第九話

文字数 9,683文字

 数時間が経った朝の九時。
 礼安と院はエヴァたちに呼ばれ、エヴァの寮へとやってきた。しかし、昨日のこともあり、三人とも雰囲気は重かった。
「すみません、昨日……というかまあ事実上今日ではあるんですけど、あんなことがあった後に」
「ううん、エヴァちゃんは悪くないの。私が……及ばなかっただけだから」
「礼安さん、そんなに落ち込まないでくださいまし。私にも落ち度はありました」
 互いが互いを気遣いあった結果、それぞれの間に亀裂が生まれていた。遠慮は、時に毒となる。
 しかし、エヴァはそんな空気を何とか変えようと、昨日使用していた『神聖剣エクスカリバー』を礼安に手渡す。昨日の今日で、まだどこか熱を感じる。その熱は、物理的でもあり、気持ち的なものもあり。
 その場にいた礼安と院は、自身が扱っている武器よりも明らかにグレードが高いものを目の当たりにして、どこか惹かれていた。特に礼安に関しては、本来エヴァが譲渡する予定であったために、礼安のため、という端々から心意気を感じ取っていた。自然と、二人から嘆息が漏れ出るほど。
 全体的な意匠は同じ片手剣であるカリバーンとある程度共通し、礼安の装甲と同じ方向性であるKAWAIIポップであることに変わりない。しかしカリバーンと打って変わって、要所要所に稲妻マークをあしらって、より攻撃的な見た目へと変わった。
「この剣……エクスカリバーに使った技術は、本来なら二年次からじゃあないと扱えないといわれるほどのハイパワースペックなんです。それ単体でも変身ガジェットとして成り立つレベルです。丙良君が使っているロック・バスターのようなもの、と言えばいいでしょうか」
「でも……何でそんなものを礼安さんに?」
 少し考えた後、エヴァは空≪くう≫を見る。
「――何ででしょう。過去、色々な英雄の武器ちゃん制作を手掛けさせてもらいましたが……礼安さんの武器を作っていると、他の武器ちゃんと向き合っているときの数倍『楽しい』んです。今の礼安さんじゃあ扱いきれないほどの化け物スペック持った剣……完全に使いこなすのは先かもしれないんですけど……それでも『楽しい』んです」
 どこか、新しいおもちゃを買い与えられた子供のように、無邪気な笑顔を見せるエヴァ。当初彼女に抱いた感情などどこかへ消え失せ、一人の職人としての彼女の表情を見出していたのだ。
 礼安は恐る恐るエクスカリバーを手に取る。優しく撫でたり、意匠部に触れてみたり、パワースイッチに触れてみたり。カリバーンに無かったものを手当たり次第に触れてみる。
「恐らくですが、今お二人が使用している武器ちゃんに関して。お二人の思いが変身ガジェットとして力を与えたライセンスに付随する、初期装備のようなものとお見受けしました。ドラクエで言う、ひのきの棒みたいな。これから戦いは無条件で激化していくことでしょう、グレードアップはお任せください、お二人からのお代は構いませんので」
 二人からかなりの罪悪感を感じ取ったエヴァは、すぐに訂正する。
「ああ、別にこれは僕の善意でやっていることなので。だいたいの英雄には死んでほしくないのですが、貴方がた二人は……私の中でも別格なので」
「別格?」
 エヴァは慌てふためき、「こっちの話です」と小声で呟き、顔を真っ赤にして俯いた。その瞬間、人の感情の機微を感じ取ることに長けた院は、エヴァの中にある礼安に対しての感情に速攻で気付いた。
「……貴女なら、うちの礼安を嫁に出しても……」
 エヴァの表情が一気に明るくなるものの、割と地獄耳の礼安もその発言を聞いてしまった。
「? お嫁さん? 誰の話??」
 エヴァと院は全力でごまかすも、礼安の中の疑念は晴れないままであった。

 エヴァの寮、その地下。無駄なものを極限まで排除した結果、出入り口にトレーニングデバイスがあるのみの、数時間その場に居続けたら目が痛くなるほどの、白一色の物が一つもない空間。
