第三十話

文字数 10,509文字

 三階、重役接待エリア。『教会』関係者や埼玉県の重役がこの場に集い、互いの利益を考えカネのやり取りを行う場所である。その影響か、この場所で行われるのはカネのやり取りだけではなく、接待のためにストリップショーを行うこともある。
 よほどやり取りを見られたくないのだろうか、窓は一切の光を通さない遮光性抜群のものであり、外から中を窺い知ることは容易ではない。
 さらにフロア全体が完全防音となっており、『どれだけ』のことを行おうとも認知することはできない。その『どれほど』がどういったことなのかは、想像に任せるとしよう。
 ひときわ巨大な会議室、そこには『教会』埼玉支部のあらゆる行いが記されているコンソールがひとつあるばかりで、エヴァの探索はすぐに終了した。特に誰がいるわけでもないこの状況に、疑問を抱きながら。
(これだけの重要証拠をむき出しに置いておくのは……不用心が過ぎる。絶対に何か裏がある)
 そう警戒し、デュアルムラマサを取り出し、辺りに殺気をばら撒くも、それに反応する者はいない。もとより、人の気配など微塵も感じられないのだ。
「――――ということは、このコンソール。わざと置いた可能性が高い、ってことか……。何か見られたくないものはここには一切置かず、逆に『見せてもいい情報』しか入っていない、と」
 正直、これまでの証言や自分たちが集めた証拠から、嫌なものしか想像できなかった。しかし、それがタイプする指を止める理由になどなりはしない。
 いつでも応戦できるように、腰にライセンス装填済みのデュアルムラマサを携え、デバイスと共にそのコンソールから情報を抜き出し、自分とデバイスに記憶させていく。
 無機質なタイプ音しか聞こえない空間。馬鹿に静かであった上に、その静寂が耳につく。
 少しでも気分を紛らわせるため、礼安たちとの思い出を想起しながら作業する。
「――始まりは、偶然ともいえるものでしたね」
 独り言交じりに、あの入学前の出来事を脳内に呼び起こす。あの時は限界オタクのような感情をむき出しにしていても、嫌な顔一つせずふるまってくれた礼安のことを、まるで天使のように思っていた。
 しかし、そのあと神奈川支部との戦いの中で、苦悩し、それでも多くの人を守るため前に進むことを決めた。芯の強い、将来有望な英雄であることを理解したのと同時に、彼女に対しての恋愛感情を自覚した瞬間でもあったのだ。
 礼安のことを考えるたび、自身の頬が緩むのを自覚している。それは埼玉内で事実上のデートをあのショッピングモールで行った際。自分で服を買ったことがないお嬢様であり、人のあらゆる感情に実は乏しいことをそこで知った。
「――正直、あのバックボーンがあったのを知ったのは、あの事件以降でした。少しでも支えになれれば……とも思いましたが、どうにかできるのでしょうかね。私なんかに」
 無機質なタイプ音が終わった瞬間。それ即ちデータの吸出しが完了していたのだ。
 早速、ことの悪事やら自分たちの情報やらがごちゃ混ぜになったデータを、皆に送ろうとした矢先。眼前のデバイスに信じられないものが映っていたのだ。
「え……これって……!?」
 そこに記されていたのは、天音家について。過去から現在に至るまで、しっかりとした家系図が記されていた。透やあの七人の子供のうち一人以外すべてにバツ印がつけられており、自分たちがまったくもって知らない情報の濁流が起こっていたのだ。
「――なぜ埼玉支部のコンソールの中に、天音さんの家系図が……!?」
 その疑問に答えるかのように、闇からひっそりと現れる存在がいた。
「お嬢さん、埼玉支部の情報に、何か疑問でもあったかい」
 その声の主の方に向き、腰に携えたデュアルムラマサに手をかける。そこに現れたのは、エヴァにとって信じられない顔をしていた。
「ら、礼安さん――!?」
 そう、その人物の表情は紛れもない礼安そのもの。礼安にどす黒い悪性が追加されたような、妖しい雰囲気を纏っており、情報処理を脳が拒むほどに見た目が礼安そのものであった。

 その礼安に似た存在は、エヴァの取り乱す様子を見て、くつくつと嗤っていた。
「エヴァちゃん、どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてさ」
 彼女はエヴァの心を弄ぶかのようにあくどい笑みを浮かべているものの、エヴァはそんな彼女を恨めしそうに睨みつけた。
「誰だか知らないが……私の大切な人を騙るな!!」
