第66話 九日目(8)

文字数 2,693文字

事の顛末を淀みなく語り上げた総代が見せる表情に、感情の乱れはない。平静でいられるのは時間の力だけでなく、皆の理解が得られると確信しているからだろうが、相手が月城だと事情は違う。
「殺人の自白だな。」
相手が犯罪者と分かると喋り方が横柄になるのが月城。時効の可能性もある中、月城だけに見える何かがあるのかもしれないが、思わぬ反応に総代は自分の中の真実を改めて声にした。
「違います。事故ですよ。何を聞いてたんですか。」
総代が何を言おうと耳を貸す月城ではない。
「こっちのセリフだ。人殺しが厚かましい。」
口を半分開いた総代は月城の表情に解決の糸口を探したが、月城は充血した眼で責め続ける。
「でも事故なんです。滅多なことを言わないで下さい。」
型に嵌りそうな総代が溜息まじりに呟くと、見守っていた中村は埋まらないギャップの解釈を丁寧に声にした。
「死刑になるケースには時効がないんですが、そうじゃなければ時効です。多分そう思うから話されたんでしょうけど、まあその辺りの話は丁寧に調べることになります。通報の義務も怠っていますし、本当に事故だったとしても暫くは生活が不便になりますよ。」
気持ち、身を逸らした総代は、間もなく頷いた。人が死んだ以上は多少の面倒が避けられないこと自体に異議はないのである。賀喜は、しかし目に見えて疲れきった総代の顔を覗き込んだ。
「ちょっと教えてほしいんですけど。小鳥遊勉さんが使った薬です。あれの出所はどこなんですか?」
洋子の一件が霧の中としても、捜査の本来の目的は勉の不審死である。総代は一度吸った息を飲み、賀喜と目を合わせた。
「本人に聞いてみますか?」
あの世の勉に聞くことは出来ないので、それは薬を渡した当事者に他ならない。賀喜は、総代が移した視線の先に、ベッドで瞼を閉じたままの宗祖を見つけた。

溜息の止まらない総代が宗祖の枕元の棚から取出したのは重度障碍者用の意思伝達装置。サンタ・アーモ診療所の一押し技術である。総代はベッドに簡易机を置き、機材一式を並べた。
「宗祖はよくこういう状態になります。声が出ないんですが、この機械で視線を追えば、やり取りができるんです。」
警察官四人は総代が慣れた手付きでケーブルを繋ぐ様を珍し気に眺めた。プレッシャーを弱めたくない月城も例外ではない。
「小鳥遊さんが亡くなって、あなた達が来てからは嘘みたいに喋るんで少し驚いてたんです。まあ、内容は出鱈目ですが。」
準備を終えた総代は宗祖の肩の辺りに手を添えた。宗祖の長い髪を丁寧に避け、神経質そうな耳を露わにすると、唇を寄せて囁く。
「宗祖。聞こえてたと思いますが、警察の方が話を聞きたいそうです。目を開けられますか?」
宗祖が皺だらけの瞼を微かに開けると、鶴来は素直に驚いた。
「開くんだ。」
続いたのは賀喜。宗祖から引き出す情報は、彼女にとって鶴来と二人だけの成果である。
「宗祖様、お話が聞けますか?」
時に叱ってきた賀喜が囁くと、宗祖は逆に瞼を閉じた。
「ちょっと宗祖様。起きてください。」
皆の失笑が漏れる中、宗祖がもう一度瞼を開くと、今日の宗祖の体調を唯一正しく理解する総代が口を挟んだ。
「宗祖、すいません。大城さんの薬のことを話してあげてください。出来ますよね。」
宗祖は総代が置いたモニターをぼんやりと眺め、瞳を揺らした。何をした様にも見えないがモニターに平仮名が示されていく。
『できます』
一度使った言葉を自動で補うのか、入力は一瞬。確かに負担は少ない。縁遠い世界の思わぬ可能性に皆が頬を緩めると、総代は宗祖の肩に手を添え、耳元で囁いた。
「小鳥遊勉さんの持っていた薬は大城さんが死んだ後の遺品整理で出て来たもので、宗祖が由美子さんにあげたんですよね。」
心を見せない皺だらけの宗祖はやはり瞳だけを揺らした。
『そうです』
総代は頷きながら質問を続けた。
「大城さんが言ってた話もしてあげたんですよね。死にたくなる程辛いことがあっても、簡単に死ねると思うと寂しくなって、もう少し頑張ろうと思えたって。」『そうです』
「じゃあ、三十年前のことですか?」
鶴来の問い掛けが事実なら、薬剤の譲渡について、宗祖の罪は時効。
『そうです』
昨日の宗祖が薬を渡した経緯を詳しく語らなかった理由は、きっと死亡届でも伏せられた由美子の病である。人は性を語らない。警察に疑われてまで隠すこととは思えないが、聖霊による受胎を否定しないカトリックとも通じる彼らの価値観を完全に理解するのは難しい。正しい言葉をぼんやりと探す鶴来が思い至ったのは、今の宗祖の状態。よりプリミティブな問題かもしれない。
「もう少し長い会話をできませんか?」
誘導尋問を疑ったのである。もっと言えばインチキ。総代の表情が曇ると、しかしモニターの中の文字が増えていった。
『ゆみこさんはけつきよくあのくすりをつかいませんでした』
宗祖の頭は正しく機能している。気持ちが文字になる錯覚。固い絆で結ばれた総代は、要求に応えた宗祖を慈しむ様に眺めると、順を追って文字を声に変えた。
「由美子さんは結局あの薬を使いませんでした。」
これだけの情報を瞬時で入力できるのは二人がこの装置を使い込んできた証し。宗祖の瞳は揺れ続けている。
「あの夫婦の闘病生活は普通の一生ほど長かったです。由美子さんは痛かったでしょうし怖かったでしょうが、本当に大切にされて、幸せな時間も同じぐらいあったと思います。」
皆が知りたいのは、夫婦愛ではなく勉の死因。空気を読んだ総代は、宗祖に代わって話を進めた。
「葬儀で勉さんを見掛けて挨拶をした時に迷惑をかけるかもしれないとは言ってたんです。」「若い頃から面識があったんですよね。もう少し詳しい会話はなかったんですか?」
失礼かもしれない賀喜の言葉に首を横に振った総代の目に後悔の色は見えない。
「元々大人しい人で、付合いも由美子さんを通じてだけだったんです。そういう人だったんです。」「ありそうですけど、だとしたらもっと早く私達に言ってくれないと。」
「最初に自殺だと思うと言いました。そのままですよ。」
総代は、最初に決定的な事実を伝えていたつもりなのである。月城は鶴来と賀喜から目を逸らし、首を鳴らした。不意に勉の気持ちが頭に降りてきたのは中村。
「想像ですけどね。病の由美子さんを支えることは勉さんの生き甲斐だったんですよ。由美子さんも何回も薬を飲もうとして、勉さんを思って耐えたんじゃないですかね。」
油断していたのか、気が昂った中村は人の情を語り続けた。
「勉さんは心の弱い日があったとか。発作的なやつで。疲れてて、そこに薬があって。守るものが何もなかったとか…。」
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