 どんな武器が暴発しようと平気で耐えることのできる、核シェルター以上のレベルの強度を持ち合わせ、防音性もバッチリという、修行にうってつけの場所である。広さとしてはおよそ東京ドーム三個分。無駄に広い。
(その剣……エクスカリバーは『当人が抱く覚悟の強さ』によって本当の意味で稼働します。その剣が力を目覚めさせるまで、ただの鈍だと思ってもらって構いません)
 そのエヴァの言葉を思い返しながら、礼安は剣を手に持ち、念じ始める。しかし、うんともすんとも返事がないため、より強く念じてみる。結果は変わらず。
「覚悟、か……」
 『人を救いたい』という純粋な願いのもとにライセンスは生まれた。しかし、それを超えるほどの意志の力を見せないと、確固たる覚悟を剣に示さないと、一生目覚めることは無い。
「君が目覚めてくれないと……私は戦えないんだ。また、無力な私に戻っちゃうんだ。お願い……!」
 そう呟いて強く握るも、返事は無いまま。礼安は剣をその場において、ぺたりと座り込んだ。
(一体、何がいけないんだろう)
 その思考を読み取ったかのように、礼安の腰横につけられたライセンスホルダーから一枚のライセンスが飛び出し、英雄の姿として具現化する。その英雄は、アーサー王であった。
『礼安、何を思い悩むことがある。貴様が私に誓った願いの延長線上にあるものだぞ、それを強く念じれば、自ずとこのエクスカリバーも応えるだろう』
「……それが」
 礼安はアーサー王に対し、ぽつぽつと語り始めた。念じ始めてかれこれ数時間が経過していることと、もう完全に行き詰まり袋小路に入ってしまったこと。
 少しの思考の後、アーサー王も礼安の隣に座り、自身の持つエクスカリバーを礼安に持たせる。
『私が持つ、貴様のそれとは違うエクスカリバー。エクスカリバーが収まる鞘、アヴァロンもそうだが……それが生まれたきっかけは、ある湖の精の力によるものだった』
「知ってるよ、確かヴィヴィアンだったよね」
『ああ、出来た経緯はそうだ。しかし、出来上がった当初、私もまた、貴様と同じ未熟者であった。大成するまで、多くの災難が私に降りかかった』
 神々しい西洋甲冑を少しずらし、文字が彫られた木札を取り出す。そこに描かれていたのは、同じ円卓の騎士たちの名前であった。
 アーサー王をはじめとして、礼安のライセンスとなったトリスタン、ゲーム世界で砕けたモードレッド、著名な騎士であるガウェインやランスロット、パーシヴァルにギャラハッド。木札に掘られた十二人の名前は、長い時を共に過ごしてきた仲間たちであった。
『私には、当初戦う理由など、『単に聖剣に選ばれたから』という、大変質素なものであった。しかし、円卓の騎士として悪を挫く戦いを続けた結果、守るものが大量に生まれた。最初はなあなあで戦っていたものの、次第に自分の中に答えを見出していったのだよ』
 そう語るアーサー王の横顔は、歴戦の勇者であり、多くの仲間を持った一人の男であり。様々な感情がごちゃ混ぜになっていた。
 アーサー王の生涯というものは、波乱万丈であった。戦いに、裏切り。多くの苦難を乗り越えはしたものの、最終的に仲間に裏切られ死んだ。
 数多の苦しみがありはしたものの、それでも英雄であり続けたのだ。
『これは、私の持論ではあるが……今すぐに完璧な答えを見つけ出さなくてもいいのかもしれない。私も、数年……いや、数十年の間悩み続けた命題であるからな』
 すっくと立ちあがり、礼安に背を向けるアーサー王。礼安を見つめるその瞳は、まるで子を見守る親のようであった。
『最初は曖昧な願いでもいい。徐々に形を成していけばいいのだ。最初から完璧な人間などいないように、自身の願いや強い思いを形成していけば、自ずと剣も応える。あまり気負うことはお勧めしない。これが、様々な経験をした先人の意見だ』
 礼安の肩を優しく叩き、鼓舞するようにライセンスへと戻った。
「自分の戦う理由……守りたいもの……強い願いや思い」
