
「医者の判断も絶対ではありません。一度許してしまうと、きっとお金が欲しくて内蔵を売る人達がいるんだと思います。」「生きてるうちにね。」「死ぬ程は売れない。」「普通に働きゃあいいのに。」「いや、環境でしょ。」「どんな環境だよ。」「親じゃない?」「地獄。」「何人も子供つくって。」「何人も死なせちゃう感じだね。」「仕事もなくてとか?」「代々。」「時間は凄いから。」「そこに至るのがもう…。」「嫌過ぎる。」「鬼の家族。」「だから地獄でしょ。」「医者の判断は絶対じゃないの?」
マカラの最初の言葉に大きく遅れて疑問を唱えたのは洋子。マカラに釣られて皆の言葉が下卑ていく中、ようやく喋る権利が自分にもあると思えたのである。森田は遠慮の残る彼女のために微笑んだ。
「脳死は難しいんですよ。脳死を正確に判断できるかという問題以前に、本当に体のすべてが脳に支配されているかという問題がありますよね。体の中で起きる現象に内臓はいろんな反応を見せます。人間の体には物凄い数の細菌が住んでいて、それぞれの生活があります。人間は生き物の集合体なんです。」「らしいね。」「感情論でよくない?」「本人も含めて誰も泣かなきゃね。」「ナマコの集まりは殺していい?」「殺して謝りはしないね。」「所詮、人間は…。」「止そう。」「正直、無理かな。」「放っといて全滅するかどうかでしょ。」「誰かが少しは長生きする。」「じゃあ許すの?」「トータルでプラスなら。」「許すとして相手は?」「誰に渡す?」「そう。」「ツテがないでしょ。」「ツテかどうかも分かんない。」「人に言わないからね。」
瞬時に具体化した課題は、改めて傍観者になりつつあった洋子にこの場が生まれたきっかけを思い出させた。悦子の提案だけでは成立しない。あくまでも洋子がそこに可能性を見出したから。彼女の縁ありきである。
「私、大丈夫かも。」
皆の視線で自分の価値に気付いた洋子は、いよいよ胸を高鳴らせた。自覚できる程に彼女の時間である。
「私の知合いに頼んだら何とかなる気がする。」
森田とマカラはそれが危険な提案だと知っている。とりわけマカラは苦虫を嚙み潰したが、洋子の言葉は終わらない。
「内臓だけ渡したら、後は向こうで何とか出来ると思う。」
マカラは間違った方向に山が動く予感を確信に変えた。
「駄目です。相手は怖い人に決まってます。」
マカラの頭に浮かんだ顔はいつかの照屋。彼の母親は医療関係者である。照屋が洋子の体を汚したことは聞いたが、深入りを避けたせいで今の今までその後の二人の関係を確認していない。
「大丈夫です。私が一人で全部やります。皆には迷惑をかけません。」
どんな記憶が過ったのか、揺れる洋子は大きな笑顔を微かに強張らせた。

