第69話 九日目(11)

文字数 1,611文字

無駄な抵抗を避けた総代を乗せて、月城と中村のパトカーが動き出すと、ハンドルを握る賀喜は控えめにアクセルを踏んだ。賀喜が呟いたのは、ガラス越しに喋る中村と総代の姿に寂しさが抑えられなくなったから。すべてが悪いかたちで終わろうとしている。
「総代、多分時効になるね。」「死に臨んで入信した由美子さんが大城さんの死の秘密を口にして、何かが動いたんじゃなかったっけ。」
それは昨夜の捜査会議で賀喜が口にしたドラマチックな見立て。
「性格悪くない?」「いや、大事件になるのかと思ったからさ。」
賀喜は軽い咳払いだけで昨日を忘れ、自分の疑問に立ち返った。
「宗祖はどうして自分と総代の話を入れ替えて話したと思う?」
聞いておいて、賀喜は鶴来の答えを待たなかった。
「あれ、全否定で庇ったんだと思う。誰かが総代のしたことを話したって、全部宗祖がやったって言ってるんだから。古い話だから証明も出来ないでしょ。」「偽証になるね。」
首を傾げた鶴来が漏らした感想は、賀喜も当然考えたこと。
「結構、真面目に死ぬ気なんじゃないかな。宗祖が妙に喋ったのって、最後の力を振り絞る感じだったじゃない?皆でずっと隠してたことがばれそうになって、総代を助けてあの世に行こうと思ったとか。」「時効なんでしょ?」
「分かってるって。殺人がどうとかじゃなくて、時効になった上で悪い噂から助けるかどうかよ。鶴来君、相手が誰でも、他人のために殺人犯にはなれないでしょ?」
賀喜の言葉が届かなかったのか、鶴来は何度も後ろを振り返った。状況が見えない賀喜は鶴来の無関心に勝手に意味を見つけた。
「あ、沙紀さんか。最愛の沙紀さんのためならなれる?」
鶴来が賀喜の言葉を悉く無視したのは、本当に耳に入らなかったから。サイド・ミラー越しに寛人を見つけたのである。寒空のもと、半袖半ズボンの彼が一人で立ち尽くし、こちらを睨んでいる。
「寛人君だ。」
鶴来の声に誘われてバック・ミラーを二度見した賀喜は、いよいよ小さくなっていく寛人を見つけた。
「どうしよう。」「いや、いいよ。変に何も言わない方がいい。」
二人が見守るミラーの中で、寛人は前のめりに走り出した。きっと全力。教団で一番仲のいい総代が説明もなく奪われることに、憤っているのかもしれない。
「なんか可哀そう。」
賀喜が眉を潜めると、窓を開けた鶴来は凍てつく風を受けながら遥か後方を眺めたが、肉眼で眺めた寛人はもうこちらを見ていなかった。寛人が向かった先は薄氷の張る用水路。大きく一歩踏み込んだ寛人は、コンクリートの側溝を力強く蹴ると、彼の小さな体には断崖絶壁に思える用水路を飛び越え、冬の田んぼに突っ込み、そして転んだ。
「あ、転んだ。」
鶴来は運転する賀喜のために寛人の様子を伝えた。寛人が用水路を飛び越えようと思った理由は知る由もないが、とにかく無性に飛びたかったに違いない。
鶴来の視線を背に受けているとも知らず、勢いよく立ち上がった寛人は剥き出しの手足を注意深く睨むと尻だけをはたき、跳ねる様に走り出した。背中が汚れているが、彼が気になったのは自分の目に何となく見えた尻だけ。きっと濡れてさえいなければ、今日一日汚れる彼には関係ない。
鶴来に後悔があるとすれば、寛人が友達と一緒に遊ぶ姿を暫く見ていないこと。今回の一件で、教団だけでなく子供達の世界も壊したのである。
一人にしておくには余りに心許ない小さな寛人の姿が見えなくなると、鶴来は窓を閉め、前を行く月城達のパトカーを眺めて派手に震えた。寛人の様子を知りたい賀喜は言葉が恋しい。
「何、見えなくなった?」「そうだね。」
「大丈夫?転んだんでしょ?」「すぐに走ってたから大丈夫じゃない?」
乱暴だが正しそうな判断基準に、鶴来と賀喜はどちらからともなく含み笑いをした。幸せな子供の人生は幕が閉じるまで見守ることが出来ないのが大人という生き物。今の寛人が元気に遊んでいるならそれでいい。そう思うしかないのである。
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