 そう呟いて、再び剣と向き合った礼安。結果は変わらずであったが、心持ちは多少なり変化したようであった。

 それから再び数時間が経過し、夕方の六時。飲まず食わずで剣と向き合い続ける礼安を、何とか理由をつけて夕食へと誘ったエヴァと院。エヴァ自体に家事能力がないため、再びバーベキューであったが。
 皿にどんどん乗せられていく、十分に焼かれた肉と野菜。しかしそれに目もくれず、ずっとエクスカリバーについて、ベランダ側で思考する礼安。
「礼安さん、礼安さんの好きなお肉でしてよ。たくさん食べてうんと育ってくださいまし」
 心ここにあらずといった様子で、礼安は無気力な返事を繰り返すばかり。
「……駄目ですわ、お肉でも釣られません」
 少し考えた後、エヴァは礼安の側に近づく。
「礼安さん、少しいいでしょうか」
 それに対し、生気のない返事をする礼安。そんな礼安を少しでも気を変わらせるために、エヴァが取った行動。
 それは、礼安の頬へのキスであった。
 流石にそれに対して驚いたようで、照れによって顔を真っ赤にし、素っ頓狂な声を上げて飛び上がる礼安。その拍子にデッキテーブルに膝を思い切りぶつけたようで、猛烈に痛がっていた。
 礼安の膝をさすりながら、聖母のような微笑でエヴァは続けた。
「今一度、原点に戻るときです。礼安さんは、礼安さんたらしめる原点の願望や欲望を思い返してみてください」
 礼安は、今一度あの時と同じような景色を眺める。
 そこにあるのは、人の営み。どれだけ傷心状態にあったとしても、自分を支え続けてくれていた、大切な『赤の他人』。そしていかなる状態にあろうと隣にいる、大切な『友達』。礼安は昔から人望が強く、多くの人の施しを受けてきた。
 そしてそれは、いつだって自分が自分のために、そして他人のためにおせっかいを焼き続けた。『自分のために、友達も、赤の他人も助ける』。それこそが、礼安にとっての原点であり、答えであった。
「我儘だけど……私らしい願いだから。これでいいんだ、きっと。これが、私が英雄であるための存在証明だったんだ」
「礼安さん存在証明なんて難しい単語よくわかりましたわね」
 エヴァに「それ今言うべきじゃあないです」と、かなりの速度で言われ反省する院。しかし、礼安の中で答えは今見つかったも同然であった。
 今なら、エクスカリバーは応えてくれる。礼安の願いを聞き届け、その願いに歩みを進めるための助力をしてくれる。
 そんな確証が礼安の中に芽生えた。
 しかし、その時であった。
 突如として、それぞれのデバイスが着信音を鳴らす。それぞれが画面をつけると、そこにいたのは、怪人化したフォルニカであった。
『あー、テステス。この映像は、あらゆる映像媒体をジャックして放映しております。ドンミスイット、って心持ちです、はい』
 三人の表情が一気にこわばる。和んだ場の空気も、一気に引き締まった。
『あと一時間後、昨日暴動を起こした渋谷のスクランブル交差点にて、我々教会による殺戮パレードを執り行います。それが嫌な人は、次の画像の人物を生死問わず渋谷に連れてくることです』
 画面に映し出されたのは、礼安と院、エヴァに丙良。そして、フォルニカの当初のターゲットであったクラン。
 そのゲリラ放送のチャット欄が、大雨によって生じる濁流の如く流れていく。
『この人見たことある』『え、有名な英雄いるじゃん! 何で』『丙良さんは知ってるけど他知らんし』『殺戮ショーとか逆に面白そう』『こいつらの身柄持ってったら危険は無いってこと??』
 大半のコメントが、自分に被害がいかないと高をくくっている人間の発言であった。
 エヴァや院がそれぞれに「最低……」と苦言を漏らすも、礼安は違っていた。先ほど固まった強い決意によって、体が動いていたのだ。
 上着を羽織、変身用アイテムとデバイスを手に持つ。しかし、向かおうとする礼安を二人は制止する。
「待ってください礼安さん、もう少し情報が固まってからでも……」
