第一話 プロローグ

文字数 3,242文字

「貴方は、神を信じますか」
 誰もが、どこかで聞いたことのある科白。おそらく家の玄関先、怪しい宗教の勧誘で。
 「宗教の勧誘なら帰ってください」なんて、普通の人なら言えるだろう。もしくは話を適当に聞き流して後で貰った聖書を、そのままごみ袋にダンクシュートするだろう。またはまさに今、この春の初めごろの陽気に浮かれ、頭がお花畑になった人間ならちょっとは好意的な回答をするのだろう。
 しかし、ここにいるお人よし……もとい瀧本礼安≪たきもと らいあ≫は違う。
「どんな事情があるかは知りませんが、貴方の神を信じましょう! その聖書をください!」
 この世のどこに怪しい宗教の聖書をノリノリで受け取る人がいるだろうか。いやいる、ここに。中学を卒業したばかりの人間が酒など飲めるはずもなく。つまるところ素面でそんな事を言えてしまうほどお人よしが極まっていた。
「そうですか! なら話は早いです、神が乗り移っているこの壺を……」
「はいはいお人よしいじめはやめましょうねそこのあなた」
 宗教勧誘の女性と礼安の間に割って入るのは、彼女の親友、真来院≪しんら かこい≫。あまりにも礼安に悪い虫が周りによるために、半ば放っておけずにずるずると友好関係を続けている女子である。
 宗教勧誘の人間は惜しい人間を手放した、と明らかに悔しそうな表情をしながらその場を後にする。
 院は一つ大きなため息をつくと、礼安に向き直る。
「……貴女、いい加減ああいう輩には冷たくしなさいって口酸っぱく言ってるでしょう? 今月で何度目ですか、怪しいアイテム買わされそうになったのは」
「いやだって……怪しくてもあの人には家族がいるって……しかも貧乏だって言ってたよ?」
 院はまた一つ大きなため息をつき、呆れ果ててしまった。
「言っておきますが勧誘に来たあの人、この前馬鹿みたいに高い高級車乗り回してましたわ、しかもウン千万の外車」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした礼安を見て、院は何ともいたたまれない気持ちになってしまった。

「ところで礼安、貴女なにか面白いものが届いた、って言ってたじゃあない? いったい何ですの」
 礼安は不敵に笑むと、院を家の中に招く。
 家の中は、怪しい宗教からもらった怪しいグッズや聖書の山。潔癖症の人間は……まあ間違いなく足を踏み入れることを躊躇う汚部屋である。女子の部屋なのに、フローラルな香りもかわいらしい小物も一切ない。あるのはどこで拾ったのだか分からないハッパのような怪しい臭いに怪しいアイテムばかり、である。
 そんな部屋で、あってもおかしくはないが疑問を抱くものが、院の目の前に置かれる。テーブルの上に乗った、乱雑なアイテムを腕で雑にどかしつつ。
「これだよ、お父さんから届いた奴の中で……これがここ最近私の中でびびっと来た『せいしぶつ?』だよ!」
 それを言うなら聖遺物、と言いかけた院は言葉を飲んだ。
 折れた剣。しかもかなり錆びた。
 表現するならまさにそうであった。その折れた剣が持つ、わずかながらの荘厳さのほかは……申し訳ないがガラクタと形容するしかないごみそのものの雰囲気。しかしそれがかなり重要なところから送られてきたために、なんと言葉を返せばいいのか迷っていたのだ。
 ふと気まずそうに礼安を見ると、なんとも目が爛々と輝いているではないか。新品の玩具を買ってもらった、子犬の様子そのものであった。
 これは何の効果もない、骨董品店に持ち込めばうまい棒代くらいにはなりそうなガラクタだと口にしたら、この純朴な新高校一年生はどういう反応をするだろう。きっと悲しむだろう。そうに違いない、なんてことを考えていたのだ。
 しかし、院にはできなかった。流石に純粋無垢な心を即座に傷つけるほど、鬼ではないのだ。覚悟を決めて、「それは何かしらの効果が見込めるパワーストーンのようなものだ」、と濁して伝えようとした瞬間。
「あ、そうそう! 院ちゃん、これも一緒に届いてたの! お父さんからの手紙、なんだけど……」
 礼安は封筒に入った古びた手紙を手渡し、院がそれを開く。
 礼安の父は世界各地を股にかけるトレジャーハンター(自称)で、よく世界各地の珍品を送ってくる。とても礼安には読めない達筆な手紙とともに。
 達筆な文字をざっくりと眼だけで追い、同時に寒気がした。
「……本当、お父様の観察眼だけは絶対、なのを確信しましたわ……今」
 首をかしげる礼安をよそに、院は折れた剣を手に取り、礼安に手紙とともに手渡す。
「……それ、お父様お墨付きの『聖遺物』らしいですわ。それと……これも手紙の中に入っていました」
 再び首をさっきとは逆方向にかしげる礼安をよそに、同梱されていたもう一枚の古びていない真新しい紙を広げ、礼安に見せつける。
「おめでたいわ貴女、私と同じ学校に入ることになりましたの。しかも、私と同じ『英雄≪ヒーロー≫』になる方、の」
「ふぇ??」

