第五話

文字数 9,977文字

 「霧満ちるロンドン」。多くのレンガ造りの住居が立ち並ぶ、人ひとり存在しない、霧によって視界最悪の街。正々堂々戦うもよし、闇に紛れ不意打ちするもよし。この町が舞台となった時には、第二、第三の切り裂きジャックが生まれる、とも言われている。
 そこでは既に、戦士たちの戦いが始まっていた。
 片手剣と拳による、一進一退の激しい攻防が続く。
 ある者は剣を激しく振るい、何人も近寄らせず、敵がひるんだすきに斬撃を与える。
 ある者は闇に乗じて袋小路に迷い込んだ敵を締め落として気絶させる。
 誰もが、己の誇りのために戦っていたのだ。
「俺が勝たなきゃ……家族に楽させてやれない!!」「今までどん底だった……ここで人生を逆転してやる!!」
 野心のため、家族のため。様々な思惑が渦巻く中。

 『それ』は、唐突に現れた。

 瞬きの間に現れ、背後から参加者たちの首を三百六十度捻じ曲げる。
 あろうことか己の腕力のみで、筋骨隆々な男たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。
 『それ』によって、「霧満ちるロンドン」は地獄と化した。
 不確定要素ともいえる騒ぎに対し、裏路地に住む荒くれ者の観客たちは歓喜する。VIPたちが何か良からぬことがあったのか、と騒ぎ始める。
「あんな参加者のデータなど……私が持っている情報内にはなかったが……?」
「まだ大きな騒ぎが無かったからいいものを……大騒ぎになったらどうするつもりだ」
 十人十色、様々な呟きや疑念渦巻く中で、富豪たちの側に実況者が現れた。実況をするときのような、飄々とした様子のままであった。
「おやおや皆さん、我々の運営に多少なりの心配事がありましたかねぇ?」
 そんな様子の実況者の男を見て、我慢の限界に達した一人の富豪が胸ぐらをつかみ食って掛かる。
「我々がどれだけの出費をしてこの大会を維持していると思っている!? 円卓の騎士とある程度のコネクションを繋ぐためだとなぜ分からん!! 恩を売れば我々の後ろ盾が完全に出来上がり、この国を我々貴族のものに――――」
 貴族の男がまくし立てている中、ついに実況者の男が口を開く。貴族の男を、侮蔑的な目で見下しながら。
「――――チッ、これだから成金は困るね。世の中にはもっと崇高な力があることを知らねぇのかよ、このボンクラが」
 そう言うと実況者の男は、胸ぐらをつかむ貴族の男の両腕を、肩口からノーモーションで切り飛ばした。
 一瞬、周りの富豪たちは何が起きたか理解ができなかった。凶器など何も持っていないはずの男に、肩に近い部分まで腕を斬り飛ばされたのだから。
 富豪の女は悲鳴を上げようとした瞬間、その場にいた全員、声を出すことは叶わなくなった。喉に異常はないはずなのに、一切の声を出すことが不可能なのだ。
 実況者の男は、前髪を一気に掻き上げる。今までの飄々とした男の面影は、見る影もない。
「ああ、騒がれると処理が面倒だから声を出せないようこのVIPルームには軽い呪いをかけておいたよ。あくまで殺されたくない、自分の命大事なクソ野郎は黙って俺らのショーを見とけ、な?」
 そういうと、男は不敵に笑んだ。まるで、この世の全てが自分より下だ、と言わんばかりに。
「お前らが気にしているバケモンは、俺のもう一つの姿。俺はあのバケモンの理性そのもの。ターゲットを殺すまで、この世界を蹂躙し続ける、俺らこそがこの世界の『バグ』だ」
 何を言っているのか、理解できない富豪たち。そんな様子を見ていて、男はその富豪たちに対して急激に興味を失ってしまった。呆れ果てた、と言っても過言ではない。
「確かにお前らはゲーム内の存在で、そういったイレギュラーに疎いのは分かる。――だけどよ、少しくらいはインパクトのある表情を見たいのよ。何だってー、みたいなね。っつー訳で」
 少なすぎる前置きを置き、男は首を斬るジェスチャーを行い、その場にいる富豪たちの首を爆発四散させた。実際の生命ではないために、流れ出るものはデータの残滓のみ。