「しょうがないじゃない、私の十八番というか……『能力』そのものなんだもの」
 頬から土がボロボロと零れ落ち、やがてその人物の本当の顔が露わになる。
 実に見目麗しい女性であり、まるでストリップ嬢のような豊満な肉体に、ナイトドレスを着用。華美なネックレスやピアスなども好んでつけており、男を惑わす魔性の女そのものである。
「最初に開示しちゃうけど、私の能力は『欲塗れの竜宮童子≪デザイア・シルエット≫』。相手の望む姿に変身できる、って欠片も戦闘向きじゃあない能力。だって当人の身体能力とか、そう言った肝心なものをコピーできるわけじゃあないから。まあ偵察、諜報、潜入向けの能力よね」
 戦闘向きではないかもしれないが、その力は確かなもの、雰囲気こそまねできなかったものの、その見た目は間違いなく礼安そのものであった。昔話そのままに、厄介なものだと感じていた。
「私はこの『教会』埼玉支部所属、壇之浦銀行次長兼この三階ストリップ場の統括責任者。富士宮 えり≪フジノミヤ エリ≫よ。以後よろしく、お嬢さん」
「……英雄学園東京本校武器科二年一組所属兼『武器の匠』、エヴァ・クリストフ」
 富士宮は、エヴァを品定めするような目で全身を伺うと、ぱあと顔色が明るくなった。
「貴女、ずいぶん将来有望な肉体をしているわ。おっぱいも大きくなりそうだし、スタイル抜群よ。どう、うちの劇場でゲストとして出演しない?」
「誰が。あのコンソールからしても、情報網は確かなものだと理解はしたけど……私の性的志向を分かっていてその冗談を?」
 富士宮は妖しい笑みを浮かべながらも、エヴァに触れる。
「分かっていて、よ。別にストリップが男だけのものではないわ、貴女好みの女の子たちがくんずほぐれつする姿を楽しみにする、そんな女性のお客様も少なからず存在するものよ?」
 以前の自分なら、己の欲を満たすことのできる場として、武器に向けるもの以外にほしいと、少しでもその甘言に揺らいだことだろう。結局は『武器の匠』としての人生を選ぶだろうが、選択肢としてはあり得た。
 しかし、今は違う。明確な想い人がいる中、そういった蠱惑の坩堝に身を浸らせるよりも、もっと大切な存在の傍にいたい。自分たちで、平和な世の中を作り出していきたい。そう言った英雄的≪ヒロイック≫志向に、あの一件以来目覚めているのだ。
「――魅力的な提案ではあったけれど。でも私には……礼安さんがいるので。その人を追うことで、今私の頭の大体を支配されていることくらい、知っているものと思いましたがね」
「あら、ごめんなさいね。別に恋路の邪魔なんてしないわ。でも――私も『ソッチ』の気があるのよね。だからそう易々とは諦められないかな、なんてね」
 チーティングドライバーを手にし、艶めかしい手つきで装着、起動させる。
『Crunch The Story――――Game Start』
「変身」
 投げキッスと共に異形化、あの渋谷の地でも複数見られた、女性型の怪人の姿へ変貌する。
 富士宮の肉体美をそのままデザインとして落とし込み、あられもなくはだけた着物を纏い、さながら花魁のよう。顔のゆがみとして、目は確認できず唇のみ。自分の肉体に驚異的な自信を持ち合わせた、男も女も等しく堕落させてきた、淫魔≪サキュバス≫の姿であった。
 エヴァもそれに対抗するように、デュアルムラマサを手にし、勢いよく分割。
「構築、開始≪ビルド・スタート≫!!」
 雷光と共に、装甲を纏うエヴァ。その瞳は、覚悟の決まった戦士のそれと同様。
「ああ、実にヒロイック。そんな貴女を性的に堕としたいわ」
「堕とされなんてしないさ、強い意志がある限り、『武器の匠』として仕事をするだけさ」

 デュアルムラマサにより高速で斬りかかるエヴァであったが、その刃を易々と受け止める富士宮。それと共に、装甲越しに誘惑する。
 その行為に嫌な予感を知覚したエヴァは即座に後方へ下がるも、その不安は的中してしまう。
 装甲が、一撫でで溶け出していたのだ。熱によるものではなく、彼女が手のひらから分泌する粘度の高い液体によるもので、さながらロー……赤ちゃんの肌をも保湿できる、いろいろな使用用途をもった『アレ』のようである。
「安心して、体には無害なものだから」
「そういうことを気にしている訳じゃあない!!」
 一切の武器を持たない富士宮に対し、デュアルムラマサで応戦するエヴァ。しかし、圧倒的に武具の面で優勢であるはずのエヴァは、一切の手傷を追わせることが出来ずにいたのだ。