 この世には、ざっくばらんに三種類の人間が存在する。
 英雄か、その相棒である武器か、ただの人間か。
 英雄と武器の二種に関しては、現時点で総人口の一割程度。英雄になるにも、武器になるにも一定の条件が必要なのだ。
 それが、「因子」。
「まさか貴女にその因子が備わっているとは驚きですわ。確かにお人よし具合は常識を上回ってくるくらいの……もはや狂人ともいえるレベルのソレですけど」
 礼安は何を言っているのかよくわからないといった様子で、小動物のように首をかしげる。
 ヒーローを名乗るうえでも、そしてそれに相応しい力を発揮するのも、因子が備わっていないと話が始まらない「因子」という存在。それは常人が努力でどうこうできるものでも、ましてや重ねた研究がどうとかでどうにかできる代物ではない。まさに、『選ばれし者』というわけである。
 普遍的な世の中に、奇跡的に天才が生まれてくるように、因子持ちは偶発的に生まれてくるのだ。
 院はぐちゃぐちゃな室内を見渡して、一つため息をつく。
「……とりあえず、ここを引き払って引っ越す準備ですわ。このごみ溜めを少しでも減らして向こうに持っていくものの選別をしなきゃ」
「え! ごみじゃないよ友達だよ!」
「サッカーボールだとか愛と勇気だとかが友達の時点で頭おかしいと突っ込むところだけど、ごみを友達呼ばわりはイカれてますわ貴女!?」
 そう言いながら、そこら辺にあった市既定のごみ袋に、辺りにあるものを片っ端から突っ込んでいく。大概燃えるごみだろ、と高をくくっていたためであった。
「ああ、いろんな人から貰った贈り物がぁ……」
「贈り物って……大概わけわかんない宗教のパンフとかでしょう! こういうのはごみ袋にダンクシュートしときゃあいいんですの!」
 泣きそうになる礼安を叱りながら、てきぱきとした手つきで次々にごみの山を片付けていく院。
 これが、引っ越し予定二日前のことである。

 二日後。綺麗になった室内とは対照的に、半べそをかく礼安と疲れ切った表情の院。
「やっと……やっと片付いた……本当、この大掃除だけで五キロは瘦せた気がしますわ」
「お別れなんだねえ……この仙台の地とも……」
「そうでしてよ、ほとんど恐ろしいほどのお金持ちな、家の助力あっての結果なんだから……」
 部屋を解約するには、ふつう一か月前ほどから準備を進め、ありとあらゆる手順を重ねてようやく部屋を引き払うものだが……家の全面協力(主に金の力)によって二日前に引き払う準備を進めることができたのだ。
「さ、さっさと目的地に向かいましてよ礼安。じゃないとせっかくの入学案内書がおじゃんになりますわ」
「! ってことはつまり……??」
 院は静かな笑みを浮かべながら、わざとらしくパンフレットをひらひらと扇ぐ。
「仙台以上の都会である東京、しかもその中でも別格の地、『学園都市』に向かいますわよ」
 これは、今まさに故郷との別れと新天地への高揚感が抑えられていない、お人好しな礼安が、現代のヒーローになるまでの、物語である。
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