 男――仮称『バーサク』は富豪たちの死体を軽度に弄繰り回しながら、「万物が生まれし古代」エリアを恍惚顔で見つめる。
「あの邪魔くさい『英雄もどき』二人は、俺らが始末しなきゃあねぇ」
 薄気味悪くにこにこと笑いながら、椅子を学校の休み時間を謳歌する学生のように、かたんかたんと揺らしていた。

 「万物が生まれし古代」エリア。岩や小高い丘、活火山があること以外特筆することは無いエリア。あまりにも殺風景であることから、奇襲や搦め手で戦うよりは、圧倒的に正々堂々と己の力で戦うことがメインとなる。
 そのため、ここにはあまり人は寄り付きたがらない。ある程度楽をしつつ、最終的にぶつかる相手を研究、見物するために身を隠すことが多いからである。
 礼安と丙良が降り立ったのは、まさにこのエリア。二人にとって、戦闘スタイルが近、中距離特化型であるため、奇襲や搦め手は何より縁がないためである。
「降り立ったのは良いものの、僕ら以外に人がいないね」
「あっちのロンドン街の方で騒ぎが現在進行形で起こっている、ってくらいかな?」
 礼安はあたりをきょろきょろ見渡しつつ、好奇心旺盛な子供のようにあたりを駆け回る。
 丙良はそんな礼安を困ったように見つめながら、その場から動き出すも、ふと視線を感じた。
 丙良は礼安を制止し、近くの岩場に思い切り大剣ロック・バスターを叩きつける。
「そこにいる君。誰かは知らないけど、盗み聞きとは性格がよくないよ」
 破壊された岩の後ろから、おずおずと出てきたのは、一人の華奢な少年だった。
 受付や会場入り時によく見たような、筋骨隆々の男たちと比べて筋肉はあまりついていない。醸し出す雰囲気はとても気弱そうで、とてもではないがこのバトルロイヤルを生き残れそうにないほどに軟弱、見るからに小動物っぽい。そういった印象であった。
 その少年から敵意を一切感じなかった丙良は、ロック・バスターをその場に深く突き刺して、ゆっくりと歩み寄る。
「さっきは悪かったね。僕たちは勝たなきゃあいけないから、ある程度気が張っていたんだ」
 そんな丙良の優しい言葉に、一切なびくことは無くおびえ続ける少年。
 礼安は「多分大丈夫」と丙良に耳打ちして、少年に歩み寄る。
「ねえねえ、君どこから来たの? ここは危ないところだから、今からでも外に出た方がいいと思うよ?」
 優しい声音に多少態度が柔らかくなったか、少年は蚊の鳴くようなか細い声で話し始める。
「ぼ、僕……ここで勝たないといけないんだ……。お母さんの病気を治すために……離れ離れになった父さんと同じ騎士になって……お金を稼ぐんだ」
 丙良は、心打たれた。少年の優しい志を目の当たりにしたはいいが、天地がひっくり返ってもあの男たちに少年が敵うとは到底思えなかった。
 現実的な話をしようと、一歩前に出ようとした、その時。礼安は何度か頷き、二っと笑った。
「分かった、私たちがその願い、叶えてあげる!」
 礼安は、本来の目的であるゲーム内の目的より、一人の少年のささやかな願いに目を向けた。修行は中途半端に終わるだろうが、礼安にとっては些細なことである。己の信念を曲げるより嫌なことは無いのだ。
「こ、後輩ちゃん!? 君円卓の騎士にならない道を選ぶのかい!?」
「丙良ししょーは、一か月ゲーム内で生きることが最優先課題だ、って言ってたから……なら、円卓の騎士になる、って目的はあくまで二の次だよ! 目の前で誰か困ってるなら……私、それを助けたい!」
 丙良は唖然とするも、確かにそれは事実であった。ゲーム内目的ではなく、あくまでひとりのヒーローとして生きるその姿に、自分の考えを改めた瞬間であった。
「……分かった。君の意思を尊重しよう。僕はあくまで君のインストラクター。この子の願いを、叶えに行こう」
 丙良がそういうと、少年はほんの少しだけ生気が戻ったように感じた。
「……ありがとう。礼安お姉ちゃん、丙良お兄ちゃん」
 ようやく少年の顔に、微笑みが宿る。多少なりとも緊張は緩和されたのだろう。
「あ、そうだ! 君、名前なんて言うの?」
 少年はその礼安の問いに、静かに答える。
