第44話 七日目(1)

文字数 2,874文字

「ドナ・ドナ・ドーナ・ドーナ。(わが主・わが主・わが主・わが主。)」…原作詞アーロン・ゼイトリン、英訳アーサー・ゲヴェス、テディ・シュワルツ、「ドンナ・ドンナ」より

朝の捜査会議の様相は、渡会の緊張した表情まで昨日のままだった。今日も血眼の月城は、令状を手に取ると今から回収する四柱の名前を読み上げた。墓を暴いたところで肉が残る保証さえないが、月城に号令をかけられた一行は力強い声を上げ、席を蹴った。

教団を訪れ、皆でインターフォンを囲むと、月城は呼び鈴を叩く様に押した。反応があったのは少しの静寂の後、月城がもう一度呼び鈴を押してから。いつにない爽やかな男の声は総代のものだが、鶴来と賀喜以外、そうと気付いたのは月城を含めて僅か。
「今日は何の用ですか?」
月城は、通過儀礼として素早く警察手帳を見せた。
「網代警察署です。遺体の回収に来ました。」「誰のですか?」
「対象は四柱です。」
月城は警察手帳をしまい、代わりに捜索令状を取出すとカメラに近付けた。総代に見えているかどうかは月城にとって問題ではない。
「強制捜査です。押収拒絶権も効きません。」
宗教法人は業務上ある種の情報の押収を拒絶できるが限度がある。洋子の遺体の押収も拒絶しなかったので、そもそも総代は拒絶権を意識していないだろうが、月城は敢えてそれを口にした。半分は自分のためかもしれない。とは言え、皆の代表である総代は、法の執行を妨げる気はなくても声を上げる。使命である。
「私達は不快だと言っておきますよ。」「勿論。ただ、嫌疑を晴らしたければ協力してください。開けてもらえなければ門を破壊します。どうしますか?」
教団を見る目が確かに変わった月城の強気の攻勢に、鶴来と賀喜は周囲を見渡した。今日も平日なので基本的に子供はいない筈だが寛人は特別。頭の中がほぼ道徳の授業のままの彼に聞かれていないか気になったのである。二人に釣られた何人かが視線を散らすと、士気の乱れを感じた月城は気合を入れ直した。
「繰返します。開けてもらえなければ門を破壊…。」「止してください。開けますから少し待ってください。」
総代が声を被せると、皆の視線はインターフォンに舞い戻った。

いつもの女性の信者が門を開け、月城達が霊園に向かって怒涛の如く突き進むと、小さく笑った鶴来と賀喜は事務棟へ急いだ。ロビーで待っていたのは総代、挨拶をする気もない彼。
「どうなってるんですか。」
もう見慣れた総代の疲れた顔に、鶴来は眉だけで謝意を伝えた。
「しつこい様ですけど捜査上の秘匿事項です。」「分かりますよ。ただ、こうも墓を掘り返されると、流石にここの墓に入りたいと言う人はいなくなります。質問する権利ぐらいはあると思います。」
総代の訴えは切実。賀喜も鶴来に続いたが使える言葉は少ない。
「大城さんの遺骨に変状があったんです。察してください。」
総代は顔の皺を増やした。今の仕打ちに察しろの一言は軽過ぎる。
「変状というのは一体何ですか?」「先日の聴取では心不全という話でしたが、実際は違った様です。」
「それは最終的にどうかです。何か他の要因があったとしても、最終的には心臓で死んだ。そういうことだと思えませんか?」
これだけの数の警察官が動いている以上、甘えた答えは待っていない。賀喜は語調を強め、今の教団の立場を教えた。
「思えません。皆さんもありのままに答えないと罪に問われる可能性がありますよ。」「私達が疑わしいとさえ思っていなかったらどうなんですか?」
「残念ですがそう思える人間はいないと思います。」「三十年以上前のことですよ。」
「どういうことですか?」「何がどうあったとしても時効です。」
二人の会話を眺めていた鶴来は、賀喜の表情に波乱の前兆を見つけた。火の存在を教える煙を見つけた彼女の瞳は美しく輝いている。
「死刑になる場合は別ですよ。」「誰かが死刑になる様なことはここで一度も起きたことはありません。」
「気になる言い方をするんですね。」「私達はそう信じています。」
「その判断は、私達に任せてもらえませんか?」
大部屋でデスクワークに勤しむ信者達の手も止まっているが、背中に目のない総代の表情は変わらない。
「じゃあ聞きますが、時効は何のためにあるんですか?」
既に次の言葉を思い浮かべていた賀喜が唐突な変化球に返す言葉を探すと、笑顔の鶴来が口を挟んだ。
「時効の目的ですか?証明困難の救済ですね。」「分からないことを証明させられる警察や検察が気の毒だから止めてるんですか?」
「気の毒と言うか迷惑だからですね。学校ではそう習いましたよ。」「被害者の親族の気持ちはどう考えてるんですか?」
「だから、死刑になる様な人間は放っとかないんですよ。」「私達は何度か話し合ったことがあるんですがね。」
素人に語られる理由の分からない鶴来は相槌を打つのを見送った。
「罪を犯した人間は、罪を犯し続ける人間と犯してしまった罪を後悔する人間、それを認めない人間の大きく三つに別れるんです。犯罪を続ける人間には時効は来ません。ただ、あとの二つのタイプの人間は、死刑にならない程度の罪なら、時間に応じて、それなりの罰を受けます。三十年間、自分の罪に苦しんで逃亡生活を送れば、それは留置場にいるのと変わりませんし、何ならもっと酷いです。三十年間、自分を偽る人間もそうです。自分の人生を別のものだと考えようとすれば、本当に別人になってしまう。人間の心はそんなにも脆い。それで妥当だから時効があるんです。」
総代は、呆れて口の開いた鶴来を細めた目で見据えた。
「さっき被害者の親族の気持ちと言いましたがね。あれはあなたが思ったのと逆の意味で言ったんです。被害者の親族だって、三十年も経てば年をとります。知らない方がいいことだってある。真実を知らされて体調を崩したりする必要はありません。こう言うと時効が絶妙な仕組みに思えますが、所詮は皆が話し合って決めたことです。そこに絶対はありません。逆に言うと、法律に書かれていることだけがすべてです。私が言うのも何ですが拡大解釈は要りません。」
総代の視線は、指先で丁寧に髪をなぞった賀喜に向かった。
「いいですか。教団の話に戻ります。何十年も前にいろいろありましたが、時効になる程度のことしか起きていません。今回の一件ともまったく関係ありません。あなた方も含めて、意味もないのに人を傷つけたくないから私は何も話さない。それだけです。」
鶴来は笑顔をつくる努力を止めた。総代はやはり古い話としては犯罪を否定しない。圧倒的な問題である。解決せずに先に進めないが、宗祖の霞んだ視界で墓が開けられるまでの猶予はあと僅か。
「その考え方は間違ってます。とにかく時効がそういうものとは習ってませんし、変なことは言わない方がいいですよ。」
鶴来が諭す様に言い聞かせると総代の目は冷たくなったが、所詮、無力。優先順位を意識する賀喜は、首を傾げて優しく微笑んだ。
「すいません、総代。こうしている間にも準備が進んでます。宗祖様が気になるので、早く部屋に通してもらえませんか?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み