第60話 現人神に会いに行く

文字数 1,000文字

 物心ついたときから、あの世とこの世を考えていた。
私には、どうしておっ母がいないんだと、思うと行き着く先は
いつも彼岸のあの世とやらだった。そして葬儀の日を思い出していた。
神仏はある。と思い込んで、仏前で語りかけたが、1人語りだった。
私の霊能者あさりの源は、この時からかもしれない。  

 コロナ禍の中、持病の訳の分からない熱に侵され1ケ月近く外出は
謹慎していた。久しぶりに弟夫婦とランチし、1年ぶりにかき氷を
食べた。そこでふと手にした週刊誌に統一教会に始まる新興宗教が
列挙されていた。ふと目についた天照皇大神宮教(踊る宗教)。
教祖は北村サヨ。山口県田布施に立派な殿堂がある。教祖のお告げが
ことごとく的中するという噂になっていた。高2の夏、私はひとり。
はじめての汽車の旅をして田布施にある本部へドキドキ、わくわく
しながら乗り込んだ。(月1か週1かの信者の集う日だったようだ。が、
承知していたかどうかは定かでない)

 道場には1000人近くいたかもしれないが、一糸乱れぬ道場は神前である
という緊張感にあふれていた。大神様のおなりーといったかどうか忘れたかが
周りの人に習って深々と頭を垂れる。でっぷりと太った見るからに貫禄のある
教祖は、声にも威厳があったように感じた。説法の後、信者からのお伺いの時間
になった。国会のように前もって質問を出している人のみ回答を下されたのか
もしれない。宿命、因縁、進学、彼岸、何をお尋ねしようかと迷いながら手を上げた。

 出身地と名前を名乗り〇〇を教えていただきたい。
教祖は即座に、態度が悪いと一蹴された。後になってみると、ひれ伏して先づ感謝
を述べ、お伺いの後、質問すべきであったようだ。強欲さが全面に出ていたのでしょう。 
赤面という生やさしい言葉では言い表せない。落ち込みだった。
幸い、知人もいなかったのでほっとした。這々の体で逃げ帰り今日に至っている。

 現人神(教祖)と称される雲の上の人に会ったのは初めてであった。深い反省もあり、
やがて青春。人生50年の頃まで生活に追われた私の、未知の世界への憧憬や宗教観は?は
形を潜めていた。人生なるようにしかならない。諦めの明け暮れだった。

 新興宗教への批判、話題は絶えないが、私が覗いた教団では天照皇大神宮教が一番心に
深く残っている。しかし、ここも立派な道場は浄納で建立したのだろう?
 あの人神一体感は何だっんだろうと、突然思い出した。






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