「僕は……モード……レッド。モードレッド・ペンドラゴン」
 それを聞いた二人は、呆けた顔を見合わせていた。
 モードレッド、あるいはモルドレッド。アーサー王の姉である、モルガン・ル・フェイとアーサー王の近親相姦によって生まれた、望まれなかった子供。マーリンからの助言によって、島流しをされるも、静かに生き延び、復讐を志してアーサー王の配下となった騎士。
 そのはずなのだが、今二人が目の当たりにしているのは、紛れもなくアーサー王の正式な息子そのもの。少なくとも、彼を恨んでいるなど、そんなことはあり得ない様子であった。
 丙良は、礼安に対して耳打ちをする。
「……今僕たちが目の当たりにしているのは、到底あり得ないものだ。なんせ、僕たちが知っているのはアーサー王に謀反を起こした『あの』モードレッドだよ」
 今彼が抱いている感情は、バグにもたらされたものなのか。それを知る由は無いが、それでも礼安はあることを考えていた。
「なら、せめてこれが嘘であっても……王様と仲を取り持ってあげた方がいいんじゃあないかな。少なくとも、このまま一時の夢で終わらせちゃあいけないって、私は思うよ!」
 溌溂とした笑顔で丙良に語る礼安。それを見て丙良は突き刺したロック・バスターを豪快に引き抜いて、二人に先に進むことを促す。
「なら、このバトルロイヤルをさっさと終わらせようか、皆で」
 丙良を先頭とした、戦闘部隊の完成、出陣と相成った。

 「現代を生きるアメリカ」エリア。
 そこにあったのは、参加者たちの戦いの現場――ではなく、信号機や街灯、ビルの壁に参加者たちの死体が打ち付けられていた。それもすべて、仮称「バーサク」の破壊衝動のままに暴れまわった結果である。
 今もなお、現在進行形で暴れまわり、参加者を蹂躙していた。
 しかし、されたままでは終われないと、一人の男が剣を持ち立ちはだかった。
 他の男たちを凌駕するほどの体躯を、持ち合わせているわけではない。
 他の男たちを嘲笑できるほどの経歴を、持ち合わせているわけでもない。
 しかし、その男には他の男たちにはない身軽さがあった。頭脳があった。
 死体が握りしめていたもう一つの剣を合わせ、二刀流で対峙する。これといった構えは無くとも、即座に対応する動体視力でどうにかしようという魂胆であった。
 仮称『バーサク』は、眼前の男を見下す。取るに足らない存在だと、心の中でも見下していた。
 道端に落ちているような小石を、軽く蹴り飛ばすかのような気軽さで。
 仮称『バーサク』は、男の頭目掛け、目で追えない速度の蹴りを放つ。
 頭で理解、伝達するより先に、男が一対の剣でその蹴りを防ぐ。
 その蹴りの勢いを殺すことが叶わず、ビルのガラスに思い切り叩きつけられる。
TNT爆薬でも使ったのかというレベルの轟音に、ガラスの破片が、舞い散る桜の花弁のようにあたりに飛び散った。
 すんでのところで何とか防御したために、剣を持つ両腕が悲鳴を上げていた。
男は、化け物の前に立ちはだかったことをとても後悔した。死を目の前にした人間は、心の弱さが露呈するもの。すでに、化け物に立ち向かえるほどの気力は失っていた。
 だが、死体のひとつと眼があってしまった。この世のものとは思えない化け物に、痛みや絶望を理解する間もなく死んでしまった男の目から、血涙ではない、純粋な涙が流れ出ていたのだ。
 瞬間、男は自身の中にあった恐怖心や絶望をかなぐり捨てた。
 ガラスの破片によって、そして化け物に痛めつけられた肉体を奮い立たせ、震えながらもゆっくりと起こす。
 ぱきり、ぱきりとガラスを踏みしめながら、彼は一歩ずつ、着実に化け物へと向かっていく。
 正直、周りの男たちに対し、特別な感情は一切持ち合わせていない。
 ただ、許せなかったのだ。それぞれが多種多様な夢のために戦っていたのにもかかわらず、どこからともなく現れた化け物に全てを奪われる、そんな傲慢がただひたすらに許せなかったのだ。
 彼は、一人の主人公という主役を引き立たせるために生まれた、意志を持たない、所謂NPC≪ノンプレイアブルキャラクター≫。それでも、プログラミングされたもの以外に、新しく芽生えたこの感情≪エラー≫が、彼を突如進化させたのだ。