「そうですわ、まず貴女覚悟が固まったとはいえ、まだエクスカリバーが覚醒していない今の状況で、完全に勝てる見込みはほぼありませんわ。それに事実上の指名手配状態にある今、我々が出向いたら大騒動は確実です。だから……」
 しかし、礼安は足を止めることは無い。
「今ここで、私たちが出向かなかったら、誰かが傷つくかもしれない。黙って見過ごすことはできないよ」
 それに、と付け加えると、礼安はニッと笑って見せた。
「99%勝てない戦いでも、1%くらいは可能性があるなら、賭ける価値はあるよ。0%なら厳しいけど、その1%に勝負するのはゲーマーとして当然、私にとっては心が躍る数字ってやつだよ!」
 先ほどまでの思いつめていた礼安とは打って変わって、いつも通りの明るい礼安へと戻っていた。あのキスの影響か、はたまたそれによって思考が完全リセットされたからか。
 ここ最近明るい礼安を見ることが極端に少なくなっていたために、久しぶりに見る太陽のような笑顔がとびきり眩しく感じられた。
 そんな笑顔に後押しされて、二人は完全に根負けした。慎重派かつ礼安のストッパーであるはずの院も、同じく事態を俯瞰的に見ていたエヴァも。
「……何でしょうね、貴女の笑顔を見ていると、不思議と元気が湧いてきますわ」
「これが……僕が好きになった英雄、僕の目に狂いは無かったんだ」
 戦地に赴くはずの三人の表情は、どこかリラックスしているような表情へと変わっていた。たった一人が起こした波は、二人へと伝染したのだ。
「行こう、二人とも。決着をつけに行こう!」
 無言の肯定の後、三人は渋谷へと向かったのだった。

 学園都市内の大きな病院。そこには、事態をテレビ越しに見つめる一人の女性がいた。
「……私がカモろうとした人は、こんな世の中を動かしうる人だったんだ。本当、私って人を見る目があるんだか無いんだか」
 ベッドで上体を起こしてテレビを見つめるシスター服の女性。側には、無理やり外されたと思われるチーティングドライバーが置かれていた。
 思い返せば、女の人生はなあなあで生きてきた人生だった。
 とある中小企業のOLとして新卒社員として仕事をし始めたのはいいものの、スケベ親父しかいなかったためセクハラが絶えず、少しでも今を良くしたいとぼんやりとした理由で転職。その次の職場もなぜかセクハラ地獄のために心を病み一年経たず退職。
 精神病にかかった女が頼ったのは、怪しい宗教であった。その怪しい宗教は戦力と規模を徐々に拡大し、女もチーティングドライバーを与えられた。
 精神汚染により制御こそ不可能であるものの、戦闘はできないことは無かった。暴力に訴え自身の思うままに過ごす、そこまで不自由のない生活を送ってきた。
 しかし、女の心の中ではどこか迷いがあったのだ。
「――誰かを案じ続けるあの子とは、大違いだなあ」
 テレビに映る、騙そうとした張本人。自分より十歳は離れた子供に、先日助けられた。騙そうとした人間であったのに、意に返すことなく、まるで脊髄反射のように助けられた。
 思考と力を制御しきれないとはいえ、そんな恩人の友人を襲ってしまったことも、ふとよぎってしまう。
「私、自分の幸せのために誰かを不幸せにし続けるんだなあ」
 そう思った瞬間。そう自分の口から漏れ出た瞬間であった。そんな自分に虫唾が走った。嫌気がさした。
 何せ、過去自分にセクハラを繰り返し、最終的には自身の『初めて』すら奪ったような外道と同じ道を辿っていたことに気が付いたのだ。
 被害者が、いつの間にか加害者に。
 女は、テレビを消し自身の手に目をやる。
 あの時、サソリの化け物と対峙し、勝利を収めた少女に握られた手。装甲越しではあったが、確かに少女の優しさを感じ取った。今まで人の善意やプラスの感情に触れる機会が無かった女にとって、奇跡的な瞬間であった。
「……あの子、多分狙われるよね。きっと、あのクソ上司みたいに心無い人が自分の命惜しさに狙うんだろうな、きっと」