 全力を以って袈裟にぶった切ろうとしても、その液体が刃にかかる力を失わせ、デュアルムラマサが駄目ならと肉弾戦を仕掛けようとしても、その繰り出す拳や蹴りは意味をなさず無力化されるばかり。
 しかし、一方の富士宮は、というと。攻撃する意思など感じさせずただ攻撃を無力化していくだけであった。どれだけ無力化した後に隙が生じようとも、装甲を溶かすばかりで一切の攻撃を繰り出さないのだ。
「――何だ、私を舐めているのか」
「いえ、単純に私は戦闘向きじゃあないだけ。このエッチ用のロ……液体に塗れた手で撫でて戦意を喪失させるくらい?」
「今ローションって言いかけたよな!? もうごまかしても意味ないだろエッチ用まで言っちゃったら!!」
 そのエヴァのツッコミに、妖しい笑みのまま問い掛ける富士宮。
「なに、分かっちゃうってことは普段から使っているの?」
「そ、そんなことは――――」
 顔を真っ赤にしたエヴァの言いよどむ表情を楽しみながら、富士宮は肌に塗るようにジェスチャーする。
「お肌の保湿に便利よねこれ!」
「――!! 私をおちょくっているのか!?」
 デュアルムラマサを振るって、何とか有効打を与えようと試みるものの、どれだけ速度を上げようとも火力を上げようとも、勢いを殺されてしまう。ローションによって全てが滑り、強く握りしめようとも片方を離してしまいそうなほど。
 さらに、富士宮自身が、荒事全般がどうも苦手なのか、受け流し捌くばかりで明確な攻撃行動をとらないことも理由する。抵抗こそするものの、敵対はしない。そういう感じであった。
 実に不思議なスタンスの彼女に、やり辛いような顔色を見せると、小ばかにするようにくすくすと笑う。
「あら、もう終わりかしら。英雄さん?」
「私は厳密には違うが……これで終わってたまるか!!」
 次第にローションの感覚をつかんだエヴァは、滑る勢いを生かし踊るように攻撃を繰り出す。滑る流れは誰にも理解しきれないため、予測不能の舞であった。
(凄いわ、あれだけの足元の不安定さを逆にリズムを乱すために利用するだなんて。戦闘のIQが私なんかよりもはるかに上ね)
 しかし、エヴァが『武器の匠』でありながら戦闘の才があるのなら、富士宮は攻撃を寄せ付けない、あるいはいなす才があった。それこそが、別の誰かに変身した時のような土の魔力性質。
 超高粘度のローションでも威力を殺しきれない苛烈な攻撃は、自分の周りに薄く張り巡らせた土の鎧を以って防ぐ。実に薄く、そして強固。魔力の込め方によって性質はいくらでも変貌しうるため、乾き硬質化した土にも、足や剣、拳を絡めとる粘土質な泥にも変わる。
「私は貴女を戦意喪失させる。殺すだとか、傷つけるだとか。そういう野蛮なことはほかの構成員に任せるのが私のモットー。血なんて見たくはないの」
 ローションの粘度や滑りやすさを逐次可変させていき、リズムや流れをつかみ始めたエヴァの攻撃を殺していく。全ての行動が思うようにいかないもどかしさが胸中に募る中、一瞬の隙を見つけた富士宮はドライバー上部を押し込む。
『Killing Engine Ignition』
「本当、このベルトも『殺人機構の点火』なんて、野蛮極まりないわ。これからすることはそんなこと微塵も考えていないのに」
 ローションと土を織り交ぜた、粘度の高い地に手を置き、無数の人型を生成する。やがてその人型全員、エヴァを覆いつくしていく。
「なッ……これは!?」
「簡単よ、私の必殺技は相手の好きな人の裸体で囲んで、じっくり堕落させるもの。誰も傷つけたくない、私の心が願った最も効率のいい、そして最も心地のいい心の折り方よ」
 次第に、エヴァの周りには無数の礼安が裸体となって現れだしていた。戸惑うエヴァをよそに、富士宮は静かに勝利宣言かのように語りだす。
「言っているでしょう? 私は、ハナから戦うことは考えてないの。なんせ自分が弱いことくらい自分がよく分かっているから。だから、私は常に戦意喪失させることに重きを置くの。だからチーティングドライバーで私が強化を望んだのは……明確な力じゃあない、相手を惑わす幻術方面よ」
「そ、そんな――!」
 装甲が完全に溶けていたエヴァにとって、頼みの綱はデュアルムラマサだけであったが。結局はそのデュアルムラマサすら無数の礼安たちに優しく離されてしまった。
 体中を駆け巡る快感に、身をよじりながら耐えるエヴァ。しかし、声は次第に我慢しきれず漏れ出していた。
 そんなエヴァの傍に横になり、自身も変身を解除する富士宮。その瞳は妖しさなど微塵も感じさせない、憐憫の色に満ちていた。