「お前だけは……お前だけはッ!!」
 片足に全身全霊の力を込め、一気に踏み込んで化け物に近づく。
 その勢いのまま、一対の剣を心臓部に深く突き刺す。しかし手ごたえなど、無いに等しかった。
 仮称『バーサク』は、何食わぬ顔で彼を見下し、首を荒々しく掴む。
(そうか、俺はやっぱり駄目だったか。でも一矢、報いることができたなら)
 彼の中にあったのは、決して諦めではなかった。
 自分が起こした風が、少しでもあの化け物の障害となれたなら。
 誰か、この化け物を超えるためのかけ橋の一部となれたなら。
 胸の内に生まれていたのは、一筋の光であったのだ。まず生まれるイフすら存在しないはずの、感情≪エラー≫であったのだ。
(誰か、この得体のしれない化け物を、越えてくれ――――)
 彼は、一筋の涙を流し、いつか現れるかもしれない、英雄を願った。
 そんな、勇敢な彼の意志の力ゆえか。もしくは、運命の女神がNPCである彼の願いを聞き届けたか。
 空から、一閃。得体のしれない人間が三人、とてつもないスピードで落下してきたのだ。
 化け物の心臓部に目掛けて、猛スピードの飛び蹴り。心臓部に突き刺した一対の剣を、確かなダメージに変換する。
 化け物の握力が緩み、男は地面に落下する。そして、目撃する。
 仮称『バーサク』に対し、一傷負わせたのは。
「誰かの『助けて』って声が、今、確かに聞こえたよ!!」
 子供と青年を引き連れた、溌溂な笑みを浮かべ綺麗に着地した一人の少女≪ヒーロー≫であった。

 礼安たちは、現場の惨劇を目の当たりにして、眼前の化け物、仮称『バーサク』がすべて殺したのだと察した。
 丙良はデバイスを操作して、対象にカメラを向ける。
「――間違いない、こいつがバグそのものだ。装甲、というか表皮も中々の硬度。まるで鉱石のようだ」
 覚悟した表情の礼安は、黙って頷く。
「僕たちは、辺りの被害者を安全な所へ逃がす。――ほぼ死んでいるようだから意味は無いかもしれないけど、こんなところで建物にぺしゃんこにされて完全に終わり……なんて、させたくない」
 行こう、とモードレッドに促して、死体や生存者を安全な所へ避難させ始めた。
礼安とバーサクのみ、一対一の戦いの舞台に仕上げる。
 バーサクは、眼前の礼安に対して野性的な敵意をむき出しにしていた。今までなんてことはない痛みだったはずの心臓部が、全脳内神経が痛覚を主張している。
 もとより、礼安たちを抹殺するための悪質なバグであったため、一定値定められた殺意のラインこそあれど、今は殺意がオーバーフロウ状態にある。
 目は血走り、血管は蠢き、筋肉は躍動する。心の底からの純粋な殺意が、体中からあふれ出し、今にも辺りを押しつぶさんばかりのプレッシャーで場が満ちる。
 それでも礼安は、不敵な笑みを絶やすことは無かった。
「確かに、貴方にも『精一杯生きたい』とか、『自分の欲を満たしたい』とか……それが生きる糧になっているのは分かるよ。でもね」
 すう、と礼安は一息吸って、今までの不敵な笑みから、明らかな怒りの感情へシフトする。
「歪んだ欲を満たすために、誰かを傷つけるなんて、私は絶対許せない!」
 瞬時にデバイスを腰に装着する礼安。
 すると、ポケットに入れておいたはずの、あのメダルが煌々と光り始める。礼安はある確信を持ち、メダルを前方に掲げる。
 ほんの一瞬で、その光は圧を増し、やがて礼安の手には一枚のヒーローライセンスが握られる。
 礼安は出来たばかりのライセンスをデバイスドライバーに認証させる。
『認証、トリスタンと二人のイゾルデ! 二人の同名女性から迫られる、ハープと戦いの腕が立つ一人の騎士の、モテモテ珍道中!』
 礼安は少し不安になりながらも、認証、挿入しデバイスドライバーの右側を押し、起動させる。
『GAME START! Im a SUPER HERO!!』
「変身!」
 割と喧しい音は健在なまま、装甲が礼安を包み込んでいく。