「ソノ後、マカラハスグニ教団カライナクナリマシタ。」「総代ですよね。」
鶴来の敢えての確認に宗祖は目を泳がせた。
「ソウジャナイト、私ハ誰ノ話ヲシテキタンデスカ?」「いえ、いつか帰って来るんですよね。それだけです。」
脱力した宗祖は、それでもかすれた声を漏らした。
「帰ッテキマシタ。随分タッテカラデス。一番、大変…ナ時ニ、彼ハココニイマセンデシタ。」
宗祖がコツを忘れた様な呼吸を脈絡なく見せると鶴来は慌てたが、何かを聞くなら絶対に今。腰を浮かせて様子を見守るにしても、質問を止める訳にはいかない。
「やっぱり大城さんが頼ったのは照屋さんだったんですか?」「ソウデス。大城サンガ一人デ全部ヤルナンテ、嘘デシタ。悪気ハナカッタンデショウガ、最初カラ無理ダッタンデス。」
息を吸い過ぎた宗祖は、胸を膨らませたまま、言葉を続けた。
「アノ時マデハ、ソレナリニズット上手ク行ッテイマシタ。皆ガ成長スルイメージガ持テル。人ヲ導クナラ、絶対ニ忘レテハイケナイコトデス。」
宗祖の目が鶴来の顔を捉えたのは呼吸が落ち着いたからではない。自分が漏らした本音への評価を見定めているのである。
「宗教団体ニヤクザガ入ッテキタラ、何ガ起キルト思イマスカ?」
宗祖の言いたいことの分かる鶴来は、ただ小さく頷いた。同情で傷める心は残っている。
「皆ガ悲シイ思イヲシマシタ。総代ハ勝手ニソレガ自分ノセイダト言ッテ、姿ヲ消シマシタ。デモ、アレハ逃ゲタンデス。」
鶴来はショットガンを持つ照屋と刺青だらけの洋子、沖縄に流れ着いた日のマカラを想った。非日常のクロス・カップリング。考え過ぎる葦の寄せ集めの着火剤として十分である。
「大城さんはどうして亡くなったんですか?」
宗祖の声はいよいよかすれ、咳も止まらない。年老いた彼は、体に許される限界を超えて喋ろうとしている。
「照屋ヲ庇オウトシテ死ニマシタ。」「何から庇おうとしたんですか?」
鶴来が質問を重ねると、焦点を見失った宗祖は乾いた唇で息を吸い、細々と吐いた。それは自問自答の時間。瞳を揺らしたが瞼を閉じることなく口元を緩めたのは、この瞬間がいつかは訪れると分かっていたから。自分の潔さが滑稽に思えたのかもしれない。
「私カラデス。私ガ照屋ヲ殺ソウトシテ、間違って大城サンヲ殺シマシタ。」

四十分後、寝息の絶える気配がなくなった宗祖の部屋を出た鶴来は、廊下で聞き耳を立てていた賀喜と合流して、一階の事務室へ向かった。宗祖の告白について、総代に真偽を質すためである。
二人を迎えた事務員が総代の留守を告げると、鶴来はスマートフォンを手にとり、いつか聞いた総代の番号をタップした。二秒で誰もいない総代の席から着信音が聞こえたのは老人にありがちなボーンヘッド。訝る皆の視線を感じた鶴来は、何事もなかった様に月城の番号をタップした。信者に頭を下げるのが無性に嫌になったのである。賀喜が耳を寄せると、距離の近さを気にした鶴来は賀喜を二度見した。
「月城だ。」「鶴来です。今、大丈夫ですか?」
「忙しい。」「すいません。宗祖から話を聞いていたんですが、なんか勝手に割れました(自白がとれた)。」
「何を?」「大城さんの殺害です。」
「タンパン(単独犯)か?」「本人はそう言ってます。ただ、総代も宗祖の言うことは怪しいとずっと言ってたんで、確認しようと思ったんですが。」
病院特有の香りの満ちたロビーを充血した目で見渡し、気持ちだけ総代を探した月城は、短い時間で答えを見つけた。
「さっきまでいたがな。まあ、総代にはこっちも確認したいことがある。仕切り直しだ。」「そうですね。宗祖が逃亡するとは思えませんし、了解です。」
「今、宗祖はどうしてる?」「寝ました。かなり疲れてます。」
「よし。じゃあ、こっちに来い。俺と交代だ。」
顔を見合わせた鶴来と賀喜は、月城達の待つサンタ・アーモ診療所へ急いだ。

押収品を署に持ち帰った捜査班は、人海戦術で書類の確認を進めた。目的は霊園に埋葬されたサンタ・アーモ診療所の患者の記録の共通点を探すこと。賀喜の完全防備はいつも通りである。単純作業を進める皆の雑談の的は宗祖の自白。たとえ時効だとしても、桜田門の領域を侵す興奮で色めき立ったのである。
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