p76 ソロの秘密

文字数 1,317文字

「リョウ、灰が」


 ソロと降りしきる灰に追われて、リョウは庭のノウゼンカズラの木陰に身を寄せた。
 音の無い灰は静かに三人に降り積もり、遠く離れた火山の香りを際立たせた。


 ソロは自分のゴーグルとマスクを外し、リョウに差し出した。


 


 もう逃げられないように腕を取ると、わずかにリョウの抵抗にあった。
 ツル太郎とは似ても似つかぬその感触に、ソロは恐れをなした。大切に扱わないと壊れてしまいそうな柔らかさだった。


「リョウ、灰を吸い込んでしまう」
「私は平気。ソロが使って」
「私、って、言った」


 リョウの一人称は何だったろう。いつも自分のことを、なんと言っていたっけ。


 男も女も使う一人称だけれども、今、目の前にいるリョウに、とてもシックリくる一人称だとソロは思った。



「どうして、見ちゃダメなん」



 たぬキノコは抱かれるがまま二人の様子を見ていたが「これではラチが明かぬ」と口を出した。


「ソロがツル太郎のことを『クソクソのクソ』『ウンコ林田のことか』って言ったのを気にしてるんだよ。同じ顔だから」


 それは失念していた。


 たぬキノコはソロのモノマネも(うま)かった。



「ごめん、リョウ」


 ソロはたぬキノコごと、許しを()うようにリョウを抱きしめた。


 二度と離したくない抱き心地。


 この豊かで柔らかな体が、バンクから、貪食(どんしょく)のナラタケから、み(そら)ゆく捕食者から自分を守ってくれた。


 その健気(けなげ)さに打たれて、ソロはやっと、言わなければならないことを思い出した。


「オレ、悪かった。あんなにリョウが守ってくれたのに、一回もありがとうって言ってなかった。ヒドいことばかり言って、謝らなかった。ごめんなさい」


 守られてばかりで情けないのに、自分が守ってやらねばという二つの気持ちが、せめぎ合っていた。


「オレが悪かった。だから、マスクとゴーグルをつけて。灰を吸い込んで死にそうになって、入院したことがあったじゃないか。頼むから」


「ソロ、僕の頭に」


 ソロが顔を上げると、たぬキノコに積もった灰に、一筋の線が描かれていた。


 リョウが泣いていた。


 ツル太郎と同じ顔なのに、まるで違う。
 ソロを見つめる眼差しの関心度の高いこと、熱っぽいこと、切なげで優しいこと・・・・・・。
 

 去年、ソロはリョウの中から花のガラテアが涙の海に溺れる光景を見た。
 あの時のように、今はリョウの涙の海に自分が溺れているのだ、とソロは思った。



 ソロはリョウの頬に手を伸ばし、親指で涙に触れた。


「ソロ。マニキュア、上手に塗れるようになったね」
 

 黒のネイルが施されたソロの手に、リョウの手が重なった。


「オレの爪、すぐ割れるから」


 ソロのネイルは、いなくなる前はリョウが塗っていた。


「お母さんの爪と同じ色なんだよね」


 それは昔、ソロがリョウだけに打ち明けた秘密だった。


「ソロのお母さんが、そういう模様だったから・・・・・・」


 腕の中に、本物のリョウがいる。


 
 溢れる涙から、重なったリョウの手から、ソロの冷えた指先に温もりが伝わって来る。


「ごめん、別に、泣きたいわけじゃ無いんだけど・・・・・・」


「泣いていい」


「泣きたくないのに、勝手に」
 

「泣きたいんだろ」


 リョウの背中に手を回して、ソロは家に入るように(うなが)した。
 





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