 左肩を覆っていた青のマントはそのままに、右半身を中心に展開されていく、ポップな西洋の鎧。小さな王冠は無く、その代わりとしてなのか、大きな堅琴を手に持っている。
 今までと異なる点はそれだけではない。華美なドレスを纏った、二人の女性の霊体が、礼安の側にピッタリとくっついているのだ。霊体に関しては、装甲とはとても言えないのだが、第三者に対しての敵意をむき出しにしているのが、何とも。
 何とも動きづらそうにしていた礼安をよそに、金髪の霊体、『キン』が礼安に激しいボディタッチをし始める。気品ある口調ではあるが、どうも性欲が強過ぎるようで、酷い。
『騎士様、貴女のためになら私、いかなる敵も打ちのめして差し上げますわ。そう、まるで貴女とあの日夢中になった、激しい夜の営みのように!』
 同時に、全体的に白い霊体、『シロ』は、目の前のバーサクに対して、全力で中指を突き立てる。お嬢様言葉なのか、大阪弁なのか何とも言い難い口調であった。
『勿論ですわ! 騎士様の為ならァあんのデカブツいてこましたりますわ!!』
 礼安はそんな二人に何とも困り果てながら、二人に指示を出す。
「ええっと……じゃあとりあえず少し離れてもらって……」
『『何ですって!?』』
 二人の霊体は礼安に対し、さらに激しいボディタッチを始め、まくしたてる。シロに関してはボディタッチ、よりは単純な暴力というか。
『私と貴女、アーンなことやウフフなことしましたよね!?』
『貴女の愛はその程度だったってこったあ!? 内臓ぶち晒しの刑かァ!?』
 昨今の深夜番組でもやれないような、良い子には見せられない痴話喧嘩を繰り広げる中、バーサクはしびれを切らして礼安に殴り掛かる。
 殺気で察知した礼安は、その場から即座に離れようとするが。
 次の瞬間、バーサクは二人の霊体に殴り飛ばされ、宙に飛ばされていた。
 ビルの壁に思い切り打ち付けられたバーサクは、完全に沈黙していた。
『ここはいったん休戦と行きましょう、シロ。邪魔があってはランデヴーも何も不可能ですわ』
『そうねぇ、あんのデカブツシバキ倒して、騎士様とピンクの城でアラアラウフーンなことヤろうや、キン』
 礼安はよくわからないといった様子で、頭をリセットして竪琴を静かに構える。
「二人が言ってることあんまし分かんないけど……二人とも、頑張ろう!」
 シロとキンは不敵に笑いかけ、バーサクに向きなおる。
 バーサクは、ビルの壁に打ち付けられてもなお、目立った怪我がないほど頑強であった。
 壁から力任せに身を投げて、地面に降り立つ。地面がひび割れ、それと同時に一層強い殺気が飛ばされる。
 一瞬の静寂の後、バーサクが先に動いた。
 体重を目いっぱい乗せた、渾身の右ストレート。
 すんでのところで全員回避し、後方に着地する。
『騎士様、貴女様が今手に握られている竪琴を演奏してくださいまし。それによって攻撃が可能ですわ』
「オーケー、物は試しでやってみよう!」
 弦を荒々しく弾くと、バーサクに不可視の斬撃が叩き込まれる。
 それによって生じた隙を見逃すことなく、霊体の二人は前進し、バーサクにフロントキックを叩き込む。
 鳩尾にヒットしたためか、かなりの巨体を持ち合わせたバーサクも勢いを殺しきれてはいなかった。
『次はもっと荒々しく弾いたってえな、騎士様』
 その言葉通りより激しく弾くと、さらなる斬撃がバーサクを襲う。
 固い表皮を持ったバーサクに、数か所完全なる傷を負わせるほどの斬撃であった。
 二人の霊体はバーサクの顔面に、容赦ないハイキックを叩き込んで、バーサクを沈黙させた。
 礼安が瞬きをした、ほんの刹那。これで終わりか、と場に安堵の空気が満ち始めた瞬間であった。
 バーサクは徐々に変形し始めていたのだ。
 肉体は収縮、膨張を繰り返し。元あった姿ではない、別の姿へ変貌を遂げようとしていた。
 三人は悪い予感を察知して、すぐさま戦闘態勢へと戻る。
 ぐにぐにと、まるで捏ねられている粘土のように形状変化を遂げたバーサクは。
 一回り小さい、すらりとした男性へと変化した。
 変化したバーサクは、筋肉はあるものの全体的にスマートであり、重量感を排除した見た目となった。