「もういいじゃあない、無理に命を張って戦わなくても。結局は生き死になんて野蛮なことを考えるからこそ、貴方たち英雄は蜉蝣の如く、儚く命を落とす。長い戦いの中で、十分学んでいるでしょう」
 富士宮が望むのは、抗争や戦争などではないのだ。思考の結末としては、堕落させる方向で『教会』サイドそのままである。しかし、思考の過程にあるのは争いを望まない、『英雄』サイドのもの。
 複雑怪奇でありながらも、富士宮が望むものは世の混沌ではなく、世の平穏であるのだ。
「正直……私はあの一階で戦う丸善爺様が死ぬか刑務所に入るとしたら、次は私があのポストに収まることになる。私もこの埼玉支部を愛する気持ちは一緒だし……この現状を変えることだってやぶさかじゃあない」
 次第に、エヴァの抵抗力は落ちていき、愛撫に屈してしまう寸前にあった。少しでも痛みによって自分の意識を保とうとしていたが、唇を力強く噛み締めていたのも、手を握りしめて爪を食い込ませていたのも、全て弛緩していった結果無力に。快楽に身を委ね、次第に目も虚ろなものになっていく。
「――今のトップであるグラトニー様。正直やり方が気に食わないの。金と暴力で全てを終わらせる、野蛮な考えがとくに。だから……私が変えてあげる、この埼玉支部の現状を。だから……もう抵抗しないでエヴァ。それが――『貴女のため』なの」
 エヴァを芯から気にかけている、富士宮。その言葉、その心はまさに本物。もし立場さえ異なったら、もし時代が異なったら。彼女はどうなっていたのだろう。
 しかし、エヴァはその富士宮の言葉に異を唱えた。
「ちょっと……待って……『貴女のため』って……?」
「そうよ、貴女も、お仲間も。傷つかなくていいのよ」
 優しく手を握る富士宮であったが、エヴァはその手を残された力で振り払った。
「私は……その『貴女のため』って言葉が何より嫌いだ……自分の意のままに他者を言いくるめようとする、底にある意地汚さが見え透いた……エゴ極まった台詞だ……!!」
 あれだけの快楽で包み込んだエヴァが、未だこの反抗精神を持ち合わせていたことに驚愕しつつも、富士宮はエヴァに子供に言い聞かせるかのように語り掛ける。
「それが傷つかなくていい最良の選択肢よ、お互いもう血を流さなくていいのよ!? 何で……私の言うことを否定するの!?」
 エヴァはその覚醒した力で、富士宮の頬を平手打ちする。初めて、この二人のやり取りの中で生まれたダメージであった。
「――ふざけないで。確かにそれは理想かもしれないけど……それはどんなクソ野郎にも適応されてしまうのが……何より気に食わない。あのスラム街を恐怖のどん底に陥れた計画犯は、グラトニーは、そんな生ぬるい所業で終わらせていい相手じゃあなかった!!」
 痛みを伴わない解決。それが今なおできるのだったら、この世に戦争という概念は生まれなかった。世界中のどこかで、続く紛争。それが起こる理由は互いの意見の衝突だったり、エゴ極まった意見による一方的なものだったり。
 この日本において、情状酌量をかけられる存在は数多く存在する。
 その中には、きわめて凶悪な犯罪を思考し、実行したのにも拘らず、偽りの精神障害云々によって言い逃れするような性根の腐った輩や、たかがその一時の感情のブレにより他者に暴力を振るい、排他する行為、すなわちいじめの加害者が含まれる。そう、『法で裁けない悪』そのものであるのだ。
「富士宮……アンタの意見そのままに語るなら。それすら許し平和的解決……ってことになる。そんなのあり得ない。いつだって、そんな平和ボケした価値観をぶつけられて割を食うのは被害者ばかりじゃあないか!!」
 エヴァは、過去とある事件により男性を酷く嫌うようになった。トラウマともいえたその最悪な状況を、少しでも接することが出来たきっかけは同級生の丙良や、学園長の働き掛けによるもの。
 常時平和であること。それは理想極まった理想郷≪ユートピア≫。しかしそれを成し遂げるためには人類の意識全てを操り、争いなど起こらないよう洗脳でもしない限り不可能である。そんなものはただの反理想卿≪ディストピア≫そのもの。
 人間は常に、誰かと比べ競うことで進化を続けてきた、いわば争いを常套化した生物である。それをやめてしまったら、何が残るのだろう。
 その中で生まれたがん細胞である性根の腐りきった存在を許してしまったら、社会や世界に大きな膿が出来上がってしまう。人々が手を取り合い、差別などが永遠あり得ない平和な世界など、一生あり得ないのだ。