 女が紡ぐ言葉は、誰に向けてでもない、自分の中身との対話のために紡がれたものである。
 フォルニカの噂はかねがね聞いていた。あの上司のように、己の無尽蔵に湧き続ける性欲のために動き続ける、最低最悪の男。
 そんな男に狙われる、自身の命の恩人。しかも、過去騙そうとした相手。
「どっち側につくかなんて、決まったようなもんでしょ、コレ」
 体に刺さった検査用の管や点滴の針を乱暴に抜き、ベッドから立ち上がる女。チーティングドライバーを手にとって外へと向かうも、警告音が鳴り、ナースやら医師やらがわらわらと寄るも、女はそれでもと医者たちを撥ね退ける。
「私の中に! ようやく本当にやりたいことが生まれたんだ!」
 女は外へと出た瞬間に、空へと高くジャンプする。多くの人の視線が希望と覚悟を背負い、チーティングドライバーを起動させる。
「変身!!」
『Loadding……Game Start』
 禍々しい変身音と共に変身したその女の姿は、以前のような姿ではなかった。
 瞳や耳が無いのはそのままであったが、右腕は刃こぼれが一切ない剣の姿に変貌。左足はすらりとした脚へと進化したのだ。翼を進化によって獲得し、大空を翔ることが可能となった。
「私は、あの子に救われた! 今度は、私が助ける番だ!!」
 女……もとい、青木舞菜香≪あおき まなか≫は精神汚染を克服し、空を翔る。渋谷へと高速飛行するのだった。

 ひとり、学園都市の隅で海を眺める男がいた。クランであった。たった一人で、今後を決めかねていたのだ。
 無論、フォルニカによる電波ジャック放送は目にした。その中で、抗うか従うかの二択の決断を迫られていたのだ。
 思い出すのは、久しく感じることのなかった、誰かの温もり。自分を殺せる現時代の因縁の相手。しかし、優しすぎるがあまり、断固たる決意を胸にしていた男でさえ、大きく揺らいでしまった。
「……瀧本、礼安……」
 思い返せば、彼女の悲しそうな顔ばかり。涙が未だ乾かぬ、男の右袖半ば。
「誰かを悲しみのどん底に叩き落としてまで、叶えたい願いというのは、いったい何なんだろうな」
 その言葉は、知らぬうちに自身の中にある英雄の因子にすら響いたようで、クランの目の前に幻覚が現れる。ペリノア王であった。
『……私は、戦友と戦って、名誉ある戦死をしたいと、心の中で強く念じてきた。しかし、君の心は……そうは言ってないように聞こえる』
「……俺は」
(私がいる限り、貴方が生きることを諦めないで)
 その言葉が、ずっと心の中で反響している。間違いなく、五百年前にその言葉を聞いたら意識が百八十度変わっていただろう。しかし男の心は、その温かな言葉と使命感という名の意地と絶望でせめぎあっていたのだ。
「――俺が歩むべき未来は、何が正しいのだろうな」
 ペリノア王は、相好を崩しクランの肩を優しく叩く。
『……これは、君より百数年前に生きていた、行き遅れの人間の、戯言と考えてもらっても構わない。私は戦いの中で名誉ある戦死を遂げた。あわよくば、もう一度血液が沸騰するほどの戦いをしたいとも考えたさ。しかしだ、君の生きたいという強い願いを蹴ってまで叶える願いではないのだ、あくまで努力目標、というものさ』
 夜の海を眺めながら、ペリノア王はクランの中に消えていく。
『ゆめ忘れるな、クランよ。あらゆる人間の、原初の命題となりうる……生きたいという願いは、無碍にするものでは無いぞ』
 最後は、一人の騎士として、少しばかりの厳格さを残しつつ、彼なりの優しさでクランの背を押した。
 ひとり夜の砂浜に残されたクランは、自身の中に既に芽生えていた願いに気づいたのだ。
「そうか、俺はまだ……生きたかったのか。使命と意地の間でもがいていただけだったのか。そうか、そうか……」
 チーティングドライバーを装着し、月を眺めるクラン。