 バーサクは、ひたり、ひたりと緩慢に一歩ずつ近づき、そして一瞬のうちに消えた。
 どこへ行ったのかと、三人は辺りを見渡す。それと同時に、礼安の中で猛烈に嫌な予感が立ち込めていた。
 荒々しく弦を鳴らして、辺り一帯に不可視の斬撃を飛ばす。
 最初、二人の霊体は何をしているのかと疑念を抱いたものの、礼安の第六感が正しかったのだと、瞬時に理解する。
 霊体二人の眼前に、バーサクの回し蹴りが迫っていたのだ。
 左足を完全に切断され、身動きが取れないバーサクは、腕を高速で伸ばし一矢報いようとした。
 しかし礼安は、弦を鳴らしてその伸ばした腕すら切断する。
「せめて、殺戮兵器として生まれた貴方に救いあれ」
 礼安はデバイスドライバーの左側を押し込み、自分含め二人や竪琴に力を籠める。
『必殺承認、この愛は、全てを射抜く≪トライスター・トゥ・ザ・フェイト≫!』
 竪琴が即座に弓矢へと変形し、霊体二人は一つになり、雷迸る煌々と光る矢へと変貌する。
「行くよ、二人とも!!」
 二人の無言の肯定が魂に伝わる。礼安は全力で弓を引き絞り、ため込んだ力を一気に解き放つ。
 その矢は、バーサクに命中するや否や、はらはらとバーサクの肉体を解いていく。真っ黒な毛糸のようなオーラで覆われた何かは、光に当てられて徐々に本当の姿を現す。それは、一人の青年であった。
「――――――――――――、――――――」
 それが何を伝えたいかは三人には理解できなかったものの、バーサクだった誰かは、涙こそ浮かべつつも、実に晴れやかな笑顔であった。
 礼安は跪きながら手を差し伸べる。
「私、貴方が誰なのか分からない。けど、貴方が救われて良かった!」
 ニッ、と礼安は笑んだ。するとその青年は同じように笑んで見せて、光の粒となりながら、天へと消えていった。
 礼安は変身解除しつつ空を見上げながら、その光の粒を見送る。
「良かった。少しでも、救われたのなら何よりだよ」
 二人の霊体も、黙ってうんうんと頷く。
 しかし、それで終わるわけもなく。キンは礼安の右半身を、装甲越しにやらしい手つきで触りまくる。
『と、いうことで騎士様? この戦場を出たらピンクのお城で少しばかり休憩したいのですが……十時間ほど、予定は開いていますか?』
 そんな攻勢に出ているキンをよそに、シロは逆側をまさぐる。
『騎士様? こんな性欲の塊と一緒におるとアカン、ウチとぷらとにっく、な関係築き上げましょ! ぱーてぃーたいむですわァ!』
 先ほどまで戦っていたバーサクよりも嫌な予感が、礼安の第六感を刺激していた。
 それは、和やかなこの空気がもたらすものではなかった。
「二人とも、横に飛び退いて!!」
 危機察知により、今までふざけていたような二人の空気も、一気に引き締まる。
 三人がいたその場に、突如としてどす黒い巨大な手が地中より出でる。
 回避したために三人とも無事であったものの、その巨大な手に握り潰されたら、たとえ英雄の装甲を纏った英雄であっても、死は確実であった。
「……正直、これだけなら予感していたほどの物じゃあなかった。何なら、私が日課にしてる人助けとおんなじ要領で戦えば、大したことなかったんだよ」
 礼安は、先ほどの丙良との会話を思い返す。
 バグが自分を殺しにかかる。
 死にゲーであるはずのこの世界のバランスが崩れるほどの、とんでもない敵がいる。
「……そう、敵の悪意が足りなかった。純粋な衝動に動かされた人間って感じの。決して、誰かを陥れるとか、誰かの心をへし折るとかの、歪んだ悪意が足りなかった」
 地面が砕かれた際の土煙が徐々に晴れていく。そこには二人の影。長身痩躯の影に、少年と思わしき影。
「――貴方は誰? 姿を見せて」
 そういうと礼安は、その土煙に対して力強く弦を弾く。一気に晴れたその場にいたのは。
「――――え? 何で……」
 先ほど会場でマイクパフォーマンスをしていた実況者に、虚ろな目をしたモードレッドだった。
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