「もし、もしだ。自分のところで働く大切なストリップ嬢たちが、どこぞの薄汚い男に犯されたら……アンタはそれでも平和を謳う気か。『貴女のためだ』だとか、世迷言を宣うつもりか!!」
 脆い理想。それは思考することをやめた、大前提の可能性に対する防御力が、著しく低い。灯台下暗しとでも表現しようか、そう言った最も近く思考することを無意識にやめていた事柄が、喉元に刃として突き立てられるのだ。
 言い淀む富士宮。それは無論そんなことを許せない、責任者として当然の思考であった。
 抗うことを、戦うことを諦めたら。結局はそうなってしまうのだ。
「――私たち、英雄学園は。世の中に根付いた悪を打ち滅ぼし続ける。人々の希望の象徴として、社会がなあなあで済ませてきた事柄にメスを入れる。それが――不破学園長の現役時代から続くモットー、そして英雄学園のスローガンだ」
 礼安の幻覚は、いつの間にか崩壊していた。びちょびちょになった衣服を整えると、エヴァは富士宮の元を離れる。
「もし、もし私の意見に異を唱えるなら。ドライバーを取って私に立ち向かってみろ。その時は、容赦なく斬り伏せる」
 戦い始めは迷いこそあったものの、今の彼女の刃に迷いなどない。たとえどれだけ防ごうとも、刃が肉体に到達することだろう。
 しかし、富士宮は一向に異を唱えようとしない。エヴァはその場を立ち去ろうとすると、彼女がぽつりと呟きだしたのだ。
「――分かっていた。本当は分かっていたの。自分が掲げる理想が、どれほどの夢物語か、ってことくらい。でも……多くを失ったあの日から、私は壊れていったの」

 幼少期の頃から、富士宮は争いごとを好まなかった。そのためか、周りに人が寄ってきたものの、望むものは富士宮が所持し、周りの子供たちが欲しいもの。下心見え透いたその振る舞いではあったが、富士宮は争うことを未然に防ぐため、結局は明け渡していく。
 それでいいと考えていた富士宮は、小学生時代に初恋を経験した。
 しかし、カースト上位の女子が、富士宮の好意に気付き、徹底的にいじめたのだ。今となったら余裕で傷害罪を勝ち取れるほどに、徹底的に嬲られたのだ。学校中に富士宮の秘密だったり、どこで盗撮したのだかわからない写真をばら撒かれ、富士宮は憔悴していった。教師陣の誰も救うことはせず、いじめを隠ぺい。
 ついに堪忍袋の緒が切れ、そのカースト上位の女子から始まり、徹底的に仕返しをしていったのだ。されたこと全て、反射していくように。何なら、それ以上のことすらした。
 その結果、そのカースト上位の女子をはじめとした、女子グループは全員苦痛に耐えかねて首をくくり自死。富士宮があの子たちを殺した、と批判の嵐であった。自分がどれだけ被害を受けようと助け舟すら出さなかった癖に、である。
 それ以来、他人を信用することをやめ、明確に争うことをやめたのだ。女だからと突っかかってくる輩や、肉体関係を求める輩の要求も、素直に飲んでいった。
 やがて、多くの苦難を経験しながらも、富士宮は会社の同僚と結婚、子供を授かることとなった。
 しかし、夫はかなりの畜生で、子供を若いうちから『売り』に出そうとしていたのだ。自分と富士宮の稼ぎだけでなく、より自分がハイソサエティな存在になりたいと、そんな見栄のために、子供への愛情などありはしなかったのだ。それは富士宮に対してもそうで、結婚した理由は『美人な奥さんを持ちたい』のと『毎晩抱く性的欲求の発散』のため。
 愛と言える感情は、ゼロであったのだ。全て自分のため、自分が頂点であると考えていた、その男の最悪な考えによるものであったのだ。
 争うことをやめていた富士宮であったが、子供を守るべくその男を手にかけたのだ。少しでも、子どもの未来を輝かしいものにするべく。犯罪者の娘となるか、愛を放棄され売られた娘か。どちらがいいかを詳しく考えることなど、できやしなかった。
 男の死体を山奥に遺棄した後、その数年後。娘は大きくなりやがて好きな人が出来るようになった。しかしその子供が好きになった存在もまた、外面だけは良い品性下劣な存在であった。
(――あの子と、付き合うのはやめなさい。これは『貴女のため』なのよ)
 周りが自分を言いくるめるときの常套句、『貴女のため』。その言葉を無意識にも選んでしまったことを瞬時に恥じながらも、娘は怒り狂った。
(――何でよ、何で私の邪魔をするの!? お母さんなんて……お父さんを殺した人殺しのくせに!!)