 今まで見えていた世界は、どこかモノクロのフィルターでもかかったかのように、とても苦しく、辛いものであった。しかし、今はどうだ。自身の本当の願いに気づいた今は、色の濃淡、輝き、強さなど、全てが今までにないほどはっきりと見える。
 思わず、数百年の間縁のなかった涙が零れた。あまりにも、嬉しかったのだ。
「こんな俺でも、誰かのために戦えるのかな」
 返事は無い。しかし、もしここに礼安がいれば。諸手を叩いて賛同してくれる。そんな根拠のない確信が生まれるほど、現在の胸中は希望に満ち溢れていたのだ。
『待て、クラン。これを。あの武器の匠の家で埃をかぶっていたがために、くすねたものだが……今のクランであったら、きっと似合うものだ』
 ペリノア王はクランを引き留め、あるものを手渡す。数百年には無かったものではあるが、数百年前と今のクランには一番似合う代物。
「そうか……これは後であの匠に頭を下げないとな」
 心の中で、渋谷のスクランブル交差点を強く念じる。
「待っていろ外道、今向かう」
 一瞬にして目的地に向かうため霧散。月明かりに照らされた砂浜は、男の涙をも、乾き飲み込む。

 一方丙良は、というと、神奈川埠頭にいた。微動だにすることなく、フォルニカを待つ。
 やがてほんの少しの後、フォルニカはその場にやってきた。現場には、丙良とフォルニカの二人のみ。不敵な笑みを抱えながら、ゆっくりと歩いてきた。
「いやはや、まさか自首してくるなんてさ。こればっかりは予想外だったよ」
「だろうな、これはどこにも明かしてない。この場にいるのは、僕一人だけだ」
 へえ、と漏らすとすぐさま丙良の首元にナイフをかざす。一歩でも動いた瞬間、すぐさま皮どころか肉が切れてしまいそうなほどの近距離。
「少しばかり疑念は残るが、邪魔が一人いなくなるなら結構」
 丙良は目を閉じ、微動だにしない。覚悟は、とうに決まっていたのだ。
「教会に仇名す者に、死を」
 ナイフを思い切り、振り切る。首から大量に溢れ出すのは――大量の砂。
 一瞬の困惑の後、丙良だった砂人形が口角をらしくもなくめいっぱい釣り上げて笑って見せた。
「誰がお前なんかに首を明け渡すものか。渋谷でドンパチが楽しみ過ぎて思考が死んだか?」
「クソッ……タレぇ!!」
 砂人形の顔面に、怒りのあまり思い切り右拳を振りぬく。水分が無く粉々に砕け散ったものの、どこからか聞こえてくる丙良が港に反響する。
「渋谷で、僕の信頼のおける仲間たちと共に、お前らを迎え撃つ。お前らの好きになんて絶対させないよ」
 苛立ちがピークになった中、丙良の砂人形の中から「仕事人が騙されてやんのバーカバーカ☆」と直筆かつ達筆なタペストリーが出てきた。それを全力で踏みにじり、砂の塊を思い切り蹴り飛ばす。
「お前らァ!! 指名手配した英雄連中を全員ぶち殺すぞ!!」
 側に隠れていたフォルニカの部下たちが無言の肯定をすると、怒り心頭のフォルニカたちはクラン同様霧散し渋谷へと向かった。

「これで第一段階は終了、アイツカンカンだったな」
 とあるビルの屋上にて、来るであろうメンバーを待ちわびながらけらけらと笑う丙良。
 ひとしきり笑うと、表情が一気にいち英雄としての真剣な表情へと戻る。
 心の中で反響するのは、昔のこと。
(貴方が居ながらこの様は何です)
(忌々しい疫病神め)
(私の子供を酷い目に合わせて)
 嫌な台詞ばかりがよぎる。心無い誰かから言われた、凶器のような言葉の数々。
(今度は、うまくやろう)
 自分の中で、自分の心境を反響させる。それが昔から続く、彼なりの事なきを得るためのおまじない。
 ふとビル下に目をやると、そこには騒動を今か今かと待ち望む野次馬ばかり。そんな酷い現実に目をそむけたくなるも、丙良は仕事だと割り切ることにした。
「人ってのは、こうも醜くなれるものなのかな」
 軽く失望しながらも、その時を待ちわびる。
 六者六様、それぞれが純粋な一つの目的のために動き出す。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み