 その娘の台詞は、富士宮の心に深く突き刺さるものとなった。完全にそこに愛などないと感じてしまった富士宮は、娘を孤児院へ入れた。それを娘は大層喜び、完全に富士宮は見捨てられたと感じた瞬間であった。
 貯金をすり減らしながらも、日々何とか生きながらえていく中、自分の故郷に新興宗教が立ち上がっているのを知った富士宮は、藁にも縋る思いで入信。やがてめきめきと力をつけていき、役職を持つようになった。
 宗教として、より知名度を上げるためには、困っている存在の援助、そして信者とする流れが必要不可欠であった中、富士宮は世の中から見捨てられた女の子たちを匿い、それぞれが輝ける場所を提供した。それこそが、ストリップ嬢としての道。最初は体が貧相なものであったが、富士宮は親切丁寧に居、食、住を提供した。その結果、恵まれた豊満な肉体美を得た女の子たちは富士宮、ひいては埼玉支部を崇拝した。
 娯楽に飢えていた男たちは喜んで飛びつき、彼女たちの寒々とした懐を温めさせていた。それが、『その子たちのため』になるなら、ありとあらゆることを駆使しながら、そのストリップ嬢たちを育てていったのだ。

「――思えば、私は最初から道を間違えていた。あの子たちを育てることは別に何ということではないけれど。結局は汚れた金であの子たちを育てていた。自分の欲求のままに。情けないわ……本当に」
 すすり泣く富士宮のもとに駆け寄り、力強く抱きしめるエヴァ。多くのことを他者のために諦めてきた不幸の底にいる女を、見捨てることは出来なかった。たとえ敵であったとしても、かける情くらいはあった。
「――争いがなくなれば、それは抱いてもいい幻想。それを叶える術が……現状人類がいなくなること、という部分はさておき。足を洗うのに、早いも遅いもありませんよ」
 彼女が犯した罪は、まだ『教会』未信仰時代の夫を殺害した一件のみ。しかも罪の意識があるのなら、外に出られるのもそこまで遠い未来ではない。
「……本当、もう少し早く貴女のような存在に出会っていれば。恋に落ちていたかもしれないわね……歪みなどは残るけれど……あの子たちを見捨てるなんてことはしないけど……残された人生の内――――欲に正直に、少しくらいまっとうな人生を歩んでみたいわ」
「――しっかり服役して、娑婆の空気吸えたとしたら。私もそのストリップ劇場、お邪魔してみたいですよ。貴女の頑張りを、少しでも目に焼き付けたい」
 そのエヴァの慈しみがこもった言葉に、我慢することなく大粒の涙を流し始める富士宮。彼女の心の闇を、少しでも晴らすことが出来た自覚が芽生えたエヴァもまた、静かに涙を流すのだった。
 これにより「『教会』埼玉支部兼壇之浦銀行次長、ストリップ劇場『竜宮城』オーナー」富士宮えりと、「『武器の匠』兼英雄学園東京本校武器科二年一組所属」エヴァ・クリストフの戦いは、戦闘要員ではない富士宮がエヴァを無力化に動くも、彼女の内に秘められた、歪んだ優しさがほつれとなり、彼女が抱えた優しさゆえの闇を晴らした、エヴァの勝利となった。
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